守田です(20201208 23:00)
本年8月15日に書いた記事をリメイクしてお届けします。
何度でも確認しておくべき重大な事実がここにあるからです。
● 日本の指導層はアメリカに勝てないことを知りながら戦争にのめり込んだ
79年前、1941年の本日12月8日、大日本帝国政府はハワイの真珠湾にあった米軍基地を奇襲し、日米戦争の火ぶたを切りました。
この日に、あるいはここ数日の間に、ぜひともご覧になって欲しい番組があります。NHKが2011年に「日本人はなぜ戦争へ向かったのか」と問うて作成したドキュメントの4回目「開戦・リーダーたちの迷走」です。
日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回「開戦・リーダー達の迷走」
https://www.dailymotion.com/video/x1x0qaq?fbclid=IwAR0iG8zABGOLp9PfeCkrZpUbIjLdt8oUO0jgJ5jfqaAf1bwpf-9xz7cu9MQ
この番組を見ていただきたいのは、開戦当時、天皇を囲んだ午前会議に出ていたすべてのメンバーが、日本はアメリカに絶対に勝てないと認識していたことが描かれているからです。
アメリカと日本の当時の国力差は総合力で80対1。どう考えても勝てるはずなどない。政府と陸海軍がそう考えていたのに絶対に勝てない戦争にのめりこんでしまった。端的に言って誰一人、この国を本気で守る気を持ってなかったのです。
戦争を止めなかった大日本帝国の首脳たち 同番組より
● なぜ戦争を回避できなかったのか
絶対に勝てない戦争をなぜ回避しなかったのか、最大の理由は、自分たちがさんざん戦争熱を煽ったために好戦的になっていた日本民衆を恐れたことでした。
このころ日本はアメリカに、中国からの撤兵を要求されていましたが、それまで20万の兵士の死をもたらし、国家予算の7割をもつぎ込んでいたため、引き下がることができなくなっていました。
しかしとても勝ち目がないことははっきりしていました。海軍は何度も繰り返した演習や図上演習からも、米軍に勝つ道がないことを熟知していました。
このため海軍は、先に陸軍に戦争を回避を言いだして欲しいと考えましたが、陸軍も同じように考えました。結局ともに黙っていたのです。
そんな中で内大臣木戸孝一の推薦のもと、東条英樹内閣が生まれましたが、その狙いは戦争回避にありました。天皇に忠実な東条なら天皇が戦争回避を命令すれば陸軍を抑えるだろうと考えられたのです。
しかし昭和天皇もまた「戦争を止めよ」とは言い出しませんでした。その結果、絶対に勝てない対米戦争にのめりこんでいったのでした。
20万人を失い予算の7割も使っていた 同番組より
● 誰も国を守ろうとは思わず身体をはりもしなかった
このあまりにばかばかしい事態がなぜ生まれたのか。番組の最後で、佐藤賢了元陸軍省軍務課長がこう述べています。「独裁的な日本の政治ではなかった。だから(戦争回避)はできなかったんです」
「こうした日本人の弱さ ことに国家を支配する首脳 東条さんをはじめ我々の 自主独往の気力が足りなかったことが この戦争に入った最大の理由だと思います」
そうではありません。この捉え方はまったく間違っている。はっきりしているのは、誰も命をかけてこの国を守る気などなかったということなのです。責任感や倫理感もまったく欠けていた。
もちろん昭和天皇もそのうちの一人です。誰もが勝つのは無理だと知っていたのだからら、大元帥であった天皇が「戦争をやめよ」と命令すれば、誰もが喜んでしたがったでしょう。
誰かが止めればあの戦争は回避できた。
にも関わらずこの国は対米戦争に突入し、太平洋戦線で敗北を重ね、やがてアメリカに沖縄上陸、本土空襲、原爆投下という暴力を繰り返され、ものすごい死者を出して崩壊したのでした。
国力の左は歴然だった・・・同番組より
● 同じことを繰り返させなどしない!
その後、この国は平和憲法を持ち、戦争を否定して今日まで歩んできました。戦争で傷ついた人々、わたしたちの先達が懸命になって民主主義を育ててきてくれました。
しかし勝つ見込みのない戦争に国をひきずり込んだこの国の支配層は、戦後はアメリカに全面的に擦り寄ることで生き延び、その戦争政策を支えてきました。
このためこの国は、世界有数の地震大国であるにもかかわらず、アメリカに押し付けられた危険な原発を次々と建て、福島原発事故で、国の半分がなくなりかねない危機に直面しました。しかもそれでもなお原発にしがみついている。
なぜこんなことが繰り返されるのか。あの時もいまも同じです。この国の支配層の誰もこの国を大切だとは思っていないし、この国の山河もいわんや人々をも愛してなどいない。いわんや守る気などさらさらないのです。
ではあの時と今は同じなのでしょうか。それも違います!戦後、日本民衆はかつての侵略戦争を捉え返しつつ、アメリカの戦争政策への政府への加担に対しまざまな抵抗運動を作りだしてきたからです。
原水爆反対運動やベトナム戦争反対運動などはその典型で、それは成田空港反対の大きな運動を作りだし、さらにいま、沖縄の米軍基地の辺野古への移設を阻む力ともなっています。
そして福島原発事故後、さらに多くの人々が政府のウソに気づきました。原子力平和利用にだまされていた自分たちのあやまちにも気づき、世論の大半が原発反対を唱える状態を生み出すにいたっています。
私たちがしっかりと踏まえなければならないのは、この私たちの力こそが、この国の本当の安全を守り、人々を守り、平和を支えている源だということです。だから私たちはパワーアップしましょう。すべての愛するもののために。
開戦の日にこのことをあらためてみなさんと誓い合いたいです!
各地の民衆行動こそがこの国の人々を守っている! 核の犠牲者を追悼するビジル 三条大橋 2020年8月6日 守田撮影
#開戦の日 #日米戦争 #太平洋戦争 #負けると分かっていた
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