守田です。(20150703 01:30)

今宵は禁を犯して夜中の投稿を行っています。

7月4日に新大阪の「市民交流センターひがしよどがわ403号室」においてトルコ訪問の報告を行いますがお話することの要点を述べておこうと思います。先に企画案内を貼り付けておきます。

日本はトルコに原発を輸出しないで! ― 4万人の市民の叫び ―
https://www.facebook.com/events/370108883191877/

さて、この日のお話ではまず前振りとしてチェルノブイリ原発事故のことに少し触れたいと思います。
この事故では現在では独立国となったベラルーシ、ウクライナを中心にヨーロッパの多くの地域が激しく被曝しましたが、歴史を振り返るとそもそもこの地域はナチスドイツが行ったソ連邦侵攻作成(バルバロッサ作戦)の主戦場になったところでした。
かの地はナチスによって手酷く蹂躙されてからおよそ40年かけてつつましやかな暮らしを再建した時に、チェルノブイリ原発事故に襲われたのでした。

それだけにヨーロッパの国々の中でもっともかの地の人々の苦しみに胸を痛め、援助の手を差し伸べたのはドイツの人々でした。
現在でも両国に援助を行っているドイツの団体は軽く1000を越えると言われています。
僕はここにドイツがヨーロッパ各国の中で先んじて原発廃棄の方向に進んだ根拠があると思っています。

このことでヨーロッパは今、どんどん原発が減っている状態にあります。いや世界的にみても明らかに原子力産業は行き詰っています。
チェルノブイリ原発事故によって、核政策の持つ暴力性に多くの人々が目覚めたがゆえに、1990年以降、ほとんど原発が作れてこなかったことが最大の要因です。
原発輸出は、この行き詰まりを打開しようとする世界原子力村の必死の延命策としてあり、そのターゲットの一つとしてトルコが選ばれていることを私たちは見ておく必要があります。

そのトルコに3回訪れて、まず見えてきたのは、トルコ政府が非常に暴力的だということです。デモ隊に対してすぐに戦闘警察を差し向け、ガス銃を乱射します。
2013年にイスタンブールのゲジ公園という自由に使われていた場が政府によって強引に閉鎖されようとしたときのこと、たくさんの若者たちが広場を守ろうと集いました。
トルコ政府にさしむけられた警官隊は若者たちにガス銃を乱射。なんと12人が命を落としてしまいました。しかもそのうちの一人の少年はただ買い物に来ただけでした。(少年は意識不明のまま眠り続け、2014年3月11日に亡くなりました)

こうしたことを背景に、「トルコ反原発同盟」は2014年初頭に日本の国会議員に対して「トルコは民主主義社会ではなく、現政府により独裁主義的支配が進んでいる。そんなトルコに原発を持ってこないで欲しい」と訴えました。
「2013年6月にゲジ公園近辺で行われたデモンストレーションに警察が介入した際は、3000人以上が逮捕、8000人以上が障害の残る重傷、そのうちの一人の10代の少年はいまだ意識不明、12人が視力を失い、11人が命を落としました」とも述べました。
この時期、国会でトルコと日本の間で結ばれた原子力協定が批准されようとしていたからでした。しかし国会はこの必死の訴えに耳を貸さずに協定を批准してしまいました。

2014年5月にソマで炭鉱事故が起こった時も、トルコ政府の酷いあり方が明らかになりました。
そもそもこの炭鉱は作業者の安全を守る設備が劣悪で、ILOから度々改善命令を受けていました。それがないままに事故がおこり公的には300人以上が亡くなったとされていますが、実際には900人以上が亡くなったと言われています。
しかも現場にかけつけたエルドアン大統領は「炭鉱は事故がおこるところだ」「トルコの炭鉱事故は他の国に比べればましだ」と言い放ちました。実は炭坑経営者一族とエルドアンは前々から癒着していたのでした。
この事故が起こった時、トルコの友人の一人は私に涙ながらにこう言いました。「炭坑すら満足に運営できないトルコに原発を持ってきたらすぐに原爆になってしまう」・・・。

そもそもトルコは日本と同じ地震国です。1999年10月19日にはトルコ北西部のイズミットで大地震があり、トルコ政府の発表で17000人が亡くなったとされていますが、多くの情報筋が死者と行方不明者が実際には45000人に上ったと推定しています。
このような地震大国に大地震と津波で原発が壊れて大変な被害を受けている日本から原発を送ることは道義的にまったく許されないことです。
さらにトルコと日本の間で交わされた原子力協定の内容も、核兵器製造につながる技術の使用を黙認する内容も含まれており、問題が山積しています。

さらに2回、3回とトルコに通ってだんだんと見えてきたのは、実はトルコもまたチェルノブイリ原発事故によって手酷く被曝した国だということです。
そもそもトルコは黒海を隔ててウクライナと向かい合っています。ウクライナを通過した放射能の雲は、海では遮られるものがないために、濃度を保ったままトルコに流れ着いてしまったに違い有りません。
ところが事故当時、トルコは最悪の軍事政権時代で、自主的な政治活動をするものは右翼も左翼も逮捕され、拷問されるような状態にありました。
そのため被曝状況を調べることも、危険性を告発することもできませんでした。多くの人々が無防備なままに放射能被曝したさまざまなものを食べてしまったのでした。

2014年夏に訪れたシノップ県のエルフレック市で、応対してくれた市長さんが次のように語ってくれました。
「黒海沿岸の町で、家族の中にがん患者がいない家はありません。みんなチェルノブイリ原発事故の影響です。だから私は市民を守るために身体をはって原発建設を止めます」。
今年の春に訪問した時はウルダグ大学のカイハン・パラ教授と、シノップ、サムソン、イスタンブールへの講演旅行を共にしました。他にも数名のドクターたちと一緒の旅でしたが、カイハン教授は黒海沿岸のがんについて研究していました。
教授はいくつもの統計資料を出しながら、明らかに黒海沿岸の地域にトルコの平均を上回るガンの発生が見られること。またそれがチェルノブイリ事故と相関していることを示してくれました。

そのカイハン教授がシノップで発言したときのこと、劇的なことが起こりました。
教授の発言を熱心に聞いていた地元のおばあさんが起ちあがり、「あんたはがんの発生が何パーセントとか言っているが、この辺じゃあ私の周りは全部がんで死んでいる。これで私が死ねば100%になるんだよ」と語りだしました。
さらに「それなのに私たちが喫茶店でお茶を飲んでおしゃべりしているだけで何もしてこなかったからいけないんだ。私たちがもっと反対しなくちゃいけないんだ」と言うのです。これに会場が反応。すぐに大討論会が始まってしまいました。

このようにトルコの人々、とくに黒海沿岸の人々は放射能被曝の恐ろしさを身をもって味わってきています。だからこそ多くの人が原発に反対しているのです。
このトルコの方たちを前に僕が発言して一番、多くの拍手を得たのは「安倍首相は大嘘付なので騙されないで下さい」ということでした。
「原発はコントロールされている。汚染水はブロックされている。今も未来も健康被害はない。・・・という安倍首相の言葉は大嘘です」と僕は述べました。これは東京とイスタンブールがオリンピック招致で争っている場での発言でした。

この内容をより詳しく知っていただくために、福島原発の現状を話し、さらに被曝状況の深刻さを話しました。こういう話にはトルコの方たちが本当に真剣に聞き入ってくれます。最も求められている情報です。
僕はこれからも何度でもトルコにいってこうした話をしようと思いますが、今回、なかでもこれは重要だと思った点がありました。
「日本では今、原発が1つも動いてない」ことです。実はこの事実が思ったより伝わってないのです。大学教授のカイハンさんすら知りませんでした。というより驚いていました。「それで日本経済は大丈夫なの?」と。

「もちろん。何の問題もないよ。世の中はまったく普通どおりに動いているよ」。「えーそうだったのかあ」というカイハン教授のリアクションを耳にしながら「そうか。日本政府は一番これを知って欲しくないのだ」と思いました。
ちなみに日本政府自身が原発輸出を急ごうとするのは、まさに原発が1つも動いてないからです。今月7月15日現在で平均でなんと4年2月も動いてない。最も動いていない柏崎刈羽原発2号機の場合、もうまるまる8年も動いてない。
このままでは技術そのものが枯渇してしまいます。運転員の腕も錆びきってしまう。だからこそ技術を長らえるためにも原発を輸出しようとしている。

しかしそのためにも原発が本当は必要などないのだということ、日本ほどの経済大国が原発なしでまわっていて株価が落ちているわけでもない(これはこれで別の問題がありますが)ことがばれてしまうことが最もまずいのです。
原発輸出を進めて日本の核技術を生き延びさせるためにもなんとしてもここで一つでも二つでも原発を再稼働させ、原発ゼロ状態を脱して、輸出につなげていくことが必要だと言うわけなのでしょう。
反対にこうも言えます。原発輸出ができなければ、このまま日本の核技術は朽ちて行くのです。その意味で私たちが原発ゼロを招き寄せるためにも、輸出をストップすることが大事なのです。

僕はこれまで地震大国のトルコに日本から原発を輸出することは道義的に許せないと考えて輸出反対に関わってきました。トルコの方たちへの責務を感じてのことでした。それ自身はこれからも変わるわけではありません。
しかし今回、実はトルコの方たちの頑張りこそ、私たち日本の民衆自身が核の危険性、被曝の苦しみから脱していくための、最も大きな助力でもあることにも気が付きました。
その意味で、原発に反対の声を上げて起ちあがっているトルコの方たちは、最も頼もしい同盟者であり仲間なのです。「そうなのだ。一緒になって本当に豊かで平和な世の中を作るのだ」と温かい思いの中で決意を新たにすることができました。

そんな意を込めて、僕は講演の最後を次の言葉で締めくくりました。
Power to the People!

これからもトルコの方たちとともに日本からの原発輸出を止めるために頑張ります!

当日はこれらのことをたくさんの写真、動画をお見せしながらよりリアルにお話します。百聞は一見にしかず!お近くの方、ぜひご参加ください!!