守田です。(20130210 22:30)

昨日、京都市伏見区醍醐で行われた、ナラ枯れ防除活動報告集会に参加してきました。 久しぶりに、わが師匠、主原憲司さんの講演を聞いて、心が洗われる思いがしました。
この内容をFACEBOOKに紹介したところ、多くの方が共感してくださってので、こちらにも紹介したいと思います。なお主原さんの考え方の一端を紹介した短い文章ですので加筆を考えましたが、たまには短い文章の方がみなさんも読みやすいかと考えて、このままに投稿します。主原さんの講演の詳しい中身については、おって投稿します。

主原さんは、この日の発言の冒頭で「私は自然保護という言葉が嫌いです」と話し始めました。「自然保護」とは、人間の側が都合よく自然を善悪に分けて、自分に必要なものを守ろうとしているに過ぎないからです。
コナラをカシノナガキクイムシから守ることも実はそうです。このムシたちがコナラなどナラ類と接触してしまったのは、温暖化という人為的な要因のためであって、悪いのはムシたちのせいではない。でも私たちは私たちの必要から、カシノナガキクイムシを「害虫」と読んで、駆除しているのです。

「害虫というのなら、自然環境にとって、最も害をなしているのは人間です。このことを忘れず、ムシたちの側から世界を見てください」と主原さんは呼びかけます。「いつもカシノナガキクイムシのコロニーを封殺しながら、アイ・アム・ソーリーと言い続けています」と主原さん。
講演で必ず主原さんが語るフレーズですが、今日も話しながら主原さんは目に涙をためていました。

企画のあとの交流会でも同じような話がでました。街の中のゴミを「荒らす」カラスたちの「困った行動」が話題になっていたのですが、主原さんはカラスの擁護者として登場。「コンビニが大量の食材を捨てるために、カラスが集団で集まるようになり、街のゴミも漁るようになりました。これをカラスの側から見て欲しいのです。悪いのは先にマナーを崩した人の側です」と主原さん。
実際、京都の鴨川などを歩いていても、トンビに餌をやっている人を見ることはありますが、カラスに餌をやっている人は見たことがない。トンビはかわいく、カラスは不気味で「悪者」と人の側が決めているのです。そんなこと、カラスの知ったことではない。
「うちでは、肉の脂身など、食べない部分をとっておいて、カラスにやることがあります。でもそれを人が見ると、なんてことをするんだということになりかねない。下手にカラスに餌をやると、カラスを呼び寄せているという批判にさらされかねません。でもカラスだってかわいいんですよ」とも。

ではなぜ木を守る必要があるのか。
「休みという字を思い起こしてください。人が木によりかかって休みになるのです。英語の森(forest)も、休息(rest)のためと書きます。人は木に寄り添ってないと生きていけないのです。人には木が必要なのです」と主原さん。私たちは木がないと生きていけないから、木を守る必要がある。申し訳ないけれど、カシノナガキクイムシの生を抹殺して、木を守っているのです。

自然保護・・・といっても、私たちは自然に手を加え、そこから命に必要なものをいただいている存在です。そのことを頭におき、謙虚な気持ちで、感謝の念を持ち、謝罪の念も忘れずに、自然の恵みをいただき続けていく必要があります。それを主原さんに切々と訴えられて、いつものことなのですが、あらためてその通りだと思いました。
主原さんの言葉を胸に、謙虚な気持ちで、明日からも歩んでいきたいです。