守田です。(20120525 08:00)
今、僕は福島市内から30分ほど車を走らせた、土湯温泉にいます。矢ヶ崎さん、アビスさんと一緒です。土湯温泉は、奇跡的に線量の非常に低いところ。「土湯ポカポカプロジェクト」など、子どもたちの保養プログラムなどが取り組まれてきているところでもありますが、ここが線量が低いことを最初に発見したのは実は矢ヶ崎さんなのでした。昨年3月に線量計をもって、福島市を訪れたときのことです。その後、矢ヶ崎さんが福島市を訪れたときに、常宿として使ってきた「扇屋」さんが逗留先です。温泉と宿の方たちの歓待で、癒されています。
さて、この23日と24日は福島市内の訪問でした。23日午後に福島大学を訪問してシンポジウムに参加。学生さんを含む70人ほどが参加しました。24日は午後に福島市内の市民放射能測定所を訪問。迎えてくださった岩田渉さんがかなり忙しい時間帯だったのに、丁寧な解説をしてくださいました。その後、全国から新鮮な野菜を取り寄せて市民に販売している「はもるカフェ」を訪問。ここに『内部被曝』10部をおいていただきました。
夕方からは福島駅直近の会館で、市民集会。矢ヶ崎さんとのジョイント講演を行いました。ここも70名ほどの参加だったでしょうか。両日ともに企画後に交流会の場を設けてくださり、楽しく、有意義な時間を過ごせました。
福島市を訪れて思うのは、やはり今回の原発事故でのもっとも厳しい汚染を 被ったのが福島県であるということです。何を当たり前のことをとお叱りを 受けてしまいそうですが、やはり他の地域と「桁違い」であることを実感 します。にもかかわらず、交流会では、避難をする人たちを支援している 市民の方から、「放射能に苦しんでいるのは福島県民だけではありません。 他の県の方も大変、苦しんでいます。にもかかわらず市民的支援はどうし ても福島に集中しがちです。ありがたいことなのですが、他の県の方もどうか 支援してくださいという声を、福島側からあげていかないと」などという 声が聞かれるのです。優しいのです。福島の方たちは。
しかしそんな福島の中で、さまざまな政府の動き、行政の動きのもとで、 ゆがめられた関係がたくさん作られており、放射能の害から人々を守ろうと する人々へのさまざまな圧迫があります。その一つが、福島大学の対応です。 福島大学は昨年5月、まだまだ放射線値がかなり高いときに開校し、学生を 汚染されたキャンパスに呼び寄せてしまいました。今回、シンポジウムを 企画してくださったのは、そのときに開校延期を主張して、懸命に走り回った 若い先生たちです。その後、少数派ながらも、放射能の危険性を訴える 教員集団としての活動を続けてきました。その方たちに対して、陰に陽に さまざまなプレッシャーが与えられています。
またこうした教員の方たちの多くの家族が避難中であり、ご本人も避難先と 往復したり、福島市を離れたところに居住して、遠距離通勤をするなどして いるのですが、それに大変な労力が裂かれてしまっている。にもかかわらず 財政的保障はまるでなしで苦しい状態が続いています。「こうやって一緒に 活動している仲間と気軽に会う時間すらなかなか作れず、へとへとなのです」 という言葉が印象的でした。
もう一つ。やはり研究者たちである彼らには、研究費の存在が重要なウエイト を持つのですが、これが「福島復興キャンペーン」にのり、放射能の危険性 などごくわずかしかないと主張する研究者にばかり振り向けられているのだそう です。復興の旗を掲げれば、いくらでも予算がとれるのだとか。そんな ギャップもこれらの先生たちに大きな重石になっています。
「がんばっているとはとてもいえない状況なんですが」と語りながら、今、 福島にいて何をなすべきか、どう動いたらいいか、にわかに答えがでない 問いと向かい合い続けているこの先生たちの葛藤に僕は、どこまでも寄り添い 続けたいと思いました。彼ら、彼女らが悩み、もがき、その中で実りある何か を手繰り寄せようとしているその刹那、刹那に、何か大事なものが懐胎して いるように思えるからです。
福島市訪問記はどうしても長くなってしまいます。
とりあえずここできって、投稿します。
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