守田です。(20141203 07:30)

もう一週間も経ってしまいましたが、11月24日にアースディしがに参加して、映画監督の鎌仲ひとみさんと対談させていただきました。
午前11時15分からの開始でしたがその前に卒原発を掲げて当選した三日月滋賀県知事と、選挙を担った「チームしが」の方たちとのイベントトークがありました。しがのかあちゃんたちを中心とするチームです。
あらかじめ用意してきた幾つかの質問がなされましたが、チームしがのみなさん。知事をいじる、いじる!三日月さんはことごとく頭をかきながら応答していましたが、参加者全員の笑顔がはじけて雰囲気がとても良い。なんでも柔らかく包んで、楽しい間にどこかに連れて行ってしまう?しがの「市民力」の強さを見る思いがしました。

このセッションに僕も最後の方で登壇させてもらい、兵庫県篠山市での例を交えながら、原子力災害対策を市民目線でしっかりとたてて欲しいと知事にお願いしました。鎌仲さんとのお話はこのセッションの後に始まったのですが、鎌仲さんの提案でこの続きから話をすることになりました。
原発が災害を起こした時、リアルにはどんなことが起こるのか、その中で避難するというのはどういうことなのか。前半はこの話で盛り上がりました。
その後、鎌仲さんの最新作『小さき声のカノン』に話題を移行。ここからは対談というより主に僕がインタビューをして鎌仲さんに映画の内容を教えていただく形になりました。

『小さき声のカノン』は福島原発事故による放射能汚染に直面し、オロオロと慌てふためきながらも、子どもたちを守るために歩み始めたお母さんたちの姿を描いた作品ですが、この日、鎌仲さんはどんな思いでどのように映画を撮ったのか、その時どう思ったのかをリアルに語ってくださいました。
僕もこれまで鎌仲さんから月1回送られてくる『カマレポ』を観て映画の輪郭をつかんでいるつもりでしたが、鎌仲さんが何にフォーカスしていったのか、今回の対談を通じて初めてはっきりとつかめると同時に、深く共感し、感動するものがありました。
この映画は絶対に広める必要がある。この映画を観てもらうことで、子どもたちを放射線から守る活動をレベルアップさせることができる。多くの方に、未来のためにぜひ観て、広めて、上映に関わって欲しいと思いました。

そんな思いを込めて、この日の鎌仲さんと僕のセッションの後半部分を文字起こしすることにしました。
記事と対談につけた「映画『小さき声のカノン』に込められた思い」というタイトルは僕が独断でつけたものです。
長いので2回に分けますが、どうかお読みになった上で、映画の前売りチケットを購入し、他の方にも勧めていただければと思います。

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映画『小さき声のカノン』に込められた思い-1
2014年11月24日 アースディしがにおいて
鎌仲ひとみ&守田敏也

守田 鎌仲さん。そろそろ映画の話をしましょうよ。
鎌仲 したいしたい。

守田 映画がとうとう完成したということですけれども、まずは「見どころ」を教えて下さい。
鎌仲 え? ここで言うの?(笑)それがねえ、難しいのですよ。難しいと言うか、「見どころ」いってもエンターテイメントではないじゃないですか。
「観たことのない映画」と言われています。まだそんなに多くの人に観ていただいてなくて、試写会を3回ほどしただけなのですけれども。観た人たちはそう言っている。

守田 観たことがないというところが「見どころ」というわけですね(笑)
鎌仲 つまり震災について起きた事象、問題についての映画は、この大震災と原発事故以降、たくさん作られてきたのです。初めて映像作家たち、メディアの人たちが原発問題を捉えるようになった。
私はそれをできるだけ見るようにしているのですけれども、私自身は問題の核心は被曝にあると思っていて、その被曝に真正面からどう取り組むのかがこの映画の難しいところだったのです。
一番、人々が混乱させられているところでもあったので、そこに一本の光が薄暗い中にサーっと射し込むようなビジョンを示せる映画にしたいと、作り始めたころから思っていたのです。
なぜなら例えば福島の人たちは、原発が爆発してその瞬間を報道する福島中央テレビに「原発から水蒸気のようなものが上がっています。水素爆発だ」と言われたのです。放射能が出たとは言われなかった。
「放射能が出ました。原発が爆発しました。みなさん。この放射能から逃れるためにこうしてください。ああしてください」ということは一切なかったのです。それでみんなボーっとしていた。何も知らされなかったのです。
翌日、本当に線量の高い土壌の上で子どもたちが遊んだり、そこに座ったり、ご飯食べたり、一緒に水を汲みにいったりしていたのですよ。危ないことを知らなくて。
それでその後にだんだん事実が明らかになっていったときに、人々の心の中に複雑な感情が芽生えてきたと思うのですよ。お母さんたちがどう思ったのかと言うと「ああ、自分たちが子どもを被曝させてしまった」って。

守田 そうです。そうです。
鎌仲 「そうじゃない。あんたたちがやったんじゃないよ」って言っても、日本人は律義で責任感が強くてすぐに自分を責めちゃうので「自分たちに知らせなかったやつが悪い」とは思わないんですよ。
すごく加害者側にとって便利なサイコロジーをもっている民族なんですよ、私たちは。自分たちの責任を感じてしまう。そのように躾けられているのですね。なのでお母さんたちは罪悪感を持ってしまう。
でもその放射線値が高くなったところから逃げればいいのかと言ったら「大丈夫、大丈夫」って言われたのですよ。「放射能が来たけど大丈夫だから。そこにいていいから。何も問題がありません」と、事故の収束よりも素早く言われました。私はものすごくす早く情報操作がされたと思っています。
その情報操作を乗り越えて、子どもたちの健康へのリスク、自分たちのもそうですけれども、それに気が付くことができるかどうかが最初の大きな課題だったのですね。
それでその後に「ホラ、こんなに放射線値が高くなっている。それは危ないんだ」と言われた福島の人たちは「自分たちはバカにされている。自分たちの大事な故郷が汚染された、穢れたと言われた」と被害者として感じるようになってしまっていて、複雑な感情がぐるぐる渦巻くようになってしまった。
その中で一番、問題だったのは「これはもうどうしようもない。こんなに大きな政府や東京電力が助けてくれないのだったら、自分たちは黙ってここで生きていくしかない」と思ったのではないかと言うことです。そう思った人は多かったと思うのです。
「何もできない。だからもう考えない」という選択が蔓延しました。私はそれが最悪だと思っていて「そうではなくて出来ることがある。子どもたちを守りたい」という気持ちにどんぴしゃっとはまること、できることがあるということを示したかった。
しかしそれは現実の中にないと示すことができないので、凄く長い時間がかかっちゃったのですね。

守田 どういう形で示したのですか?
鎌仲 チェルノブイリ原発事故は福島原発事故の25年前に起きている。25年間、ベラルーシやウクライナのお母さんたちは経験を積んだわけですよ。その経験の中で分かってきたことはたくさんある。
それで守ることができる。子どもたちの身体の中にいったん入った放射能も出すことができる。今、そういうさまざまな実践をしてきた28年目になろうとしていて、福島は今、4年目なのですよね。
だからその先輩お母さんたちに、ビギナーのお母さんたちはものすごくたくさんのことが学べると思うのですよ。その学べるところをこの映画の中に入れました。
それを今までの「原発反対」という対立的な運動の形ではなく、私たちが暮らしの中でご飯を食べるように、息をするように、朝、「おはよう」って言うようにできる運動、そういう取り組みをこの映画の中で具体的に示したのです。あ、それが見どころだな。そういうわけなんですよ(笑)。
今日はその本編をお見せするわけにはいかないのですけれども、400時間このテープを回して、結局、2時間をちょっと切ったのです。縮めていくプロセスの中で泣く泣くお気に入りのシーンを落としていったのですよね。
そのシーンが良くないから落としたのではなく、やはり物語を編んでいかなければならないので、その中にどうしても入りにくかったものを素晴らしいシーンだとしても落とさざるをえなくて、それは映画を作っていく中ではどうしても起きることなのですけれども。
今日はその最後の最後の方で落ちていったシーンをみなさんに観てもらって、本編は来年の3月に東京で劇場公開をしたあとに一斉に全国で上映していただこうと思っています。

守田 昨日も京都で一緒にトークさせていただいて、いろいろと聞かせていただいたのですけれども、印象的だったのは、鎌仲さんはこれまで月に一回『カマレポ』というのを配信して来られました。長く撮りためたものをみんなにずっと観てもらえないのは残念だということで、毎回10分から長くて15分のものでした。
僕は楽しみに観ていたのですけれども、その中に僕が東北に行って知り合った方たちがたくさん出てくるのですよね。その方たちは頑張ってあちこちで先頭に立って、素晴らしい訴えをしてくれている人たちなのですよね。
僕は最初はそういう人たちのシーンが集まって映画ができるのかと思っていたのですが、昨日聞いたらほとんどそのシーンは落としたというのですよね。それはどうしてなのでしょうか。

鎌仲 もう分かっている人は良いかなと思ったのです。うーん。なぜって誰も原発のことを、その恐ろしさを知らなかったわけでしょう?日本中のほとんどの人が。それを知っている人が「ああだこうだ」って言ったって、それを素直に聞けないということもあると思うのです。
分かっている人に言われるというのは上から目線的でもあるし、そうではなくて私は本当に地に這いつくばって、日々、ご飯を作ったり、子どものいろんな細かいことを気にしながら子育てをしているお母さんたちの目線はそういうところにはないということに気が付いたのですよ。お母さんたちはもっと違うところを見ているのではないかなって。
その目線を合わせるのに、原発のことをただ知らせるのではなく、お母さんがどういう風に子どもを愛しその子供を守っていくということを、これまでのご飯を作る、洗濯をする、掃除をする、子どもの宿題を見る、子どもを幼稚園に、学校に送りだす。その延長上にあるべきだという風に思ったんですよ。
それはグレイな、グラデュエーションでいうと曖昧なところですよ。はっきりと腹をくくった人たちではないのですよね。途上にある人たちなので。だからカメラに映ることも非常に難しい。カメラに映ること事態が福島では恐ろしい。
なのでそういう非常に微妙なところを撮影するのに凄く時間がかかりました。微妙なところにいるお母さんたちが試行錯誤をし、泣きながら、励まし合いながら、でも孤独にもなりながら、それでもやっぱり前に進んでいく姿を3年間、追っかけたので大変だったのですね。
そこが「今までにない映画」ということだと思います。映画には「素晴らしい人を撮る、素晴らしい覚醒した人たちを撮って、その教えを請う」というものもありますが、今必要なのはそういうものではないと私は思うのですよ。
やはり今を生きている葛藤とか格闘の中に何か見えてくるものを追うのがこのテーマではいいかなと実感したのです。そのため編集はものすごく苦しかったのですけれども、最終的にはその目線と合うことができたと思っています。

続く

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チケットは以下から購入できます!

鎌仲ひとみHP
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