守田です。(20141110 23:30)

ポーランド訪問で学んだことの続きを書きたいと思いますが、これまで観てきたように、ポーランドの現代史にはユダヤ人問題が大きく横たわっています。その一つの頂点がアウシュビッツ絶滅収容所であり、この重大な歴史をしっかりと見据えるためにも、ユダヤ人のことを常に考えながらポーランド史をおさえていかねばと思っています。

そのためにもここで「ユダヤ人とは何か」について若干ですが触れておきたいと思います。というのはユダヤ人とは、ロシア人、ポーランド人などと呼称できるような国家的な枠組みによって規定されるものではないからです。歴史上も今も、ユダヤ系ロシア人もいれば、ユダヤ系ポーランド人もいます。
人種を指すのでもありません。ナチス・ドイツはユダヤ人を「人種」として強引に定義し、祖父母にユダヤ教信者のいるものは本人が何を信仰していようとすべてユダヤ人だと規定した上で、ユダヤ人への徹底迫害と殺戮を行っていきましたが、実際のユダヤ人はたくさんの人種にまたがっています。
民族と定義できるのかというとそれも難しい。そもそも「民族」自身、近代になって強まった定義の難しい言葉ですが、ユダヤ人はヨーロッパを中心に世界の各国に存在しており、それぞれの地域の民族性の中に溶け込んでいる場合も多くあります。
ではユダヤ教を信じる人々と定義できるのかというと、歴史的にユダヤ信仰を捨て去って違う思想の中に生きた人々もたくさんいます。マスクス主義の創始者、カール・マルクスもその一人です。

歴史を紐解いてみると、ナチス・ドイツが「祖父母にユダヤ教信者のいるものはユダヤ人だ」と定義したように、自らのアイデンティティとしてではなく外側から「ユダヤ人」と決めつけられた上で迫害を受けた人々もたくさんいました。
ナチスからの隠れ家で日記を残したアンネ・フランクもその一人と聞いています。ちなみにユダヤ系ポーランド人、ないしポーランド・ユダヤ人はナチスにポーランドが占領される前は約300万人おり、そのうち290万人から295万人が殺されてしまいました。
しかしこの中にも、自らを強くユダヤ人と考えている人々もいれば、そうではなかった人々もたくさんいたのが実状だと思われます。
ではユダヤ人とは何なのか。薄学な僕にその定義をするのは手に余りますが、それでも旧約聖書の時代から説き起こされる歴史上のルーツを共有している人々であると言えるのだと思われます。

ここで今回の考察にあたって大きく依拠している『ポーランドのユダヤ人』(みすず書房2006年)という本をご紹介したいと思います。中世から近世、さらにナチス占領下のポーランドのユダヤ人を分析した書物です。
編著者はフェリクス・ティフ。ユダヤ人としてナチス占領下で作られたワルシャワ・ゲットーを脱出して生き延び、戦後はポーランド統一労働者党の党史研究所の教授となりますが、反ユダヤ運動で職を追われました。社会主義崩壊後のポーランドで1996年以降、ワルシャワのユダヤ史研究所所長を務めておられた方ですが、たった今、どうされているかは確認できませんでした。
この書の第一章に「ユダヤ人とは誰なのか」という章が据えられています。書いているのはヨランダ・ジィンドゥル。ここでつぎのような一文がみられます。
「現在のユダヤ人は民族的、文化的に統合されておらず、言語も同一ではなく、宗教との関係はさまざまであっても、かれらは特殊で、痛ましい、永く続いた歴史によってつながれています」(『同書』p8)

ではここに書かれた共有されている歴史的ルーツとは何なのか。続けてこうした提起がみられます。
「その歴史の始源は旧約聖書によって知られています。そこにはユダヤ人の自己意識の基礎的な要素が示されています。すなわち族長アブラハムに始まるかれらの出自、イスラエルの地、つまり聖書の約束の地との絶えることのないこどわり、それに信仰あるユダヤ人とキリスト教徒とのきずなである唯一のヤーヴェへの信仰です。」
「ユダヤ人の運命の独自性は、迫害のない自由な土地を求めて続けられた永い放浪、つまり他民族の間にちりぢりに営まれたディアスポラの生活、それに加えてユダヤ人以外の環境との関係に由来します」(『同書』p8,9)
ディアスポラとはちりぢりになって分散して生活している状態のこと。近代におけるイスラエル建国まで長い間、国をもたなかったユダヤ人のあり方をさす言葉でもあります。

本書では、これらユダヤ人の自己意識の拠り所だったのは長い間、ユダヤ教であった指摘されています。しかし先にも述べたように18世紀ぐらいからそのあり方が変容していきます。フランス革命の人権宣言に顕著な平等の思想の高揚の中で、ユダヤ人の中にもさまざまな思想が生まれ、歩む方向性が変わってきたからです。
この中で台頭してきたのは、ユダヤ人であることにこだわらず、現に暮らしている諸民族の中に同化していく方が良いのだと言う考えや、カール・マルクスのように無神論者になることによってユダヤ教と決別していくものなどでした。反対にあくまでもユダヤ人としてのアイデンティティにこだわっていく人々ももちろんいました。
しかしこうした多様性ゆえに、とくにこれらの時代以降はユダヤ教をもってユダヤ人であるとすることはできず、その存在のあり方はそれぞれの人々が歩んだ方向の違いよって大いに多様化していきます。つまり近代に近づけば近づくだけ、ユダヤ人のアイデンティティは多様化してきたと言えると思います。
僕にもとてもではないですが、こうした紹介以上に定義をすることができません。まだ学んでいる最中でもあるからでしょうが、今はどのように規定しても、何かが欠けてしまうように思えます。

にもかかわらず、こうした多様な展開や異質性をまったく無視して「ユダヤ人とは何か」が外側から規定されてきたのが、近代において繰り返されてきたことに留意すべきだと思います。
その上で強調したいのは、ナチス・ドイツによる蛮行以前にもユダヤ人への迫害は何度も繰り返されてきたということです。その際、常に行われたのはありもしない「ユダヤ人の罪」をヒステリックに叫ぶことでした。
「ユダヤ人の罪」のでっち上げは、たいてい社会が不安定になり、人々の心が穏やかさを失っているときに持ち出されました。本来、為政者に向けられるべき怒りがひどく歪められて「ユダヤ人」に向かったこともたくさんあり、それを意図的に為政者が狙った場合もありました。
今、僕がこのことを書くのは、こうした「ユダヤ人の罪」のでっち上げのもとでのユダヤ人殺戮に「大日本帝国」もナチス・ドイツとの同盟によって加担した事実を忘れてはならないからです。

同時に今日、世界の中で、いや日本社会の中でも、ネットなどで繰り返し「ユダヤの陰謀説」が飛び交っています。その意味で「ユダヤ人の罪」のでっち上げによる迫害は今も続いている問題であると捉える必要があります。
その際もユダヤ人の間に多様な違いがあり、まったく正反対の立場に立つ人々すらたくさんいるのに、何か強烈な同質性があるかのごとき「ユダヤ人」像が繰り返し語られてきたことに注意が向けられる必要があります。
特に今、ユダヤ人が設立した国家であるイスラエルが、パレスチナへの蛮行と殺戮を繰り返していますが、それはイスラエル国家の指導者たち、およびそれに追随している人々の罪であって、「ユダヤ人の罪」では断じてありません。
現実に世界各地のユダヤ人が「ガザでの殺戮を止めよ」と声をあげてデモンストレーションをしています。この中にはイスラエルという国家が「ユダヤ人の代表かのように振る舞うことを止めて欲しい」と訴えている人々もいます。

こうしたことを踏まえた上で、しかし歴史的に「誰々はユダヤ人」だからという名目だけで、暴力が振るわれ、殺戮が繰り返されてきたことをおさえ、人類の中からこんなにひどい殺戮が二度と起こらないための努力を重ねていく必要があります。
このことはユダヤ人の問題だけでなく、他の多くの事例にも共通することです。例えば日本では今、「在特会」などがヘイトクライムを繰り返し、朝鮮人、韓国人、中国人などを対象としたまったくもって許すことのできない犯罪的言辞を投げ続けています。
本当に日本で特権を謳歌しているアメリカ軍の存在などにはまったく触れずにです。要するに本当の強い悪(日本人を大量に殺害したことを一度も反省していないアメリカ)には立ち向かえず、矛盾を自分の「下」にいると主観的に思っている人々にぶつけようとしている。
そこにはヨーロッパで繰り返されてきたユダヤ人への迫害構造と同じものがあります。

そんな「在特会」はユダヤ人大量虐殺の旗であるハーケンクロイツをも掲げてデモをしています。しかもその在特会と、現在の安倍政権はさまざまな形でつながってさえいます。
ヘイトクライム集団と内閣の閣僚が結びつくと言うとんでもない状態が私たちの国の中にあり、私たちは人類が近代につかんできたすべての人間の平等をうたった人権思想に基づいて、こうしたヘイトクライムと対決し続ける必要があります。
ただしこうした状態はけして日本だけでなく、世界の多くの国々でも起こっていることも見据えておく必要があります。僕はその抜本的要因は新自由主義のもとで貧富の差が激烈に拡大し、社会の矛盾が高まり、人々の穏やかさが奪われ続けていることに根拠があると思っています。
だからこそ私たちはこうしたあらゆる傾向と立ち向かい続ける必要性があります。そしてそのために、600万人のユダヤ人の虐殺というとんでもないことが、つい70年前に大規模になされたのは何故なのかと言う問いを、私たち自身の問いとしなければと思うのです。

ちなみに今回の旅では、オシフィエンチムという都市にあるアウシュヴィッツ博物館を訪れることができました。「アウシュビッツ」とはポーランド語の都市名を嫌ったドイツ人たちが勝手につけたドイツ風の名前です。
ここで長年、ガイドを務めている日本人の中谷剛さんの説明を受けることができたのですが、とてもとても素晴らしかった!何より中谷さんは、僕が今ここに書いたような、現代でも繰り返されているいわれなき差別や抑圧を踏まえつつ、今、アウシュビッツで学ぶべきことを語って下さいました。
その中谷さんの著書『アウシュビッツ博物館案内』の中で、中谷さんは「ユダヤ人」をナチス・ドイツが「人種」として特定したことを批判するために「ユダヤ人」という言葉は使わずに「ユダヤ民」という言葉で説明を行っています。
中谷さんは同様に、ナチスがユダヤ人とともに絶滅の対象とした「ジプシー」と言われた人々に対しても、この言葉に蔑称が含まれていることから「ロマ・シンティ」と呼称しています。

実はこの点で僕もここで「ユダヤ民」と書くべきなのか悩みましたが、歴史上のさまざまな文献で「ユダヤ人」という言葉が使われていること、かつ「ユダヤ民」という用法がおそらく「ユダヤ人」という使い方より妥当だとは思うのですが、一般化してはいないことをかんがみて、とりあえず「ユダヤ人」と書くことにしました。
ただしこの点を論ぜずに「ユダヤ人」と書くわけにはいかないと考えて、この一文を付け加えることにしましたが、この点を書くのはずいぶん、苦労しました。
さまざまな配慮をしたつもりですが、まだまだ間違ったものがあり、とりわけ当事者の方々への配慮が行き届いてない面もあるかも知れません。その場合はどうかご指摘していただければと思います。
それらを踏まえて、ここでは「ユダヤ人とは何か」ということだけでなく、近代では立場も思想も異なる人々をも「ユダヤ人」というひとくくりにした上での迫害と殺戮が行われてきたことに注意を喚起したいと思うのです。

自分自身のことを考え見ても、在特会の主張を日本人総体の主張と誤解されて、「そんな差別を平気でする日本人」などと海外の人たちから言われることはまっぴらごめんです。その点では反対に僕の主張をもって「日本人の意見」と思われることを嫌がる方もおられるでしょう。
そこがキモなのです。在特会などが呼号する「中国人」「韓国人」などには、そうした現実の人々の多様なあり方を無視し、何か自分が腹立たしく思えっていることがら(それ自身、根拠があいまいですが)が、およそすべての「○○人」のものとされてしまっています。
しかし実際に歴史上、繰り返しあったことは、あらゆる「○○人」の中に、素晴らしい人もいれば、人間として許すことのできない犯罪を行った人々もいるのだという事実です。
だから私たちは、そうした具体性を無視した「○○人」というくくり方に抗っていかなければならないし、批判的観点をたくましくするためにもナチス・ドイツが「ユダヤ人」というひとくくりで600万人もの多様な人々を殺害したことを見据えなければならないのです。

こうした歴史を学んでいて見えてくるのは、ナチスの歴史的犯行に対して非常に多くの国々の人々が加担したり、無視を決め込むことで消極的に賛同した事実です。
先にも述べたように日本はナチス・ドイツと組むことによって、その犯罪に加担しました。しかしドイツと闘った連合国のアメリカやイギリスとて、何度も諜報員がアウシュビッツなどの実態を報告したにもかかわらず、その阻止に積極的に動かなかった事実も今日、曝露されています。
だからこそ、イスラエルに集っていった人々に、この世界では自分たち以外、誰もユダヤ人を守ってなどくれないのだという強い意識を作り出したともいえるのであって、そうしたことも私たちはつかまなければいけないと思います。
それらを含めて、私たちの眼前で繰り返されている朝鮮、韓国、中国の人々へのヘイトクライム、あるいは「ユダヤの罪」という新たなでっち上げを絶対にやめさせる決意を込めながら、今、ポーランドとユダヤ人の歴史について学んでいかねばと思うのです。

続く