守田です。(20141104 22:00)

今回はポーランドに関する考察を一度横において、表題に掲げた本の書評にトライしたいと思います。
岩波ジュニア新書から出ている親友の蒔田直子さんの編著書です。同志社大学松蔭寮を舞台としたもので、蒔田さんの他、たくさんの元寮生が思いを込めた文章を寄稿してくれています。
一刷がでたのが先月10月21日。ポーランドへの出国の直前に蒔田さんに届けてもらい、バックにつめて旅に出ましたが、旅の間は読むことができず帰ってきてから一気に読了しました。
またちょうど出版と重なるように松蔭寮が創設から50年を迎えたために行われた同志社大学での展示にも帰国直後に行ってくることができました。

とくにかく何より面白い本です。ノリのよいテンポに誘われて一気に読み進むことができます。そして終盤に蒔田さんの深みのある素晴らしい振り返りに接し、感動のうちに読み終えることができます。
このライブ感は、どうしたって言葉では表現しきれないので、ぜひぜひご一読をお勧めします。若い人にもそうでない人にも読んで欲しい。
僕が一番、読んで欲しいと思ったのは9月に亡くなられてしまった恩師、宇沢弘文先生でした。なぜならここには宇沢先生が教育の場がもつべき理想として常に語られていたことがいきいきと表現されているからです。
自由とは何か、生きるとは何か、友とは何か、教育とは何か、そしてまた大学とは何か。その他、今、何かの問いを持ち、思い悩んでいる方にはとくにお勧めしたいです。きっとあなたの今への何かの刺激が得られると思います。
編著者の蒔田直子さんについて少し書きたいと思います。僕が彼女と出会ったのは2001年9・11事件の後、アメリカによるアフガニスタンへの「報復」攻撃が始まった時でした。
「報復」と言ったって、9・11事件にはアフガンの人は誰も参加していなかったし、アメリカが即座に掲げた「オサマ・ビン・ラディン」犯行説も何の証拠も開示されない断定でした。
当時のアフガン・タリバン政権は、「オサマ・ビン・ラディンが犯人だと言うなら証拠を示してくれ。そうでなければ客人を差し出すわけにはいかない」と言っただけなのに、アメリカは傲然とアフガン攻撃を始めてしまいました。
これに胸を痛めた京都の女性たちを中心に、9月30日にピースウォークが行われ、1人1人の参加で成り立つ「ピースウォーク京都」が結成されました。もちろんその中心に蒔田さんがいました。

ピースウォーク京都はさらに、この年の暮れにアフガニスタンに長いこと医療援助を行ってきたペシャワール会の中村哲医師を招いて講演会を行うことを提案しました。
中村哲さんは事件以前から壊滅的な干ばつに襲われていて国際援助が必要とされていたアフガニスタンに、世界最大の金持ち国アメリカが軍事侵攻を始めたことを全面的に批判しつつ、同時にけして悲嘆にくれることなくアフガンの人々の命を守ることを訴えていました。
中村さんによれば、日本円で2000円あれば一家10人が冬を越すための小麦と油が買えるという。緊急援助としてとにかくお金を集めて欲しい、自分たちが必ずそれを困窮する人々の手に届けると声をからして訴えられていました。
各地でそのために講演会が開かれていました。米軍の猛攻撃に抗して命をつなぐための小麦と油を送る、そのためにお金を集める。僕もこの行為に深く共鳴し、講演会のスタッフに加えてもらいました。

会議の場で初めて出会ったのが蒔田直子さんでした。蒔田さんとは馬が合うと言うかノリが近いというか、すぐに仲良しになり、僕自身もピースウォーク京都に加えてもらい、以降、たくさんのイベントを共にしてきました。
あのときの講演会は2000名参加で200万円が集まり、アフガンの人々の一部の命をつなぐお手伝いができたと思うのですが、それから今日までもう13年が経っており、その間にたくさんの濃い濃い時間が過ぎて行きました。時系列で書いていったらとんでもない長文になってしまうほどのいろんなことを共にしました。
残念ながらそれらは割愛せえざるを得ませんが、振り返ればいつも共有してきたのは、困っている人、苦しんでいる人をほおっておけない義侠心だったように思います。
ただし困ったことに彼女も僕も、義侠心は良いとしても、すぐに事態を客観的に見る視点を失い、後さき考えずに走り出してしまう性癖を持ってきました。だから誇れることもあるにせよ、周りに迷惑をかけたこともしばしばで、しかもいろいろと失敗も重ね、七転八倒してきました。

そんな蒔田さんを人に紹介する時に、僕は「嵐を呼ぶ女」と言っています。その度に彼女に「やめてよ」と言われますが、これ以外にぴったりくる形容詞を僕は知りません。
なぜ「嵐を呼ぶ女」なのか。人が人生の中で一度か二度は遭遇するかもしれない大事件に、だいたい三か月に一回ぐらいのペースで遭遇してきたからです。それがなぜかも本書を読めば分かるのですが、蒔田さんが他者(ひと)の生にいつも真剣に寄り添おうとするからです。だから必然的にいろいろな事件にディープに巻き込まれもする。
本書の中で「いかにも蒔田さんらしいなあ」と思ったところを紹介すると、ある夜中に蒔田さんの携帯に寮生の「アッコちゃん」から電話かかってきます。何かと思って電話をとると「私、今から死のうと思います」とアッコちゃん!
・・・みなさん。夜中に若い女性からそんな電話がかかってきたらどうしますか? この時、蒔田さんはアッコちゃんが寮の近く、鴨川の荒神橋の上にいると聞いて即座にこう答えるのです。

「あのね、荒神橋から飛び降りても骨折して痛いだけだから、飛び降りたらあかん!
鴨川に入っても寒いだけだから入水もあかん!
そういう大切なことは夜中に決めたら駄目。
帰って寝て明日起きてから考えよう。
いったい何があったの?」

蒔田さんは本書の中で続けてこう綴っています。
「これは、非常事態宣言である。『死にたいコール』は30年も寮にいたら何度も経験してきた。そのたびに心臓がバクバクと音をたてる」(以上、同書p15より)

蒔田さん自身は心臓が高鳴っていてけして余裕があるわけではない。でも蒔田さんの言葉には人生の修羅場をくぐってきた人の持つ度胸のすわりがあり、そこに圧倒的な説得力が生まれます。
何より彼女は、アッコちゃんの「死にたい」思いを即座には否定しない。だから「死なないで」とかは言わない。「それじゃ痛いだけだからやめなさい!」と妙な合理性でアッコちゃんを説き伏せて行く。
実際にこの時、蒔田さんは携帯電話の遠隔操作でアッコちゃんを寮へと誘導し、寝かすことに成功しています。
それは蒔田さんがアッコちゃんが感じている死にたくなるような「しんどさ」を深いところで理解してきたからできたこと。理解しながらでも生きることの素晴らしさを教えてあげたいといつも思っていたから実現できたことです。

本書の素晴らしさは、こうしたエピソードの披露のあとに、当事者の元寮生さんが登場して一文を寄稿していることにもあります。
アッコちゃんの寄稿した一文には「『同じ』だけど伝わらないということ 宇宙人少女A」というタイトルがつけられてます。彼女が抱えてきた「しんどさ」が綴られています。
アッコちゃんはその辛さを、蒔田さんだけでなく、松蔭寮の友人たちとの関わりの中からしだいに超えはじめ、克服していきます。素晴らしい過程です。
ぜひここだけでも読んで欲しいです。アッコちゃんをめぐるやりとりのこの章を読むためだけでも僕は本書を手にとる価値があると思います。

続く

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なお本書は以下から購入可能です。ぜひいますぐお申し込みを!

『大学生活の迷い方―― 女子寮ドタバタ日記 ――』
https://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-500787