守田です。(20130731 17:30)

29日に深夜に京都に戻りました。この一週間ぐらい、福島3号機の状態に危機感を覚え、状況の分析と配信に力を入れてきましたが、それを通じて見えてきたことをまとめたいと思います。
まず3号機の現状ですが、その後の情報がほとんど出てきていません。僕が唯一見つけたのは福島民報の7月30日付の記事です。短いので全文を引用します。

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3号機建屋で湯気 第一原発放射線量変化なし
福島民報 2013年7月30日 09:50
http://www.minpo.jp/news/detail/201307309960

東京電力は29日、福島第一原発3号機の原子炉建屋5階部分で出ていた湯気のようなものが確認されたと発表した。23日以降、断続的に出続けているとみられ、詳しい原因を調べている。
午前7時ごろと午後4時ごろに確認された。東電は原因について、5階床の隙間から入り込んだ雨水が原子炉格納容器のふたで温められたことや、水素爆発を防ぐために格納容器内に封入している窒素ガスが漏れ出し外気との温度差で湯気となった可能性があるとみている。
周辺のモニタリングポストで計測される放射線量に目立った変化はないという。

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ちなみにこの福島民報の記事の出所を僕はつかめませんでした。東電による発表をくまなく点検してもこの29日の発表が見あたりません。そのため福島民報の記事を信頼して先に話を進めることをお断りしておきます。
ご覧のように29日も再び湯気が確認されたそうです。さらに「23日に以降、断続的に出続けているとみられ、詳しい原因を調べている」とあります。湯気が相変わらず続いていることと、東電自身が未だ原因をはっきりとつかめていないことがここから分かります。
それ以上は、推論はできても確からしいことは分かりません。あまりに情報がない。ましてや避難すべきか否か、何ら判断根拠になるものはありません。もちろん安全だと断定することもできません。

僕自身、7月25日から29日まで関東にいたわけですが、つくづくこの福島原発の現状に向かい合いながら、原発に近い関東・東北の町で暮らしていくことのしんどさを感じざるを得ませんした。
そこにお住まいの方に、こう書くのは申し訳ないのですが、しかしこんなこと・・・「原発が極めて危険なのでは、すぐにも崩壊するのでは」という状態がもう2年数ヶ月も続いているのです。こんなときに大きな地震が来たら、まずはお住まいのみなさんの胸が潰れてしまうのではないか。
いや実際に、これまでも何度も、揺れの強い地震があるたびに、「原発は大丈夫か!?」と、心臓がドキドキした経験を持つ方がたくさんおられるはずです。
こうした恐怖の連続に対して、人は一般的に、危機感を麻痺させ、危険を感じなくなることによって己を守ろうとする傾向を持っています。それが正常性バイアスですが、ある意味ではそれは生活の知恵であるとも言えます。しかしその重なりが、危機の察知能力を低下させ、危機そのものを深めてしまいます。

しかも同時に今回、考えざるを得なかったことは、福島原発の現状は、時間が経つに連れて安全度が増しているとはとても言えず、むしろ危機が少しずつ堆積していると言えるのではないかというとです。
何よりもあらためて実感したのは、放射能を閉じ込めることを任務とする格納容器が壊れてしまっていることの恐ろしさです。しかも壊れている度合いもはっきり分からない。だから湯気が出てきても、にわかになんであるか判断もできない。
そもそも福島原発は老朽化した原発でした。その炉がそれぞれ水素爆発や、核爆発をも含むと思われる爆発にさらされました。その後、非常に強い余震が何度もプラントを襲いました。
しかも内部のどこかに溶け落ちた燃料から、今も非常に高い放射線が出ています。放射線は生命体だけでなく、あらゆる構造物をも分子切断し、弱くしていくのであり、それがいかに構造物を弱めたかなど、計量などとてもできない形で格納容器や周辺の構造物に当たり続けています。燃料の発する熱も壊れた格納容器にとってのマイナス因子です。

こんな格納容器が、この先、どれほど持つのでしょうか。はっきりしていることは誰にも分からないという現実ではないでしょうか。明日、崩壊してしまうのかもしれない。少なくとも「そんなことはない。安全だ」というだけの科学的保障が全くないのです。放射能を閉じ込める最後の砦の「格納容器」が壊れているのはそれほどに深刻なのです。
ある原発に近い地域の方から、自分の周りで「3号機が崩壊する可能性は小さいらしいよ」という声が聞こえていると伝えてくださいました。しかし問題は崩壊の可能性があることそのものにあります。小さいか、大きいかではない。いや小さくとも危険性があることそのものが大問題なのです。しかも危険性の大小の問題も、判断する根拠がありません。
それが「福島原発の今」だと言わざるを得ません。だからこそ、ぜひともいざというときに備えて、避難の準備を怠らないで欲しいというのが、今、言えることですが、これを個人の努力だけで続けていくことも非常に苦しいものがあります。
例えば、今回、都心を走る電車の中で、マスクを着用しているのはほとんど僕だけでした。暑い最中です。マスクをし続けるのはしんどい。こうした中で一人、格闘することはなかなかに辛いことだと思います。

ではどうしたらいいのか。やはり可能であれば、原発の近くからできるだけ遠くに移住することをお勧めしたいと思います。現在の線量の問題だけでなく、今後の事故の拡大の可能性を考えてのことです。何せ格納容器の内部のものが漏れ出ているのです。
それが把握のできないうちに広がり、吸引してしまう可能性は十分にあります。いや格納容器からの漏れがなくとも、すでにそうしたことはたびたび起こっています。なぜなら各地で除染したあとに線量がもとに戻ってしまっているからです。
このことでしばしば「除染の無意味さ」が指摘されています。確かに「無意味」ですが、しかしそれ以上に、線量が再び上がるということは、放射性物質が対流していることの証左です。そこにいれば吸引してしまう。吸引による内部被曝が起こっているのです。
それに加えて、格納容器の密閉性が失われている。当然にもそこからの漏れ出しが続いており、いつ急激に拡大しないとも限りません。もちろん破滅的な事態の進行の可能性もあり続ける。そうした状況下で暮らしていることが極めてリスキーであることを説かざるを得ません。

しかしそうは言っても多くの方が、移転するのには大変な困難があること、これまで営々と築いてきた人間関係が失われるなど、手放してしまうことがあまりに多いこともよく分かります。移転後の生活の保障も大問題です。
ではどうするか。避難の代わりに、地域で、友人間で、あるいは可能であれば行政を巻き込んで、できるだけ多くの人と一緒に避難訓練を行うように努力してください。まずは図上訓練でいい。それを進めて欲しいのです。なぜか。直接には避難訓練を絶対に行わなければいけない危機が目の前に有り続けているからです。
そして第二に、避難訓練を行うことで、放射能との向き合い方が、個人の努力に依拠するものから、集団で行うものへと少しずつ移行することが可能になるからです。その方が個人の放射線防護のモチベーションも強め、高いレベルで維持することができます。
この点については、原子力規制庁ですら、国民・住民に、避難の準備を行うことを求めているのです。僕はその内容の不十分さを批判するものですが、しかしどんなものであれ、原発災害を想定した訓練を行うことには積極的な位置があります。原発事故と放射線被害を意識することになるからです。

またこのようにリアリティをもって取り組むと、原発の近くに子どもたちがいることの危険性が鮮明に見えてきます。近ければ近いだけ、どう想定しても全体をすんなり逃がすことなどできないことが見えてくるはずです。そこから町全体が移転できなくても、可能な転出を進める必要性も多くの人に見えてくると思います。
具体的には学校の疎開です。小学校、中学校など、放射線に弱い子どもたちを組織的に先んじて逃がしておく。もちろんこれは今ある放射能からの防護としてもとても有効です。
こうした意識をみんなで育むためにも、原発災害をリアルに想定した避難訓練を地域で進めることが重要です。ぜひ全国で、とくに金曜行動などを担っているみなさんが、避難訓練を始めることの重要性に刮目して欲しいと思います。
僕を呼んでいただければ、もちろんどこにでも趣いて、「原発災害についての心得」などをお話しし、まずは第一歩である図上での原発災害避難訓練を手ほどきさせていただきます。是非ともこうした活動を広めて欲しいです。

私たちの前には、今なお、もの凄く大きな危機があり続けています。しかし打つ手はあります。次善の策もあります。大事なことは、危機を忘れることによって、仮想の「安全」の中に逃げ込むのではなく、できるだけ多くの人と一緒に、「原発の今」としっかりと向かい合い、災害対策を進めることです。
私たち自身の手で、安全をたぐり寄せていきましょう!

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これまでも紹介してきていますが、原発災害対策の講演内容を7分ほどにまとめたビデオをご紹介しておきます。

原発災害に備えよう
守田敏也
http://www.youtube.com/watch?v=2RxGAXsgWlQ

なお最近、ツイッターでも情報発信しています。@toshikyotoをご覧下さい。