守田です。(20140925 12:30)

福島原発事故をめぐる吉田調書の読み解きの3回目ですが、今回から吉田調書の原本全文を分析・引用対象としていきたいと思います。
日経新聞の以下のページにPDF版が掲載されていますので、アドレスを紹介しておきます。

政府が公開した吉田所長・菅首相(事故当時)らの調書
2014年9月11日19:34
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO76947290R10C14A9000000/

この調書を読み始めるとすぐに出てくるのは、吉田所長に対する質問者が記憶を辿ることに難しさもあるだろうということで、東電が発表している時系列を用意しそれに沿って話を進めこると提案していることです。
もちろん吉田所長には「違うと思われれば、そのままおっしゃっていただければ結構です」と告げられていますが、そもそも吉田所長とて東電の幹部であり、当然にも東電と細かな打ち合わせをしてこの聴取に臨んだと考えられます。
このため吉田調書は東電の書いた多分に自己防衛的な事故の経過説明に沿っていること、東電の書いた筋書きに寄り添っているものでもあることを頭に入れておくべきです。

とくに3月11日の述懐にはこの点で非常に重要なポイントが含まれています。というより福島原発事故の経過過程の中でも最も重要なポイントが3月11日にあります。
この日、14時46分に大震災が起きました。津波の第一波の到着が15時27分。問題はこの間に何が起こったのかです。
東電と吉田所長の主張はこうです。地震で送電線か何かが壊れ外部電源が喪失した。そのため非常発電用のディーゼルエンジンが動き出した。しかし津波でエンジンが壊れてしまい、全交流電源喪失に陥り冷却ができなくなった・・・。

一方で元日立の原子炉圧力容器の設計者、田中三彦さんは1号機のパレメータを詳細に分析する中から、大地震の直後に配管切断が生じ、冷却水漏れが生じたとみられること、津波の前にメルトダウンに向かう一連の事態が発生したことを示唆しています。
これは非常に大きなポイントです。東電のシナリオでは非常用のディーゼルエンジンが津波にさらされる位置にあったことが問題になります。反対に言えば非常用電源を高台にあげ、津波の影響を受けないようにすれば今回のような事態は避けられることになる。
しかし田中三彦さんの解析に沿うのであれば少なくとも1号機は地震によって壊れていたことになる。耐震基準が間違っていたということです。だとすれば同じ耐震基準で作られたすべての日本の原発が同じ危機を孕んでいることになり、設計から改めない限り動かしてはいけないことになる。

その際に大きな位置を持つのが1号機にのみ存在している非常用復水器(アイソレーション・コンデンサー ICと略記されている)の存在です。
これは技術的に古いものだそうですが、原子炉内の蒸気の圧力が高まると自動的に動き出す装置で、ユニークなのは電源に依存してないものであることです。そのため電源喪失時でも動いてくれた。
仕組みとしては、圧力が高まった蒸気を復水器に招き、復水器に貯められた水の中に蒸気を吹かすようにできている。蒸気は水の中に誘導されると水に戻る=復水するのです。そうなると体積が一気に小さくなります。温度も100℃以下になる。圧力と温度が下げられます。

この非常用復水器が電源を喪失した直後の14時52分に稼働し始めているのです。これらの機器の作動はすべて自動記録されるようになっておりパラメータが公開されているのですが、それがなんとも不思議なことに15時03分に運転員によって手動停止されているのです。
田中さんは他のさまざまな数値の解析とあわせ、この停止は復水器の動作が必要なくなったからだと運転員が判断したためと推測しています。配管が破断して冷却水が漏れ始めたために炉内の圧力と水位が落ちだしたため、復水器は必要なくなった。むしろ水位をより下げてしまいかねないのでスイッチオフにした。
これに対して東電の発表では、原子炉の運転マニュアルに急激な温度変化(1時間以内に55℃以上)を避けよと書かれているため、運転員がこれにしたがったと説明されています。

これは明らかにおかしい。田中さんは「ウソです!」と明言しています。なぜならこのマニュアルは平常時のものだからです。金属は急激な熱変化を繰り返すとその分だけより早く経年劣化をするので、運転停止にいたるときに急激に冷やさないような配慮が示唆されているのです。
非常時にはそんなことにかまってなどいられない。緊急冷却装置であるECCSが作動するときなど、もっとたくさんの水をいきなりスプレーして炉内を冷やす設計になっている。あたり前の話として経年劣化など考慮しているときではないからです。
東電の説明には明らかに緊迫した事態の中での対応としては矛盾があるのです。一刻の猶予もなく炉内の圧力を下げたいときに、電源喪失の中でも稼働してくれた命綱とも言える非常用復水器を止めることなど考えられない。どこからからか冷却水が漏れ出して圧力が下がったから止めたと考えるのが合理的なのです。

なおこれら一連の問題を田中三彦さんが「原子力資料情報室」の場を借りて解説してくださった内容をテープ起こしした記事をご紹介しておきます。6月21日に行われたものです。
今、読み返してみても圧巻です。なお全文を読まれる場合は(176)をご参照ください。読みやすいように文字を大きくし記事を二つに分ける加工を加えておきました。(171)は2011年6月25日に、(176)は6月29日に配信したものです。
全体として重要で、吉田調書の読み解きのため前提として押さえておくべき必須の考察ですが、後半で田中さんは「東電発表の読解の仕方」とでもよべるべき優れた観点も提示してくださっています。この点は稿をあらためてまた解説しようと思います。

明日に向けて(171)地震による配管破断の可能性と、東電シミュレーション批判(田中三彦さん談)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b3708b03147d12b3864f0c8fc3819642

明日に向けて(176)地震による配管破断の可能性と、東電シミュレーション批判(田中三彦さん談再掲1)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/f1914e7352792c89767a9c7585ee4a00

明日に向けて(176)地震による配管破断の可能性と、東電シミュレーション批判(田中三彦さん談再掲2)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/8d603fe6649fe963d189d712df46e0c5
さて吉田氏へのこの部分の聴衆が行われたのは7月22日。原文を読むと質問者の側が明らかに田中さんの提示している内容を強く意識して話を進めていることが分かりますが、東電は早くも2011年末にこの問題への対応を行っています。
というのは調書のここの部分だけは、東京新聞の情報開示請求に基づいて2011年12月6日に保安院から発表されたのですが、その時に、実は吉田所長が非常用復水器が止められていたことに気づいていなかったことが調書に基づいてハイライトされたのでした。実際に吉田所長は、「復水器がずっと動いていると思っていた」と述べていたのです。
これに続いて東電は関連団体から8日に、もし吉田所長が復水器の停止に気がついていたらメルトダウンには至らなかった可能性が高いと発表させました。非常用復水器がなぜ止められたのかの問題を、止まっていることを知らなかった問題にすり替えた上で、メルトダウンの責任を吉田所長に被せたのです。

当時に東電は、事故前に指摘されていた想定外の津波が襲う可能性のレポートを、前職時に吉田氏が握りつぶしてしまったこともあわせて発表しました。メルトダウンさせてしまったことにも、津波を想定できなかったことにも、吉田氏の責任が大きいと発表したわけです。
ただそれで吉田所長をさらし者にしたのかというとそうでもなく、当時に東電は吉田所長が「食道がん」であることも発表。会見で被ばくの影響も匂わさせつつ、病を理由とした辞任を発表しました。実際に吉田氏はその後にすぐに入院してしまいました。
このことで記者たちは一方的に発表を聞かされただけで、吉田氏に取材しようにもできなくなってしまったのですが、これらの一連の発表の流れが東電によって用意周到な準備の上になされたことは明らかです。ポイントはあくまでも復水器の手動停止が物語る配管破断の可能性を隠してしまうことでした。このことを分析した記事をご紹介しておきます。

明日に向けて(350)非常用復水器停止を所長は知らなかった?(東電・経産の原発生き残り戦略を暴く2)
2011年12月9日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/85081b4ab51e4147406358fdc63a338c

これら一連の過程を振り返るならば、吉田調書が冒頭において、原発が地震で壊れたのか、津波で壊れたのかという大問題を孕んでいることが非常によく見えてきます。
また東電が復水器を稼働後11分という短さで手動停止した合理的理由を最後まで説明せず、問題のすり替えを行ったこともはっきりと理解できます。もちろんすり替えねばならなかったのは、地震による配管破断以外に手動停止の説明がつかないからです。
ここから明らかになるのは、吉田調書を額面通り受け取ってはいけないという点です。東電の仕掛けた自己防衛のストーリーにはまってしまうからです。そのためには「東電発表の読み解き方」を身に付けておく必要がある。次回はこれを解説したいと思います。

続く