守田です。(20120530 12:30)

僕も参加するピースウォーク京都の主催で、6月3日、ペシャワール会の中村哲医師の講演会が開催されます。場所は京都市の京都ノートルダム女子大学ユニソン会館です。

ペシャワール会とはどのような組織なのか。中村医師がどのようなことをされてきたのか。詳しくは貼り付けた案内の内容をご覧いただきたいと思いますが、あえて一言であらわせば、暴力の支配するこの世の中のありかたを、命を大切にし、人々の生活を支えること、それも平和的な歩みで達成することを軸に、アフガンの人々とともに作り変えようとしてきた組織と人物と言えると思います。

このペシャワール会を、僕は2001年にあった「9・11事件」と、その後のアメリカの戦争政策に反対しながら、長らく支援してきました。これまで何回も講演会を行い、カンパを集めました。それだけでなく、アフガニスタンやイラク、パレスチナなどへの軍事侵攻に反対し、町を歩いてきました。すべてピースウォーク京都の仲間と一緒に行った行動です。

福島原発事故は、核兵器作成の副産物が巻き起こした大変な事故でした。いや事故は今なお、現在進行形で進んでいます。原発から飛び出した膨大な放射能を前に、私たちはあらためて命の大切さにきづき、子どもたちの、そして自らの命を守るために、本当に懸命の歩みを重ねてきました。

そんな私たちが振り返らなければならないのは、私たちが、こうした切実感に立つ以前から、世界では、本当に理不尽な暴力が繰り返され、たくさんの命が奪われてきた事実です。

とくに2000年代は、本当にひどい暴力のオンパレードに終始しました。まずアフガニスタンへの侵攻。これは世界で一番富んだ国であるアメリカによる、世界で最も貧しいアフガンへの軍事作戦として行われました。しかもこの戦争は「兵器の見本市」とすら言われ、ありとあらゆる新型兵器が、ここぞとばかりに投入され、その性能が確かめられたのでした。このことで本当にたくさんのアフガン市民の命が奪われました。

さらにこれに続いたのがイラクへの軍事侵攻でした。戦争の口実であった「大量破壊兵器」など、イラクのどこにもなかったにもかかわらず、戦争は遂行され、日本も大々的にこれを支援しました。あとになって「大量破壊兵器」などなかったことがはっきりしましたが、日米両政府は「独裁者フセイン」を倒したからいいのだと開き直り続けてきました。そんなひどい殺戮が、沖縄をはじめとした在日米軍もが参加して行われたのに、政府は何一つの釈明もしませんでした。

しかもこれら二つの戦争では、劣化ウラン弾が大量に使われ、放射性物質であるウランがもの凄い大量に、両国に撒き散らされました。いや、ウランは細かい塵となり、大気中に舞い上がり、近くの国々にも遠く離れた国にも流れていきました。このことで深刻な被曝がもたらされました。被害者の一部には、戦争に参加した米軍兵士さえ含まれていました。

さらにパレスチナのガザ地区にも、白昼どうどうと、イスラエル軍の一方的な攻撃が加えられました。市民が普通に暮らしている市街地に、戦闘機がミサイルを撃ち込むという本当にひどいことがされながら、日本を含む世界の主要国はこれをただ黙って見ていました。

こうして2000年代、本当にむごい暴力がたびたび振るわれました。それを私たちも止められませんでした。それが2000年代の姿でした。

こうした歴史の流れを止めたいと、私たちは中村さんを、ペシャワール会を支援し平和をみんなで創造しようとするその姿勢に学んで歩み続けてきたのですが、今、未曾有の原発事故に私たちの国自身が見舞われる中で、ぜひより多くの方に、中村医師の実践に触れて欲しいと思うのです。

先にも述べたように、命が粗末にされ、踏みにじられ、しかも踏みにじったものが罰せられないあり方に私たちの国は大きく加担してきたし、私たちもそれを止めるだけの大きな行動を作れてこなかったわけですが、そのことが今、これだけの原発災害がありながら、被災地の人々が被曝するにまかされるようなあり方、加害者がいつまでも裁かれないようなあり方を作り出してきてしまっていると思うからです。

だから今、私たちは、私たちの「豊かな生活」の背後で、本当に塗炭のような苦しみを味わってきた多くの国の人々を思い、どこにでも、かえがえのない、重さの変わらない、尊い命があるという当たり前のことへの認識を強くし、こうした人々の命が奪われ続けてきたことへの、私たちの「鈍感さ」を反省し、そうして、真に豊かで平和な世の中、その意味での美しい地球を作り出すために、みんなで一緒に努力を傾け、歩んでいかなければならないと思います。

そうした意を込めて、今回の企画のサブタイトルに「大震災の今、アフガニスタンに学ぶこと」という一文が入れられました。どうか、原発の再稼動や「がれき」広域拡散を食い止め、放射線防護を推し進めるためにも、より大きな視点を獲得しに、ぜひ中村さんの話を聞きに来て欲しいと思います。

平和のために、みんなで共に歩んでいきましょう。

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◆6月3日(日)~アフガニスタンからの報告~
中村哲さん講演会2012
~大震災後の今、アフガニスタンから学ぶこと~

・2012年6月3日(日) 
・開場 13時30分 開演 14時
・京都ノートルダム女子大学 ユニソン会館
http://www.notredame.ac.jp/accessmap.html
・参加費 500円(高校生以下は無料) 申し込み不要
・主催:ピースウォーク京都 後援:京都ノートルダム女子大学
・連絡先:090-6325-8054
・http://pwkyoto.com/
 
・手話通訳は2週間前までに連絡をお願いします
・当日のカンパは講演会運営費を除いてペシャワール会に送らせていただきます
(ペシャワール会 http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/ )

「人と和し、自然と和すことは武力に勝る力
     ―平和とは理念でなく、ここでは生死の問題」

人為が自然を制することはできない。人は自然の懐の中で身を寄せ合って生きている。人間もまた自然の一部なのだ。言葉で自然は欺かれない。自然の前で政治的な茶番は見苦しい。利を得るために手段を選ばず、暴力と巧言でなりふり構わず貪る時代は先が見えた。
ペシャワール会報108号2011年7月13日 ~ 中村 哲 ~

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中村哲医師は30年間にわたって、パキスタンとアフガニスタンでハンセン病医療をはじめとした医療活動を続け、この中村さんの活動を「ペシャワール会」が支えてきました。私たちは2001年の冬から、これまで7回の講演会を開催してきました。

☆大干ばつと戦争、井戸を掘り食料援助を行う

2001年、アフガニスタンは大変な飢饉に直面していました。前年の2000年夏に大干ばつがおこり、1200万人が被災して400万人が飢餓線上をさまよっていたのです。
中村さんは「まずは生きておれ、病は後で治す」と、飲料水確保のための井戸掘り事業に着手。同年7月より1年間で600本の井戸を掘り、20万人の飲み水を確保し、さらに400本の計画が進行中でした。(最終的に1600本の井戸を掘りました)

ところが大干ばつから立ち上がろうとするこの国の人々を、さらなる悲劇が襲います。2001年9・11事件後、アメリカは報復と称し、アフガニスタンに大規模な空襲を始めました。大干ばつに加えた戦争で、人々がさらに絶望的な状態に追い込まれたこの冬、中村さんは、日本中を回り食料援助のためのカンパを訴えました。日本で集められた「命の基金」1億5000万円で、1800tの小麦粉と170klの食用油が、空襲の中で直接アフガニスタンの人々に手渡されました。

☆農村復興のために用水路建設に挑戦

アフガニスタンは、人口の8割以上が農民という伝統的農業国です。戦乱のなか、農村の復興こそが重要だと考えた中村さんは、大河、クナール川から取水して干ばつにあえぐ高台を潤すという大事業への挑戦を決意します。これは何の後ろ盾ももたない日本の一民間団体の挑戦でもありました。

技術的にきわめて困難で、しかも資金も人手もかかるといわれた工事は2003年3月に開始されました。2007年4月、第1期工事が完成、総工費はこの時点で約9億円、全てペシャワール会会員の会費と支援者の寄付によって賄われました。2010年2月には、水路全長25,5kmが開通しました。直接灌漑面積は、約3000ha、1日の総水量は30~40万t、更に近隣の取水口の新設及び枯渇した箇所の改修も手掛けたことによって、計14000ha(人口60万人)の農地が耕作できるようになりました。この用水路の完成により、砂漠化した廃村の多くが次々と復活しました。そしてかって「死の谷」と言われたガンべり砂漠は用水路によって開墾が進み、今や生命の躍動する場所となりました。

しかし、2010年8月に空前の大洪水がパキスタン北西部と東部アフガニスタンで発生し、クナール川沿いでも猛威を振るいました。洪水は、取水堰などを破壊し、異例の集中豪雨と鉄砲水が連日山麓で発生、用水路の至る所で改修工事を余儀なくされました。

☆「人と和し、自然と和すことは武力に勝る力」

2009年に行われた欧米軍増派は、いっそうの治安悪化をもたらしました。2010年には外国兵・一般市民の死亡は過去最悪の記録を更新しました。しかし、アフガニスタンが世界に訴えていることは、1990年代から依然として続く干ばつにより、国民の半分がまともに食べることもできないという現実です。

その中でも、用水路により緑が復活した地域(シェイワ、ベスード、カマ、ソルフロッド)では、欧米軍が撤収するほど民生が安定しています。

さて、日本では大震災に見舞われ、その上に起きた原発事故により、大変な過渡期を迎えています。その日本に対し、アフガニスタンからも被災者への義捐金が送られたというニュースがありました。

今まで私達は「困っている貧しい国に支援する」つもりで活動を行って来はしなかったでしょうか。しかし、そういう認識は、本当に正しかったのでしょうか。
「吾々の良心的協力が、立場を超え、国境を超えて躍動しているのは、自然の理に適っているからだ。」と中村さんは言っておられます。

こんな時期だから、アフガニスタンから日本を見ておられる中村さんのお話を聞いてみたい。

ぜひ、ほとんど報道されることのない、アフガニスタン現地からの生の声を聴きに、会場にお越し下さい。