守田です。(20131002 08:00)

福島県二本松市の真行寺佐々木住職の発言の後半をお送りします。
なお佐々木さんの発言の最後の方に「悲願」という言葉が出てきますが、これは佐々木さんの前に話された長田さんの講演内容を受けたものです。長田さんはそこで「悲願」について述べられましたが、これは仏教、とくに真宗のみなさんにとってとても大切な言葉です。
真宗大谷派のホームページを開いてみると、悲願について「仏・菩薩が衆生の苦しみを救うために誓われた願のことで、特に阿弥陀仏の本願をさす言葉」という説明が出てきます。これを頭の隅に置きつつ、まずは発言後半をお読みください。
http://www.higashihonganji.or.jp/sermon/word/word60.html

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福島の声をもっともっといろんな人たちに聞いて欲しいし知って欲しい(下)
佐々木道範

二本松というところに僕は住んでいますが、原発から50キロぐらい離れています。そこに浪江町というところの人たちが二千と何百人か避難されてきています。二本松市には浪江町の役場もあります。
二本松の人はあまりよく言わないのです。避難してきた人のことを。「だってあいつらお金をもらってるんだべ。日中パチンコやって、夜は酒を飲んで」というような偏見がありました。実は僕もそう思っていた。だってパチンコ屋にいったらいっぱい車があるから。補償金もらって、いい暮らしをしているんだなって。

でも僕の後輩がエアコンの工事で、浪江の人のアパートに行ったときに、エアコンの工事だから家の中に入っていきます。そうしたら昼間っからお父さんが飲んだくれている。寝たきりのおばあちゃんがいて中学生ぐらいの娘さんがおばあちゃんの世話をしていて。それで2階にいったら、高校生ぐらいの女の子が、夏ですよ、こたつに入ったまま、ずっとテレビを観ている。
「エアコンの工事をさせてください。失礼します」と言っても何の反応もなくて。ずっと、エアコンの工事が終わるまでテレビを観ている女の子がいて。それで工事が終わって帰ろうとしたら、お母さんの遺影があって。津波で亡くなったのですよね、お母さんは。
その工事をやった後輩が「浪江の人たちは金もらっていい暮らしをしてるって思ってたけれど、ぜんぜん、幸せそうに見えなかった」と言いました。
お金じゃないんですよね。僕たちが放射能によって奪われたものは。なんていうのかな。福島の人たちの生きざまだったり、誇りだったり。大切なものをね、この放射能によって奪われてしまったのです。僕はどうにか取り戻したいと思うけど。

南相馬市に原町別院(注 真宗の寺院)があります。そこの門徒さんが7人自殺されました。70、80のお年寄り、おじいちゃんたちです。南相馬市は子どもが6割ぐらい避難しています。お母さんたちも一緒です。おじいちゃん、おばあちゃんたちは元気がない。作付もできない。
福島は自然が豊かなところでね、本当に自然とともに生きていた人たちがたくさんいたのですけれどね。そういう生き方を放射能が奪ってしまって。おじいちゃんたち、おばあちゃんたちが自殺しているという事実もなかなかニュースにならないしね。
農薬を飲んじゃうんだって。発作的にね。昨日、お茶を飲みに寺に来ていたのに、次の日に農薬を飲んで死んでたってね。
南相馬の別院で頑張っているご夫婦がいるんですよ。もう2年半ですよ。なんていうのかな。背負っているというか。苦しみや悲しみを聞き続けているのですよね。そのおじいちゃん、おばあちゃんたちがつぶれないかなって、おれ、心配でね。月に何回かコーヒーを飲みにいくんですけど。

そういう人たちと、僕は出会い続けたいなと思います。僕は、胸が痛いけど、でもこの胸の痛みが、本当に生きるということなのかなと最近は思ったり。無関心に、自分の都合の悪いことを知らずに生きていくことよりも、悲しみや苦しみと出会って、胸が痛くなりながら生きている方が、僕は本当に生きているような気がします。

二日前に岩手の真宗会館でお話しさせてもらいました。そこに旗がかかっていて、「いのち皆、生きらるべし」って書いてありました。「これをスローガンにやってきたんだ」と真宗会館の館長さんが言っていましたが、いい言葉だなと思いました。キリスト教のリルケという方の詩の言葉だそうですけれども。
でも「大経(注-大無量寿経)の『皆当往生-今まさに往生すべし』という言葉じゃないかな」とその館長さんがおっしゃっていて。福島のみんなにも伝えないなと思って、旗を一つもらってきました。

浄土真宗って、成仏ということよりも往生を大事にする教えだと思うのです。本当に生きるという。僕ら一人一人がね、本当に生きるってどういうことなのかなって、考えなくてはいけないのではないかなと思うし、震災があって、僕の価値観や、僕を根底からひっくり返したなあ、ひっくり返されたなと思います。
一番、震災で感じたのは、さっきもいったけど、国が人間を見捨てるのだなということと、だから僕が自分で感じて、考えて、自分で行動する、歩みだす、それが大切なことなのだなあって、この震災で教えてもらいました。
本来は、当たり前のことだと思うのです。人として人間として、生きていく上で、自分で考えて歩みだしていくということはね。でもそういう生き方を僕はしてこなかった。やはりいろいろなものに流されて、無関心に生きてきたのですよね。
でもだからこそ、人間が人間と出会っていける、1人が1人と出会っていける場を作っていきたいと思うし、出会いを大切にしていきたいと思います。

震災後、NPOで活動していますが、何が正しいか自分でもよく分からないんです。子どもたちを守るためにということで、子どもたちの口に入るものの放射線の測定とか、子どもたちの内部被曝の検査とか、あとは除染、暇さえあれば除染をしています。子どもたちを保養につれていったりとか。考えられることはみんなやろうと思ってやっていますが、それが正しいのか間違っているのか、ぜんぜん分からない。
僕が除染することで、福島から避難する人が減るんだと。「だからお前は子どもたちを殺しているんだ」ということをね、何度も言われました。なんとなく言っていることは分からないでもないですが、でもそこに生きている人たちがいるんです。そこに生きている人たちがいる以上、僕は一生、除染するんだろうな。

僕もみんな避難して、福島がきれいになってから戻ってきたらいいと思うけれど、なかなかそうはならなくて、もちろんそこに生きている人たちがいます。その人たちに僕は何ができるのか。子どもたちに少しでも被曝して欲しくない。僕もしたくないですよね。被曝なんか。
被曝していい人間なんていないですよね。でも僕が被曝しなかったら、誰かが被曝するし。よくは分からないけれど、僕ができることは僕がやろうと思うし。

今の原発もそうです。6割から7割の作業員は福島の人たちです。僕の知り合いも、未だに原発に行っています。朝、「地球を守ってくっから」つって。たまらないですよね、それは。
なんで被災した福島の人たちが、被曝し続けて、原発を止めようとしているのか。でもその人たちがいなかったら大変なことになってしまうし。そこもみんなに知ってほしい。福島の人たちが、今も被曝し続けているお蔭で、原発が何とか保っているということをね。事実をきちんと知って欲しいと痛切に感じています。

最後に、原発事故で分かったことがあります。それは間に合わないんだということです。僕も暇さえあれば除染をしているけれど、僕が死んだって放射能なんかなくならない。僕がどんだけ除染しても、福島は広いんですよね。中途半端で死んでいくんだって、それだけは分かっています。
でも少しでも福島をきれいにして、次の世代にバトンタッチしたいのですよね。僕が生きてる間に福島がきれいになるはずなんかないことも分かっています。でも、僕はやり続けます。それしか考えつかないんですよね。どういうふうにして生きたらいいか、僕にも分からない。でも少しでもきれいにして次の世代に福島を残して生ききりたいなあって思ってます。

さっき長田さんが「悲願」っていったけど、僕が間に合わないって思い知らされたところに本願があったんですよね。「がんばれ」って、「歩め」って、「行け」って、阿弥陀さんが迎えにくるから、中途半端で死んでもいんだ。「倒れたところに迎えに来っからいけ」って。「歩め」って。「頑張れ」って。言ってくれている。願いがね。ありました。
だから本当に悲願だなって思います。悲しみのそこのところに願いがあったのですよね。本当にありがたいですね。

僕は終わりなき歩みを、出会った人たちと生きたいと思います。本当はこんなことをしたくはないんだけどね、家族と楽しく生きたいんだけど。今の福島には、なかなか、やらなくてはいけないことがあって。
でも子どもたちはね、きっと命を大切に、生き生きと、生きてくれると思うのですよね。なんでお父ちゃんが除染しているのかって、今は分からなくても、なんでお母さんが毎週、県外に遊びに連れていくのか。夏休みになったら遠くに連れていくのか。子どもたちも大人になったら感じると思います。
だから福島の子どもたちは、命を大切に、生き生きと、生きてくれるだろうなと思っています。

最後に、やはり僕たち大人が歩み出さないといけないと思います。未来への責任を、きちんと大人たちが背負って歩み出すことが大切だと思います。
未来への責任を背負わないで、今を生きたら、また人間は(過ちを)繰り返すと思います。原発が無くなったとしても、原発ではない原発のような何かを作り出していくのではないかなと思います。
日本に原発が54基もできたのは、きちんと未来への責任を、大人たちが背負わなかったからだと思います。だから僕たちにできるのは、未来への責任を背負って、今、歩み出すことなのだと思います。

たくさん歩み出している人たちがいます。あきらめて立ち止まっている人たちもいるけれど、少しずつですが、歩みだすことで、福島の人たちが元気になったらいいなと思うし、この放射能の問題は時間がかかると思うので、どうか福島のことを忘れないで、事実を知ってください。どうもありがとうござました。

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いかがでしょうか。真宗の門徒でもない僕が解説をするのはおこがましいですが、僕の感想を含めて、少し補足をしてみたいと思います。
先に悲願について「仏・菩薩が衆生の苦しみを救うために誓われた願のことで、特に阿弥陀仏の本願をさす言葉」という真宗大谷派の解説を紹介しましたが、その阿弥陀仏=阿弥陀如来は、如来になる前、法蔵菩薩のときに、すべての人を救いたいという強い願いを持たれたのでした。
ちなみに「如来」とは悟りを開いた人のこと、「菩薩」とは悟りに向けて修行している人のことですが、大乗仏教では、すでに悟りを開けるのに、人々と苦楽を共にし、ともに悟りに至ろうとしている人のこともさしています。人々=衆生とともに、大きな乗り物で悟りにいたらんとするので「大乗仏教」であるわけです。
こうした道を歩むことを菩薩道といいます。あるとき、茨城県取手市から保養キャンプで京都に来ていたママさんを京都の南禅寺にお連れし、如来像を一緒に拝観しながらこの菩薩道のことをお話ししたら、「守田さん。分かりました。私は菩薩だったんだ。いやあ、今日はそれが分かって超嬉しい」と言われたことがありました。
何とも言えない不思議で豊かな感性と霊感を持っている方でしたが、妙に納得させられてしまった一幕でした・・・。

それはともあれ、すべての人を救いたいという願いを発せられた法蔵菩薩は、自らその力を得て、(という解釈でいいのか不安ですが)阿弥陀仏になられました。本願を成就されたのです。そしてすべての人が、臨終に際して「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、西方浄土へと迎えに来て下さることになったのです。
この法蔵菩薩のお話が説かれたのが、佐々木住職の発言の中に出てくる「大無量寿経」です。佐々木さんは「大経」という略称を使われています。これに対して阿弥陀仏がおられる「極楽浄土」について説かれたのが「阿弥陀経」、この浄土へとお迎えに来て下さる話を説いたのが「観無量寿経」です。
例えば10円玉に彫られている宇治の平等院は、阿弥陀経に出てくる極楽浄土をイメージして建てられています。観無量寿経の内容は、その鳳凰堂の阿弥陀如来像の周りに絵巻として描かれています。

こうしたことを前提に、長田さんも佐々木さんも、「今、自分がやっていることは中途半端で終わる。道半ばで自分は倒れる。きっと生きているうちに自分の思いがかなうことなどない」「でもそれでいいのだ。そこに阿弥陀如来が来て下さるのだ。だからたとえ志半ばで倒れようとも、自分は進むのだ」と語られたのだと僕は思いました。
僕は淡い信心しか持っていませんが、そうした宗教者としての長田さん、佐々木さんの信念に胸を打たれるものがありました。
福島の現実は、苦しみと悲しみに満ち溢れている。しかしその中に、自分が生きる意味がある。だから自分はこの苦しみの中を生きていく。倒れるまで生きていく。前に向かって生きていく・・・そう語られていたのだと感じ、共感しました。

解釈が間違っていたらごめんなさいですが、だから佐々木さんの言葉は、苦悩の吐露でありつつ、同時にほとばしるような宗教的信念の発露であったのではないかと僕には思えました。それで佐々木さんには「僕も分からないことだらけですが、一緒に頑張りましょう」と伝えてきました。
この信念、苦しみの中を息抜き、その先に光を観ようとする思いを、みなさんにシェアしていただけたらと僕は思います。・・・すみません。言語化しないと(上)で書きながら僕の思いを書いてしまいました。邪魔になってしまったら申し訳ないです。いろいろな受け止め方が可能であるに違いないのでみなさんそれぞれで受け止めていただけたらと思います。

最後に、福島の今を語ってくださった佐々木さんに感謝したいと思います。また長田さんはじめ、素晴らしい会を催してくださった真宗大谷派のみなさまにも心から感謝を捧げます。どうもありがとうございました。