守田です。(20170201 11:30)

東芝の海外での原発建設からの撤退に関する分析の続きです。
前回の記事でも明らかにしたように、東芝はいま子会社のWH(ウェスチング・ハウス)社が2015年12月に買収したCB&Iストーン・アンド・ウェブスター社が隠し持っていた7000億円という巨額な負債を背負い、大変な苦境に立っています。
東芝の株式資本は2016年9月末時点で3632億円。このままでは完全に債務の大幅超過になり倒産の危機に直面しており、民間銀行各社の他、政府系金融機関の日本政策投資銀行に救済を求めています。

日本政策投資銀行による救済は、郵便貯金や年金など国民の貯金を原資とする公金の貸付であり、とても容認できることではありません。
もちろん東芝もこうした救済が簡単に受けられるとは思っておらず、1月28日に原発部門の責任者で、WH社会長も務め、この会社の損失を隠した疑いを持たれている志賀重範会長を退任させることを発表しました。
同時にWH社現会長のダニー・ロデリック会長も退任の方向で調整していると言われています。本社と子会社のトップの首のすげ替えです。

それにしても東芝はどうしてこんな会社をWH社が買収することを許してしまったのでしょうか。またなぜWH社は巨額の赤字を抱えている会社を自らの子会社としてしまったのでしょうか。
さまざまな人士が分析を行っていますが、そのどれにも「はてな」がこびりついています。確証できる記事は出ておらず、2月14日の東芝による負債の詳細と再建策の発表が待たれている面もあります。
そのため現時点では推論に頼らざるを得ない面もありますが、ともあれより詳細な分析を行っておきたいと思います。

東芝のこの間の大きなつまづきは、2006年にアメリカのWH社を市場価格の2倍の6400億円で買収してしまったことにあります。
端的に言ってその後、その損失を一貫してカバーできなかったと言えます。結果的には、もともと原子力産業における世界的なリーディングカンパニーになろうとしたことが間違っていたのです。
では東芝の巻き返し策はなぜ、どのように失敗してしまったのでしょうか。今回はその点を追っていきたいと思います。

前回の記事でも書いたように東芝に買収されたWH社はアメリカで2008年にジョージア州ボーグル原発3,4号機、サウスカロライナ州VCサマー原発2,3号機と続けて4基の原発の受注に成功。2009年にはフロリダ州のレヴィ原発1,2号機も受注しました。
この6基の原発の受注はスリーマイル島原発事故以降、約30年間も新規の原発建設が途絶えていたアメリカの原子力事業の再興の展望を切り拓く位置をも持っていました。
この時すでに、東芝本体はリーマンショックの直撃を受けて巨額の買収のダメージが出てしまい、粉飾決算に手を染め始めていたのですが、それでも表面上、WH社を中心とする原発部門は経済界には好調と受け取られていました。

不正に手を染めていた東芝経営陣は、ここで売り上げを伸ばして赤字を埋め合わせ、粉飾が露見しないうちに健全財政に復帰することを狙っていたのでしょう。
しかしその思惑を直撃したのが、自らが設計・建設に携わった福島第一原発事故とその後の世界的な脱原発の流れでした。無論、福島の事故は子会社のWH社にも大きな足かせとなりました。

まず窮地に陥って展望を失ったのは、2009年1月にWHが2基を受注したフロリダ州レビィ原発でした。1号機が2016年、2号機が2017年に完成予定で、2基で1兆円近くの大型プロジェクトだったと推測されています。
ところが発注主体の米デューク電力(契約時は米プログレス・エナジー・フロリダ)が、2013年に建設断念を決定し、翌年にWHとの契約を解除してしまったのでした。
東芝の苦境を脱する期待の事業の一つであったレヴィ原発建設の展望はこれで完全についえてしまいました。

デューク電力が契約解除に踏み切った最大の理由は、福島原発事故後、アメリカの米原子力規制委員会(NRC)が規制を強化し、COLと呼ばれる建設・運転一括許可の下りる時期がずれこんでしまったことでした。
NRCは日本の規制当局とは違い、福島原発事故後、なんとわずか1年で既存原子炉の継続運転と新規原子炉ライセンス交付のための3つの命令を打ち出しました。
1すべての沸騰水型原発に格納容器ベントを求める、2緊急事態に備え使用済み燃料プールの水量を監視する計測装置の補強を求める、3同時多発的事象に対応できる能力を求めるというものでした。

レヴィ原発をめぐっては、電力会社とWH社の間での契約で、COL取得を2014年1月までに行うとされていたのですが、この新規制への対応のために期限切れ=遅延となることは明らかでした。
デューク電力はこの事態が明らかになるや、すぐに契約解除を決断したのでした。同社はいち早く世論の流れを見て危機回避策を採ったのでしょう。
しかも工事の遅延から契約解除にいたる一連の過程を巡り、デューク電力はWH社を2014年3月28日に提訴しました。WH側も負けじと3月31日に電力会社への逆提訴に踏み切りました。

マスコミ各社はこれを「泥仕合」と報じていますが、実はWH社が抱えた訴訟はこれだけではありませんでした。むしろ福島原発事故後の原発建設の遅延をめぐり、どこでもかしこでも訴訟が発生する大変な事態に突入し始めていたのです。
その一つはレヴィ原発よりも先に起こっていました。WH社が2008年に受注したボーグル原発3,4号機の建設事業においてでした。ボーグル原発はジョージア州にあり、1号機が1987年から、2号機が1989年から稼働しています。
同発電所はジョージア・パワー社、オーグルソープ・パワー社、ジョージア州電力公社、ジョージア州ダルトンの公営電力会社が共同所有していますが、原子炉の許認可取得と建設はサザン原子力発電運転会社が担っていました。

このサザンとストーン&ウェブスター社(米国大手エンジニアリンググループ会社ショーグループの子会社)及びWH社の間で総額140億ドルの設計・調達・建設契約が結ばれました。
この原発のCOL=建設・運転一括許可は2012年2月9日にアメリカ原子力規制委員会により発給されました。この日付は重要な意味を持ちます。新規制が出される直前だったからです。
もちろん新規制はボーグル原発にも適用され、最初の燃料装着前にクリアしなければならないのですが、しかしこの原発は加圧水型で1の内容と無縁であったこともあり、COL=建設・運転一括許可のための審査の遅延を免れれることができたのでした。

にもかかわらず、建設が始まるや否や、すぐに訴訟が発生してしまいました。しかもWH社など契約者側が所有企業4社を相手取ったものでした。
内容は原子炉建設に伴って掘り起こした穴の埋め戻し材が不足したので追加費用を求めるものでした。提訴日は2012年7月25日、これに対して所有企業側が8月に同じ問題での逆提訴を行いました。
さらに同年11月1日に契約業者は再び所有企業を提訴。今度は契約者がNRCの新規制を満たすために、原子炉の設計変更を加えたことによる追加費用が求められました。この中には一部の工事の認可受領が遅れたための追加費用も含まれていました。

ボーグル原発はVCサマー原発と共にアメリカでスリーマイル島での事故以降に初めて受注された原発で、それだけに全世界から大きな注目を集めていましたが、工事が始まるや否や主にWH社側からの訴訟が続きました。
レヴィ原発の発注者、デューク電力もまたこの事態を注視していたのではないかと思われます。だからこそレヴィ原発におけるCOL=建設・運転一括許可の遅延を見て、すぐに原発建設を断念し、しかも先んじてWH社を提訴したのでしょう。
福島原発事故後の東芝への不信などのさまざまな余波と世界的な脱原発の声の高まりの中で、東芝の頼みの綱であるWH社の原発建設は、動き出すや否や訴訟の泥沼にはまってしまったのでした。

続く

なおアメリカにおける原発建設の実態については、昨年8月13日にAPAST報告会で使われた川井康郎さん(プラント技術者の会)の資料が大変、参考になりました。
以下にアドレスを示しておきます。

東芝問題と原発輸出産業の現状
http://plantengr.net/p2/2-2-160.pdf

川合さんは「ふくろうの会」と「FoE Japan」た提供しているFFTVに出演し、この資料の核心部分を解説してくださっています。これもご紹介しておきます。

FFTV184 東芝の泥沼と原発輸出企業の現状/ゲスト:川井康郎さん(プラント技術者の会)
https://www.youtube.com/watch?v=_3QIjcYf7AI

川合さんとAPAST、FFTVのみなさんに感謝申し上げます!