守田です。(20131001 23:30)
9月27日東京、28日加古川、29日京都と連続で講演し、またまたたくさんの人たちと出会いました。あまりに多くのことがあり、記録や記事化がまったく追いつかないことが歯がゆいです。
ともあれ各地で出迎えてくださったみなさん、講演を聴きにかけつけてくださったみなさんに、心から感謝をささげたいと思います。
さて今日は、京都で行われた真宗大谷派の原発問題の企画に参加し、長田浩昭さん(京都教区法傳寺住職)の「原発と国家」という講演と、佐々木道範さん(福島県二本松市真行寺住職)のお話を聞いてきました。
どちらも聞きごたえのある内容だったのですが、とくに福島の今を語った佐々木さんの話しは、胸の中にぐいぐいと入ってきて、思わず涙をこぼさずにはいられないものでした。大変、共感したので、帰りにあいさつし、ブログへの掲載の許可をいただいてきました。
佐々木さんは、福島県二本松のお寺で幼稚園もされている方です。TEAM二本松という測定所も開設されています。その奮闘の姿が、映画監督鎌仲ひとみさんが撮られた『内部被ばくを生き抜く』の中でも紹介されています。
http://www.naibuhibaku-ikinuku.com/
子どもたちを守るために、必死になって除染を繰り返す・・・しかしそんな姿に共感とともに「除染ではなく避難すべきだ」という強い声も返ってきているそうです。
僕はそんな佐々木さんの話をぜひ一度、じかにお聞きしたいと駆けつけたのですが、何というのでしょう。佐々木さんの語り方があまりに切なく、しかし奥底に強い何かが流れているのを感じて、とにもかくにも胸を締め付けられてしまいました。
文字起こしで伝えられないことを最初に書いておくと、佐々木さん、何度も話の中で深くため息をつかれるのです。ふーっ、ふーっと。そして「僕にも何が正しいか分からないのですよね。でも」と語りつづけられる。そしてまたふーっと息とつく。
それを繰り返しながら、とつとつと語りつづけられるのです。文字通り、絞り出すようにしながら、それでいて、淡々と、淡々と語りつづけられるのです。
佐々木さんが語っているのは、福島の今の苦しみと悲しみです。しかしそのもう一方で、佐々木さんは、その苦しみと悲しみに寄り添う、ご自身の生きる意味を確かめながら話されているようにも思えました。
その語りは、嘆きの吐露のようでありながら、他方で、力強い、信仰の告白であるようにも思えました。その切なさと、しかしその底で強い何かをつかみ取ろうともがいているように見えるその姿が、僕の胸を締め付け、深く揺り動かしました。
ここには今の私たちがみんなでシェアすべきかけがえのないものがあると僕は思っています。ただそれが何であるかを文字化することはせず、みなさんの受け取りに委ねようと思います。どうかぜひ佐々木住職の声に耳を傾けられてください。
なお講演タイトルは「27年後のチェルノブイリを訪れて」でしたが、発言中の言葉の中からより内容にフィットしたものを僕がセレクトしました。長いので2回に分けます。
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福島の声をもっともっといろんな人たちに聞いて欲しいし知って欲しい
佐々木道範
福島県の真教寺の住職をしています佐々木です。
震災後はNPO立ち上げて、子どもたちを放射能から守る活動をしています。日々やっている除染の映像とチェルノブイリの写真を観てもらいました。事故後27年目のウクライナに行ってきましたが、チェルノブイリ事故はまだ終わってないというのが僕の率直な感想です。
いろいろなところを視察させていただきました。幼稚園や学校や病院や市場。あと住めない村から避難している人たちに会ってきました。僕はちょっと光が見えたなあと思いました。
その場所で未来をイメージしながら必死に生きているウクライナの人がいたのが僕にとっては光でした。やはりウクライナから学ぶことが多いと思って、行ってきました。
僕が行ったときにちょうど、内部被曝の検査をやっていました。医療従事者の検査をしていましたが、27年目でも内部被曝している方たちがいるのです。高い方だと体の中に3000ベクレルの放射性物質が入っている看護師さんがいました。
もちろんゼロの方もいましたが、どういう食生活をしているのかというと、森のものキノコやベリー類などを食べている人は内部被曝を今でもしているようでした。
子どもたちの学校給食は汚染地帯の外からのもので作っているのですが、こんな言い方は良くないかもしれませんけれど、貧しい国なのですよね。日本から比べるとずいぶん貧しい国で、首都はベンツとかが走っているのですが、そこからチェルノブイリにいくと馬車が走っています。
市場に行ったときは、ちょうど牛乳に基準値以上のものが出て、出荷停止になっていました。捨てなくてはいけなそうです。
福島では牛に牧草は食べさせられません。高い金を出して飼料を食べさせています。そのため牛乳からは今のところ放射能は出ていません。チェルノブイリではそんなことはできないので、牧草地にいって食べさせる。
牧草地の中に汚染されているところもあって、いまだに牛乳から放射能が出ます。森のものからも出るのですね。森は除染をしないですから。
福島もそうです。春先になるとテレビにテロップが流れます。「山菜は食べないで下さい。食べたい方は測ってください。近所の方にわけないでください」とテレビで流れます。
チェルノブイリにいって福島よりいいなと思ったのは、きちんと子どもたちを守る法律ができているということです。子どもたちの保養、放射能汚染されていない地域に一定期間、子どもたちを連れていく事業が、きちんと国の事業として行われています。
ベラルーシは当初は年に3回、ウクライナは2回。国がきちんとやってくれています。一か月ぐらい保養している子どももいるようです。僕が行った幼稚園の子どもたち、どれぐらい行っているのですかと聞いたら、5割ぐらいかなと言っていました。27年たっても保養を続けなくてはいけない現実がそこにありました。
ウクライナの報告も大事なのですが、やはり福島のことを話させていただきたいと思います。2年と6カ月が経ちましたけども、僕にはやはり、復興しているとは思えません。
少し前にオリンピック開催が決まりましたが、福島の人たちは複雑な思いで聞いていたのではないかと思います。
僕も総理大臣の発言に対しては腹が立って仕方がない。「コントロールされています」「完全にブロックしています」という発言ですね。実際にはコントロールできなくて、ブロックされてないから、福島の人々は苦しんでいるのです。
僕の知り合いの南相馬の漁師さんも試験操業が9月からできるということで張り切っていたのに、汚染水のお蔭でできませんでした。そういう福島の現実を前に「ブロックしています」と言ってしまえる総理大臣が、僕はちょっと分からないです。
「コントロールされている」「ブロックしています」というのは、福島の人からしたら許せない言葉だったと思います。
福島のことについは時間が経つにつれて悪いニュースが流れてくるというかね。汚染水のことでもそうですし、子どもたちの甲状腺がんのこともそうです。なかなか福島の人たちは元気が出ないですよね。なかなか前に歩みだせないというか。
自殺も増えています。関連死というものもあります。震災後、何人の方が亡くなられたのかを国がカウントしていますが、福島では直接死んだ人の数よりも関連死の方が増えてしまっています。比べられることではないかもしれませんけれども、宮城や岩手の人の何倍も福島の人は関連死しているのですよね。どうしたものかと思う。
子どもたちの健康被害ですが、甲状腺がんも含めていろいろあります。
先月、うちの幼稚園の運動会があったのです。次の日に新聞に載ったのですが、市内各地の幼稚園、保育園も運動会をされましたが、うち以外はみんな体育館でした。
うちの幼稚園は、借りたグラウンドを除染して、子どもたちが裸足で走れるような環境を作ったので、外で運動会をすることができましたが、他のところは、まだ体育館で運動会です。
甲状腺がん、さきほども示されましたが44人です。100万人に1人の病気が福島では44人です。福島の18歳未満の子どもたちは36万人です。1人も出ないような数です。しかし44人の子どもたちががんになっています。うちの幼稚園の卒園児も1人、がんになっています。
子どもたちもそうですが、お母さんたちが苦しんでいます。自分の子どもを被曝させてしまった、病気にさせてしまったということで、お母さんたちが自分を責めている状況が続いています。
大震災がおきて、水も電気もガスも止まってしまって、僕たちも毎日、水をくみに並んだんですよね。ポリタンクを持って、給水ポイントというものがあって、そこに毎日使う水をくみに並んでいました。しかしそこには、僕たちは知らなかったけれど、放射能が降っていた。
あとミルクもおむつも、当時、なかったのですよね。だからどこどこの駐車場でミルク売ります、どこどこの駐車場でおむつ替えますとなると、お母さんたちは赤ちゃんをおんぶして何時間でも並んでいたのです。そこには放射能が降っていた。なんで僕たちに教えなかったのかなって思いますけども。
お母さんたちは自分を責めちゃうんですね。「なんで水をくみにいったんだべ。なんで赤ちゃんをおんぶしておむつを替えにいったんだべ」ってね。お母さんたちが悪いはずがないのに、お母さんたちが自分を責めてしまっている状況になっているのです。
映像では僕は楽しそうに除染をしていますが、別に楽しいわけではないですよね。でも楽しくやらないとどうにもやりきれないです。どうにかして福島の人たちを笑わせたい。どうやったらみんなが笑うのか、僕はよく分からないけれども、僕は笑わなくてはいけないなと思っています。
明るいニュースが出てこない福島ですけれど、前に向いて歩んでいくしかない。事実を知って欲しいのですよね。テレビでは流れない。新聞でも流れない。
甲状腺がんのニュースなんか、朝日新聞の夕刊にしか載らなかった。本来なら、凄いニュースだと僕は思うけれども。100万人に1人の病気が福島でこんなに出ているということは。でも朝日新聞の夕刊にしか載らなかった。テレビでも放送されないし。
福島では流れますけれど、県外では流れない。だから福島の事実を知って欲しいし、聞いて欲しいんです。そんなに明るいことばっかりではないのです。
何日か前に酪農家のおじいちゃんが僕のところに訪ねてきました。80ぐらいのおじいちゃんですけれども、新聞の切り抜きを大量に抱えてね。農水省にも行ったし、県にも行ったし、行政にも行ったけれども、誰も相手にしてくれないって。商工会議所にいったら、真教寺さんに行ってみろと言われて、おじいちゃんが来ました。
おじいちゃん何をしてえんだと言ったら、「震災前と同じ暮らしがしてえだけなんだ、だから原発止めてくれ。野菜作ってべこと一緒に暮らしてえんだ。だから原発止めてくれ」って。
娘さんは飯舘村に嫁いだのだけど、今は人が住めない村です。それでおじいちゃんのところに避難してきています。おじいちゃんもどうしていいか分からないですよね。
それで二時間ぐらい僕としゃべっていましたけれど、最後に「愚痴ってごめんな。ありがとう」と言って帰って行きました。
「僕も何ができるか分からないけれども、おじいちゃんの話を聞いたことは忘れないから。僕が何ができるか考えるわ」と言って、おじいちゃんと別れましたけれども、なんかね。
聞いてくれる場所がないんですよね。みんないろいろ抱えているんだけれども、それを吐き出す場所もないし、聞いてくれる場所もないんです。だから僕は福島の声をもっともっといろんな人たちに聞いて欲しいし知って欲しい。
この真宗大谷派が小さき声をね、苦しみの声を、悲しみの声を聞く場であって欲しいなと僕は思っています。
原発、放射能の問題で、国は人間を見捨てたんだなあと思いました。福島の子どもたちのことよりも、何か別のものを選んだのですよね。
いろいろな社会問題、ハンセン病や水俣や沖縄の問題などもそうだと思います。この国は人間を見捨てていっています。だから僕はこの教団だけは人間を見捨てない教団であって欲しいと思います。
ハンセン病の療養所でもね、うちの幼稚園の保養の受け入れをしてくれたり、福島の人が元ハンセン病の患者さんたちと出会っていく、素敵な場ができているし。人が出会っていくことでしか分からないものってあると思うのですよね。新聞やテレビやニュースでは分からないね。
僕の生き方もそうだったのですよね。イラクの子どもたちが死んでも、僕は痛くもかゆくもなかったのです。どっか遠くの国の子どもたちが何十人殺されても、僕は痛くもかゆくもなかった。でも震災後は痛いんですよ。
僕は子どもが5人いるのですけどね。一番下が幼稚園に入って運動会に出たのです。1か月ぐらい前から運動会の練習で走り回っていました。そうしたらね、毎晩夜に息子が泣くんです。筋肉痛で。幼稚園児ですよ。毎日、筋肉痛になって泣いている。
それは僕も悪いと思う。外にも出さなかったし。放射能の問題でね。幼稚園児がきちんと育ってないです。そういう姿を見るとね、胸が痛いですし、酪農家のおじいちゃんから話を聞いた時も胸が痛いし。
続く