守田です。(20121117 12:00)

広島県呉市のホテルからです。明日の広島市の講演のために訪れています。

昨日、他の用事もあって広島に来たのですが、その前日、15日に京都でグアテマラ戦時下性暴力スピーキングツアー2012に、スタッフの一人として参加しました。「沈黙を破って」はそのタイトルです。

今回、発言されたのは、グアテマラで性暴力にあった女性たちを支えているアリシア・ラミレスさんですが、発言を聞いていて大変、共感しました。ただちにノートテークをしましたので、何はともあれみなさんに読んで欲しいと思います。通訳の新川志保子さんの事前説明も加えます。

本当はコメントしたいことがたくさんあるのですが、文字起こしが長いので、先にその全文を掲載し、後にコメントを書きたいと思います。

なお、このスピーキングツアーは現在、広島市に来ています。二つの会場で行われます。グアテマラの民芸品の販売もしていますので、お近くの方、ぜひお越しください。僕は自分の企画などのスケジュールでいけませんが、、直接、お話を聴き、文面では紹介できないスライドなども見ていていただけたらと思います。スケジュールを示しておきます。

■11月17日(土) まちづくり市民交流プラザ(広島)19:00~
 猪原(082-294-2953)
■11月18日(日) カフェ・テアトロ アビエルト(広島)17:00~
 猪原(082-294-2953)

http://recomblog.blog92.fc2.com/

以下、京都講演の内容をお伝えします。長いので2回にわけようかとも思いましたが、広島講演が今日、明日と行われていることを鑑みて、いっぺんに掲載することにしました。長文をご容赦ください。

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グアテマラ・マヤ 戦時下性暴力 スピーキングツアー2012
沈黙を破って アナ・アリシア・ラミレス・ポップさん

2012年11月15日 京都市東山いきいき市民活動センターにて

通訳・新川志保子さんによる事前説明

今日の通訳をする新川志保子です。もう一人助っ人がいます。石川智子です。彼女がアリシアさんへの日本語からスペイン語への通訳を担当してくれています。

今日はアリシア・ミレさんのお話を聞いていただくわけですが、その前に、グアテマラで取り組まれている性暴力プロジェクトと裁判についての少し説明をしておきたいと思います。
グアテマラは人口が1200~1300万人の国、過半数が先住民族のマヤの人々です。マヤの人日は、スペインの侵略以降、人口の大多数であるにもかかわらず、差別されて搾取されてきました。

今世紀に入ってから、土地問題を改革しようとする自由主義政権が生まれました。しかし当時から力をもっていたアメリカ合衆国が介入。自由主義的な改革を心よく思わないアメリカ政府が後押しして1954年に軍事クーデターが起こります。
これに対して反政府ゲリラが生まれてグアテマラは内戦になります。これが1960年から1996年まで36年にわたりました。その36年間の中でも、とくに80年代初頭、80~82年に、ものすごい暴力がふるわれた時代でした。

ゲリラの勢力拡大に対して危機感を持った政府軍が、ゲリラ勢力一掃作戦を繰り広げるわけです。ゲリラをせん滅するためには、ゲリラを支援している人々ごと殺そうという焦土作戦が展開され、主にマヤの農村部で行われました。
被害のほとんどはこの時代に集中しているのですが、内戦全体で20万人以上が殺されたり、行方不明にされました。マヤの農村部の村々が440も焼き払われました。犠牲者の人々のほとんどがマヤの人々でした。

軍に襲われたところではほとんどと言っていいほど、女性に対する性暴力が兵士によって行われました。しかしグアテマラだけではないですが、性暴力の被害はなかなか表に出せません。被害を受けた女性たちが沈黙を強いられ、苦しみ続けてきた女性がたくさんいます。

1996年に内戦が終わりました。その前にカトリック教会が被害の実態を報告していますし、和平直後にも国連の真相究明委員会ができて、報告書がでました。二つとも内戦中に行われた人権侵害の数々を述べています。
性暴力についても触れているのですけれども、しかし自分に起こった被害を話せる女性が少なかったために、被害の実態、どれぐらいの女性が被害にあったのかが把握できませんでした。それでこの問題をなんとかしようと、性暴力の問題、ジェンダーの問題で活動する女性たちが出てきました。

そうした中で、2000年に東京でアジアの女性たちにより、性奴隷制の問題を告発する民衆法廷が開かれました。法廷は3日間だったのですが、1日、国際公聴会も行われました。ここでは過去に起こったことだけではなく、現在まで起こっている問題としてとりあげようということで、世界各地の紛争地から被害を受けた女性たちを招いて実態を知ろうとしました。

そこにグアテマラから1人の女性が参加しました。ヨランダ・アギラルさんという女性で、やはり内戦中に秘密警察に捕らえられ、数週間にわたって拷問と強姦を受けました。生きて帰ってこれましたが、その経験を話してくれました。
そのとき彼女が言ったのは、性暴力の被害者は、とても苦しんできたけれども、しかし被害者の立場だけにとどまってはいけないということでした。

そのヨランダさんが、女性法廷を傍聴し、アジアの女性たちの証言を聞いて、とても強い印象を受けるわけです。女性たちのエネルギー、民衆法廷を開いた人たちの努力を実感し、グアテマラに帰ってからぜひ自分もそのような活動をしたいと決心するわけです。それで仲間を募ってはじめたことが、アリシア・ミレさんのプロジェクトにつながっていくわけです。

性暴力にかかわらず、グアテマラの内戦の被害者のほとんどはマヤの人々です。性暴力を受けたのも大部分がマヤの人々です。農村のマヤの人々は、スペイン語を話さない人が多いのですね。
またマヤの言語も同じマヤ系でも23の異なる言語があって、似ているところもありますが、お互いに通じない言葉もあるわけです。そういう障害もありますが、その中で性暴力を問う活動を始めていって、グアテマラの3つの地域から60人の女性が参加して始まりました。

女性たちの状況を知ってみると、やはり被害を受けて、心の傷が相当に深いことが分かりました。そのためメンタルヘルスも必要だということになり、そうした活動をしている組織が加わりました。また女性の権利のための活動をしている組織も加わって、二つの組織によって運動が始まりました。

それが現在にどういたっているかをアリシアさんに聞いて欲しいと思います。それがどんどん広がっていって、2010年に戦時下性暴力に関する民主法廷を開催するに至りました。
民衆法廷は非常に成功したのですが、それに力を得た女性たちが、グアテマラはまだまだ危険な状況であるにも関わらず、やはり加害者の処罰を要求したいといういことで、15人の女性たちによる集団訴訟が始まるところです。この辺の経緯も、女性たちにずっと寄り添っているアリシアさんから聞ければと思います。

アリシア・ラミレスさんは、今年、36歳のマヤ女性です。4歳のときに村が軍に襲われて、命からがら家族と逃げるという経験をしています。屍を乗り越えて走って逃げたのを覚えているそうです。着の身着のままで、軍に殺されないために、山の中を逃げました。
いろいろな経験をして、家族とも離れたりしたそうです。そのあと、少し大きくなってから学校にいけるようになりましたが、12歳までスペイン語は話せなかったそうです。

その後成長する中で、真相究明活動に参加し、自分や家族に、村、マヤの人々に起こったことを学び、理解を深めました。そういう中で戦時下性暴力のサバイバー女性たちの集まりにも参加するようになり、メンタルヘルスの立場から女性たちをサポートする団体、「社会心理行動と共同体研究グループ(ECAP)」のファシリテーターとして活躍しています。

彼女はマヤ語とスペイン語を話せるので、女性たちの信頼を得ています。立場もよくわかっています。そのためマヤ語とスペイン語の通訳も行い、裁判でも公式通訳として重要な役割を果たす方です。ということでアリシアさんの話を聞きたいと思います。

アリシア・ラミセスさんのお話

どうもありがとうございます。最初に説明がありましたので、私は、現在私たちが行っている活動について説明したいと思います。

スクリーンに写真が出ていますけれど、これはマヤの儀式の祭壇の写真です。本当は儀式をしたいのですけれど、今日は写真を使いたいと思います。重要なことをするとき、成功を祈るときなどに、私たちはこのような祭壇を作って儀式を行います。
ここには東西南北の方向や、マヤの世界観が盛り込まれています。色に意味があります。二つだけ重要な色を説明しますが、緑は私たちがたどるべき道を表しています。黄色は家族のつながりや団結、連帯を意味します。

さきほど説明にもあった、ヨランダ。ギラルさんの経験から、グアテマラでも同じような活動しようということになり、2002年から始めました。内戦中、とくに暴力のひどかった時代に被害をうけた女性たち、心の傷を吐き出せないで苦しんできた女性たちがたくさんいましたが、そういう女性たちを探しはじめました。

最初に活動に参加している一人の女性の話をします。マルガリータさんです。被害を受けたときは24歳でした。すでに結婚していて3人の子供がいて4人目がお腹にいました。軍がやってきて夫が拉致されて、今もどこにいるのか、あるいはどこに埋められているのかも分からない状況です。悲劇はそれだけでは終わらずに、彼女の町に軍の駐屯地ができましたが、そこに連れて行かれてて、6ヶ月の間、性奴隷にされていました。毎日、兵士たちのために食事を作り、洗濯をする労働をさせられた上に、毎日、兵士5人ぐらいに強姦され続けました。

マルガリータさんは6ヶ月、性奴隷とされたのですが、唯一、逃れることができるのは、誰か男性を見つけて再婚することでした。軍の駐屯地に連れ込まれる女性は、12歳から14歳といった結婚前の女性か、夫がいない女性、殺された女性でした。それは女性が所有物だということともつながると思いますが、誰かと結婚すると性奴隷にされることからまぬがれられました。彼女もそこから逃れるために再婚したそうです。

このマルガリータさんだけではなくて、多くの女性たちがすさまじい経験をしています。それでそういう女性たちに同伴しながら活動するために、最初は、「社会心理行動と共同体研究グループ(ECAP)」、エカップというのですが、その団体と、女性の権利、ジェンダー問題について活動している組織、「グアテマラ全国女性連合(UNAMG)」、ウナムヘという二つの団体の共同として活動を始めました。

グアテマラのマヤの人々の間には23の言語があります。多くの地域から女性たちが参加しています。現在は110人です。(注 地図を示して活動地域の名前、そこで使われる言語の説明がありましたが、メモしきれなかったので割愛します)

このプロジェクトは内戦の性暴力に関して始まりましたが、その後に2007年からの鉱山開発とプランテーションづくりのときに、地域の人々の強制立ち退きが行われました。そのときに軍や警察官が入って暴力が振るわれ、そのときも性暴力が発生しました。そのためその被害女性たちにもアテンドすることを始めています。

私はECAPの仕事=メンタルヘルスの活動をしていますが、チームを作って女性たちと行います。そのチームにはメンタルヘルスの基礎を学んだプロモーター女性、マヤ女性で言葉が同じ人たち、それから心理学を学んで、心の傷をケアする方法をもった女性たちがいて、それでチームを作っています。

まず同じ地域に住む女性たちでチームを作り、相互の信頼と連帯を築き、互いに秘密を守ることを基本に活動しています。その中で女性たちが自分の身に起こったことを、恐怖を克服して、沈黙を破って話し出すというプロセスを経るわけです。それでプロジェクトの名前も、「沈黙を破る女性たち」となっています。

こういう活動を通じて、女性たちが自分に自信を持つ、あるいは自分に価値を見出し、自分を信頼する過程が始まります。けして彼女たちに起こったことを話してもらうことを強制しません。自分で納得して話ができるまで待ち、そういう状況を作っていくという活動です。
そのためには心理学的な方法論が非常に重要です。こういうセッションを続けることで、女性たちが加えられた物理的な害、心理的な害、そして社会的な害に対して、女性たちが気づいていくことが大事です。

社会的な害という場合、軍がやってきて強姦される場合、人々が集まる公共の場で行われたことが多く、そういう経験は女性たちにとって決定的な傷で、それ以来、悪夢が続く状況だったわけです。その意味で社会的被害を認識するのはとても重要です。

そうした女性たちへのケアの方法論として、アートセラピーというものを使いました。これはエルサルバドルにあるアートスクールの支援を受けて、粘土で自分に起こったこと、自分がどう感じているかを形で表すエクササイズを行いました。また壁画でも表現しました。こうしたアートセラピーを5年間、続けました。社会心理学的な観点から非常に役にたった方法でした。

アートセラピーでいろいろなものを作り、自分に起こったことは思いを表現するわけですね。カラフルな壁画の写真をお見せしましたが、2008年に共同で製作した壁画です。1週間かかって描きあげたのですが、サイズは縦2メートル、横4メートルでした。

作り終わってから、学生たちにそこにを話す機会が何回かありました。女性たちは30年間話せなかったわけですけれども、はじめて話して、しかもそれを説明するところにまで至ったのですね。それですごく女性たちがエンパワーメントされたのですが、その中から、民衆法廷を行いたいという希望が生まれてきたわけです。

民衆法廷時代は2010年でしたが、その準備期間中に、物理的な準備だけでなく、女性たちの活動を支援すうために、女性たちが住む地域のリーダーたちにたいする意識化キャンペーン、人権意識を広めることや、過去に起こったことをどのように解釈するかなどに取り組みました。

民主法廷とは言え、法廷ですので、このあたりから女性の弁護士の組織のMTM、「世界を変える女性たち」という弁護士組織が運営に関わりだしました。ですから最初にあった2団体と、このMTMの3つで法廷を開催し、今もプロジェクトの運営をこの3団体で行っています。

女性たちが作った壁画を再度、お見せしますが、これは女性たちに起こった恐怖を表現しています。兵士たちがいて、通るところ、見つけるものをすべて破壊していった。家が焼かれ、家畜が殺され、人々が殺されて、埋められて秘密墓地ができました。それらが表現されています。

そういう形で3団体で行いました。チームで女性たちが集まっている写真がありますが、このように月に1、2回ですが、チームと女性たちで集まり、いろいろなことを話し合いました。
2009年に、2000年の女性法廷の開催に大きな役割を果たしたジャーナリストの松井やよりさんが亡くなられて、その意思をつぐ「やより賞」という女性人権賞ができたのですが、それをこのチームが受賞しました。

その副賞が2000年の民衆法廷のビデオだったのですが、それを持ち帰って、民衆法廷の前に女性たちとみてとても役に立ち、力をもらえました。女性たちだけでなく、コミュニティのリーダーの意識化をする上でもとても役に立ちました。

それで2010年民衆法廷が開かれ、名誉判事が4人参加しました。実はそのうちの一人は私(新川)でした。レコムから支援をしているということ、日本との関わりもあるので一人入って欲しいということでえ、判事になりました。

私(アリシア)は民衆法廷のときは、ケクチ語(注 グアテマラ高地で使われているキチェ・マム語群の一つ)とスペイン語の同時通訳も務めました。女性たちは法廷に出た場合、まだまだグアテマラでは身元がわかると危険なことが多いので、法廷では顔を隠して証言しました。

全員証言するのは時間的に無理だったので、各地域から代表を出して話してもらいました。このときは3団体のほかに、グアテマラ・マヤ女性の会で、コナビグア、「連れ合いを奪われた女性の会」も共催団体とし参加してくれました。

この民衆法廷は大成功でした。たくさんの人が傍聴に来てくれたほかに、国際社会からも大きなプレゼンスがありました。各国大使もきましたし、国連の女性関係の機関などもきました。各国からの支援団体も集まってきました。
参加した女性たちにとってそれを見ることは本当に重要なことで、女性たちの勇気を讃えるという人々の気持ちが、非常に大きな励ましとなりました。

私は同じケクチ語地域の女性たちをアテンドしていたのですが、民衆法廷にみんなでバスをしたてて参加しました。終了後に同じバスで帰ったのですが、女性たちが、ついに自分たちのことを話すことができたと、とても喜んでいたし、多くの人の励ましがあったということをとても喜んで、みんなで歌を歌いながら帰りました。

内戦が終わった後、真相究明委員会報告などが出ましたけれども、そこには性暴力は本当にわずかしか書かれていないのが現実で、実際に被害を受けた女性たちはたくさんいるのにもかかわらず、社会的な刻印をおされて、話せないでいる人がまだまだいるわけです。

この民衆法廷のあと、さらに活動を続けて、女性たち住む地域、コミュニティで13歳から19歳の子ども、若者を対象にした意識化キャンペーンを行いました。子どもたちは過去に何が起こったのかわかっていないので、自分たちの村に何が起こったのか、あるいは性暴力の問題をもっとよく理解もらうためのキャンペーンです。

さらにコミュニティの中で、重要な役割についている男性たちも対象にし、性暴力の問題や人権について、意識を持ってもらうためのキャンペーンも行いました。学校の教師たちを対象にしたキャンペーンも行って、なるだけ私たちの活動の後ろ盾になってもらおうということも含めて、こうした人たちを対象にした活動も行っています。
こういう活動を続けることで、女性たちにとってだけでなく、わたしたちにべてにとっていい社会が作られていくのではないかと思います。

民衆法廷が終わった後に、この性暴力についてのプロジェクトに参加している110人のうち15人が、社会がもっと自分たちに起こったことを知るべきだという強い希望をいただきました。性奴隷にされたのは自分たちのせいではないということを差社会が知る必要があるし、責任があるのは軍の方だということをさらにはっきりさせいという意志を表明したのです。

それで刑事裁判を始めることになったわけです。2011年に共同告訴人として警察に告発を行いました。民衆法廷を通じて理解を得られた人たちの協力を得ながら準備をしてきました。

それで今年になって、9月24日の週から、女性たちが裁判所で、-グアテマラの裁判所には幾つかの犯罪の種類によるカテゴリーがあるのですが-重罪を扱うハイリスク裁判所というところで、判事、裁判官、弁護士の立会いのもとに、この15人が、自分に起こったことを証言しました。マスメディアもやってきて話題になりましたが、通訳が3人ついて、私はその一人でした。

これまで何年も女性たちと一緒にやってきていて、女性たちに起こったことを十分知ってはいましたが、そういう場であらためて通訳すると、話した女性たちはもちろんですけれども、通訳した私たちも、本当にその内容のひどさに辛い思いをしまいた。

例えば証言した女性の一人は、軍の弾圧を受けて着の身着のまま、山に逃げこまなければいけなかったのですが、小さな子どもを3人、4人連れていました。山の中で食べるものが何もなくて、子どもたちが一人一人、餓死していきました。その子どもたちを埋めなければならなかったという証言があり、話している本人もそうですし、通訳している私たちも本当に辛い思いをしました。

けれども、証言が終わって、女性たちが家に戻って、その人たちの安全確認のために3日後にまた彼女たちに会いに行きましたが、そのときにこの証言をした女性が、これでもういつ死んでもいい、自分に起こったことを話すことができたので、いつ死んでもいいと話してくれました。こうやって女性たちは、沈黙を破ることができて、とても満足していると言ってくれました。

他の地域からこのプロジェクトに参加している女性たちも同じような経験をしていますが、ある地域の女性たちは性暴力を受けたあと、トラウマがあまりにひどくて家から出られないという生活を続けていました。しかしこういう活動に参加して、少しづつ力をつけて家からでれるようになり、その中の活動にもだんだんと参加するようになるまでにいたっています。

やはりこのプロジェクトの目的は、女性たちが自分の人生の主人公になること、人間として、女性として自分に価値があるのだということを、自分自身で認識していくことなので、こういう成果があがっていることはとても良いことだと思います。

裁判の話に戻りますと、この女性たちに起こったことは30年ぐらい前のことですので、年齢も55歳ぐらいから70代になります。この中の一人、マグダレイナポップさんという人は、今年53歳です。去年、子宮がんがあることがわかり、手術をしましたが、また再発しています。しかしこうした費用も国際的な支援で賄うことができました。

最後に、こういう性暴力の悪循環を断ち切らねばならないわけですが、最近でも起こっている鉱山開発やプランテーションを作ることに伴う強制立ち退きのさいに、性暴力が起こっています。それで先ほども述べたように、今、19人の女性たちをアテンドしていますが、この方たちはみんな20代、22歳から28歳です。

こうした被害者がまだまだ出ているわけで、こうした悪循環をなんとか断ち切らなければいけないと思います。しかし今のグアテマラの大統領は元将軍で軍人出身です。軍事政権ではありませんが、軍人が大統領になっていて、難しい状況です。

最後に、この15人の女性のうちの一人の言葉を伝えて、締めくくりたいと思います。
「自分はいま、種を撒いている。その収穫を自分は見届けることはできないけれども、自分に続く女性たちのどんな女性も、こういう私に起こったことで苦しまないために種を撒いている」という言葉です。

ということで裁判はこれから始まります。女性たちの証言が終わったところで、今後、裁判所によって被告の特定がされて、逮捕礼状がでて、逮捕がなされて裁判が進んでいくわけです。今後、まだまだ余談は許さず、15人の女性たち、裁判に関わる人々の安全の確保が今後の課題になってくると思いますが、3団体の連携で、なんとかやっていきたいと思います。

最後に、私は日本にきて「ありがとう」という日本語を覚えました。ケクチ語では「アンティオッシュ」といいます。ありがとうございました。

続く