守田です(20150830 09:00)

本日30日は全国で戦争法案反対の一斉行動が取り組まれます。「明日に向けて(1136)」で120か所以上の情報を集めましたが、IWJは「一説では370か所で行動が予定されている」と報道しています。ともあれ快挙の一日になりそうです。
僕自身は、今日は京都市のかぜのねで行う以下の企画でお話します。この場から全国の平和への思いを共にします。
昨日、今日と連投になって恐縮ですが、今回の企画に向けた論稿の4回目をお届けします。

日本の社会活動のあり方を考えよう
-スコットランド啓蒙思想の対話性と現実性に学ぶ-
https://www.facebook.com/events/795032107261199/

4、スコットランドにおける独自の人間観の形成

カルヴァン主義に顕著な勧善懲悪論を越え出ようとすることに、スコットランド啓蒙思想のプロブレマティーク(問題意識性)があることを見てきましたが、同時にスコットランドは特殊な歴史的位置性も持っていました。
というのはもともとイングランドとの長い抗争のうちに併合にいたった歴史を持ち、ピューリタン革命の後にもクロムウェル率いる鉄騎兵の理不尽な侵攻を受けたこの地は、一方でその後の王政復古をなした国王ジェームズ2世の出身地でもありました。
このため名誉革命後は、この追放された王を再度盛り立てて革命政府を倒そうとする「ジャコバイト運動」が沸き起こりました。

それはまた、併合されたのちも、スコットランドは経済的に「遅れた地」と自己認識され続け、イングランドへの抜き差しならないコンプレックスが形成されていたことの表現でもありました。
このためジャコバイトなどによる王政復古運動に与するわけではなく市民的社会発展を目指した人々は、まずもって貧困な状態を脱してイングランドに追いついていくことを目的とせざるをえず、その分、近代的な商業活動の発展を価値化することなりました。
さらにジャコバイト鎮圧後は、カルヴァン主義長老派の移入がなされて硬直した教義も浸透してきました。スコットランドの知識人たちは長老派の不寛容性と対決しながら、市民革命の精神を自由主義の発展へと向ける以外ない位置におかれました。

こうしたスコットランドの歴史をおさえるならば、デヴィット・ヒュームが、キリスト教の禁欲主義的な発想を批判し、人間が快楽(喜び)を求め、苦痛を避けようとするのな自然なことであり、とがめられるべきではないと考えた理由が分かります。
ヒュームはこれらを主著『人性論』(”A Treatise of Human Nature”1790)に表していきました。自然のままの人間への賛歌でした。
「人間とは楽園を追われた存在であり、現在を背負った不完全な存在であって、それゆえに神の救済を必要とする」というキリスト教のそれまでの伝統的教義への反抗を内包するものでした。

しかもそこでは「現世はただ神の千年王国の実現のために費やすべきもの」というカルヴァン主義的教義をも逆転させ、現世における幸福の追及こそが人間の生であるという主張が意気軒高に出されたのでもありました。
それはもともとロンドンに在住したマンデヴィルが、諸個人がそれぞれに利己的に利害を追及することが、かえって公共の善を作るのだと神学的利他主義をひっくり返して「ひとりひとりは悪でもみんなあつまりゃ天国だ」と詩で歌った内容の発展でした。
ヒュームは哲学的にロックの経験主義哲学をさらに発展させ、人間が認識できるのは感覚経験のみであり、それをもたらしたものを人間は知り得ないという不可知論の立場をとることで神学から距離を置き、こうした人間観に到達することができたのでした。

こうした観点からヒュームは、ロックによる「神に理性を与えられた人間たちが、原初状態で契約をなしたとする社会契約説をも批判する必要性に立ち、史実を紐解いてみても実際に社会契約が行われた事実は存在しないことを述べました。
そのことで何よりも市民政府の正当化のために、そんな無理な論証を行う必要はないと強調したのでした。
しかし人間が快楽(喜び)を求め、苦痛を避けることが自然なものだと考えたスコットランド啓蒙思想は、それではなぜ各人が各人の快楽(喜び)を追及しながら、社会の存立が可能かの論証を求められていくようになりました。

この点でヒュームに先立つシャフツベリ3世(1671~1713)や、それを受けて「最大多数の最大幸福」という観点をいちはやく打ち出すにいたったハチスンらモラル・センス派は、人間は利己的な存在であると言う観点をもう一度ひっくり返そうとしました。
「人間は他者に共感しうる利他的な存在であり、またそうなるべく努力していくことが重要なのだ」と唱えたのでした。そのときに持ちだされたのが共感=シンパシイ理論でした。
とくにこの点をリードしたのは、己自身、カルヴァン派に属するキリスト教徒として、内側からその不寛容性の限界を越え、神学を発展冴えようとしていたハチスンでした。

彼のシンパシイ理論は「汝、隣人を愛せ」という神の言葉の延長におかれたものでしたが、当時の極めて禁欲的で不寛容性の強かったカルヴァン派の中では斬新な考え方でした。ハチスンはアダム・スミスの師となり、直接的な影響を与えていきました。
しかしそれでもやはりハチスンの見解では、マンデヴィルが大胆に打ち出した、人間の利己心という「悪徳」こそが公共の善のもとになるという提起は後景に退いてしまうことになります。
そこでヒュームは、人間はもともと快楽(喜び)苦痛原則のもとに生きているのだけれども、そうした「利己心」だけでは社会を維持できないことをどこかで気が付いたのだと主張するにいたりました。

他者に対する思いやりを持たず、それぞれが快楽(喜び)を追及するだけでは、結局は人間は自分自身がまた他者に見いだされることがなくなってしまう。
ゆえに人間は、いつしか歴史的経験の中で他者を尊重することを覚えてきたのだというわけです。
ここにはシンパシイというものは、生得的な、したがってまた神に与えられたものではなく、人間が歴史的かつ経験的に形成してきたものだと言う観点が貫かれていました。

これに対して、ハチスンとヒュームに影響されつつ、後年にはヒュームの盟友となるアダム・スミスは、このシンパシイ理論を徐々に越えていく方向をとることとなりました。
というのは人間にはシンパシイがあるのは確かだとしても、それがあることだけを社会の存続の論理的根拠としただけでは脆弱であると考えたからでした。
なぜなら人間は、歴史的事実として暴虐な王政や宗教的不寛容をそれまでも生んできたわけであり、それを越えるには人間社会がそこに戻らない社会的な仕組みを作ることが必要だとスミスは考えたのでした。

アダム・スミスはここから、人間一般が他者理解をできるのではなく、むしろ市場を媒介に市民社会が形成され、見知らぬ他者との間に活発な取引が行われる中で、やがて利己的でありながら誠実な人間が形成されていくと主張していきました。
つまりスミスは、シンパシイによる社会の成り立ちを説く際に、利他主義的な人間への自己変革をなさねばならないものとして説くのではなく、利己心を抱えたままの普通の人間が相互に他者理解のできる人間に自己形成できる場として市場を捉えたのでした。
人間は一度市場に赴くと、己の利己心を満たすために取引の相手である他者への鋭い洞察を行わなくてはならなくなり、信用を得ることの必要性を学んでいく。それゆえ市場の中で人は誠実で他者理解に基づいた活動をする主体に成長できると言うのです。

そのために人間は常に利害関係の外にある第三者に誠実だと認められなければならず、こうした観察者=スペクテイターの観点を自らに内包していくことが問われているとアダム・スミスは主張していきます。
このような観点からアダム・スミスはその研究を、道徳哲学から経済学に移していくこととなったのでした。そして政府のとるべき策を、こうした人間の浄化作用を伴った市場経済、従って自由主義経済の保護にあると主張していきました。
さらにスミスはカルヴァン主義の一部をも積極的に継承していきました。すべては神によって決定されているという予定説の延長として、市場において人間は「神の見えざる手」の上にあると主張し、スペクテイターになる努力も無用としたのです。

スミスはこのように、商品経済という他者との出会いによって利益が達成される仕組みの中で人間の対他者性が育まれることを洞察し、それぞれに利己心を持った人間が相互に尊重していける社会の形成を展望しました。
ところが現実の市場経済は、スミスの論じたように動くばかりではなく、利己心をめぐる醜い争いも繰り返されていきました。
それゆえスミスは自らの経済学のバックボーンとなった道徳哲学の書である『道徳感情論』を幾度も改訂することに迫られていったのですが、結局、最後まで完成させることができなかったのでした。

続く

なお次回で連載を完結します。最終回は今日の夕方のセッションを終えてから出します!