守田です。(20140707 21:30)

77年前の今日は盧溝橋事件があった日、日中戦争が開始された日です。この日以降、旧日本軍は中国侵略戦争を本格化させ、全面展開に移り、何千万人もの方を殺害しました。
現中国政府はこの77年目の7月7日に際して安倍政権批判を行い、今後旧日本軍人の侵略に関する証言45人分を、毎日一通ずつ公開することを明らかにしました。重要な内容です。
公開が進んだ段階で検討し、この場で日中戦争の振り返りをしたいと思いますが、今日のところは「明日に向けて(884)」で行った各界からの集団的自衛権行使の動きへの批判の紹介の続きを行いたいと思います。
今回は仏教界からの声明を取り挙げます。

前回と同じように、声明のタイトルとアドレスを記し、本文の一部を紹介するか転載しますが、記事を作りながらそれぞれの声明を読んでいて、深く感動し、かつ心を温められました。
僕が一番、共感したのは、ほとんどの宗教団体が、仏教界、キリスト教界を問わず、集団的自衛権行為への抗議にとどまらず、あらためてここで戦争放棄こそが私たちの国の進むべき道であることを主張していることです。
すべての戦争は悪であり、戦争をもって日本の平和を守ろうとすることが間違いであると批判をしているのです。その意味で「個別的自衛権」に対する明確な批判にもなっています。
そうなのです。そもそも「個別的自衛権」なるものの放棄をうたったものこそ、私たちの国の憲法なのです。「陸海空軍およびその他の戦力はこれを保持しない」と書いていあるのですから。

ところがいつしかアメリカの強い要請の下に「自衛隊」という言葉の遊びのようなネーミングの部隊が生まれました。明らかに「陸海空軍およびその他の戦力」なのに「軍」という名を使わないですり抜けようとしたのです。
これを強引に行ってきたのが歴代の自民党政府だったのであり、自衛隊の存在を認めぬ道を歩もうとしたのが、これまでの日本の平和運動の歩みでした。
日本の多くの宗教団体が、今もこうした非戦の心を非常に強く示してくれています。そうです。この原点に私たちはすべての「集団的自衛権反対」の声を合流させていく必要があります。個別的自衛権の放棄に立ち戻る必要があります。
この点で創価学会という仏教の教えに支えられた人々に支えながら、公明党が安倍自民党に屈してしまったことは象徴的です。なぜそうなってしまうのか。公明党が「個別的自衛権」を認めてきたからです。自分を守るためなら戦争をしても良いとしてきたからなのです。

こうした点をしっかりと学ぶためにも、それぞれの声明から抜粋を行いましたが、あくまで僕の主観で行ったので、大事なところを抜いてしまっているかもしれません。どうかぜひ全文を読んで欲しいと思います。
私たちの国で宗教者として祈りを続けられてきた方たちが、平和憲法を信仰の中に深く取り込み、条文の間に熱を宿そうとしてこられたことが温かく伝わってきます。私たちの国にこうした豊かな祈りがあることはすべての私たちにとっての幸いであると僕は思います。
これを日中戦争開始から77年後の今日、7月7日にご紹介できるのは喜ばしいことであり、何かの縁を感じるものでもあります。
以下、まずは仏教界からの声明をご紹介しますが、まだ網羅できてないものもあると思います。他にもこんな声明があるよという方、ぜひご連絡ください。

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全日本仏教会

先頭は「全日本仏教会」です。齋藤明聖理事長の談話です。
「このたびの集団的自衛権の行使を容認する閣議決定には、人間の知恵の「闇」を垣間見るがごとき、深い憂慮と危惧の念を禁じ得ません」と結ばれた声明です。
人間の知恵の「闇」・・・その通りだと思います。

集団的自衛権の行使を容認する閣議決定に関する理事長談話
ニュースリリース 2014(平成26)年7月1日
http://www.jbf.ne.jp/news/newsrelease/1495.html

(抜粋)
「本日、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされたとのことでありますが、これが実行されれば、日本人が国外で人を殺し殺されるという事態が起こり得る可能性があり、日本国憲法に示される戦争放棄を捨て去ることになりかねません。
戦争は最大の暴力であり、無辜(むこ)の人々に犠牲を強いる愚行そのものであります。いかなる理由であれ、自己を正当化して、かけがえのない「いのち」を武力で奪いとることは、何人にも絶対に許されることではありません。
この厳粛なる事実こそ、平和に生きようとするすべての人々にとっての燈火であり、寄る辺であると、私たちは教えられてきました。主張や利害の対立は、武力行為によってではなく平和的な話し合いによって解決されなければなりません。
仏陀の「和の精神」を仰ぐ者として、このたびの集団的自衛権の行使を容認する閣議決定には、人間の知恵の「闇」を垣間見るがごとき、深い憂慮と危惧の念を禁じ得ません。」
東本願寺

続いて東本願寺の声明です。6月10日に出されています。
非戦の願いをかなえるためには「『人のいのちを奪う戦争を絶対に許さない』と言い切るところからしか始まりません」と説いています。
なお昨日7月6日夕方か5時から、京都では降りしきる雨の中、秘密保護法や戦争に反対するデモが行われましたが、たくさんの東本願寺の法衣を着た僧侶の方たちも参加し、雨に濡れながら歩いてくださいました。

集団的自衛権の行使容認に反対する決議
東本願寺 2014年6月1日
http://www.higashihonganji.or.jp/news/declaration/6054/

(抜粋)
「私たち念仏者は、地獄・餓鬼・畜生という三悪道に他ならない現実に立ちながら、浄土を願うものです。
その私たちに対して、「仏の遊履したまうところ(中略)、国豊かに民安し、兵戈用いることなし」と不殺生を呼びかける教えの言葉は、三悪道たる現実に対する悲痛な叫びであるとともに、非戦への深い願いであります。
その願いに応えることは、「人のいのちを奪う戦争を絶対に許さない」と言い切るところからしか始まりません。
親鸞聖人は、念仏を誹謗する人々に対して、「念仏せんひとびとは、かのさまたげをなさんひとをば、あわれみをなし、不便におもうて、念仏をもねんごろにもうして、さまたげなさんを、たすけさせたまうべし」と述べられております。
さまざまな意見、立場の人たちと丁寧に対話していくことをいとわず、私たちは「不戦の誓い」の具現化に努めてまいります。」
立正佼成会

念仏門の東本願寺に対し、法華三部経に立脚する立正佼成会も声明を出しています。
真の平和のためには、「寛容と互譲の精神で相手の違いを受け入れ、認め合い、信頼を醸成し、他者と共に生きる基盤を整備していかねばなりません」と説いています。

閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」に対する緊急声明
立正佼成会平成26年7月1日
http://www.kosei-kai.or.jp/infomation/070/post_493.html

(抜粋)
「人類の歴史を顧みるとき、諸国民の間での疑惑、不信そして猜疑によってしばしば戦争が引き起こされました。私たちは、武力と戦争では「国民の命と平和な暮らし」を守れないことは学んだはずです。
今こそ、この歴史の教訓を想い起こさねばなりません。真に平和と安全を構築するためには、寛容と互譲の精神で相手の違いを受け入れ、認め合い、信頼を醸成し、他者と共に生きる基盤を整備していかねばなりません。
今、私たちに問われているのは、宗教はもとより、政治、経済、産業、メディア、学問、教育、文化、観光など多様な分野で信頼醸成の基盤を強化し、これを世界の平和と安全を実現するための最大の戦略目的とすることであり、ここにこそ日本の国際的役割があると信ずるものです。」
「本会は、これまで仏教の説く「不殺生」「非暴力」そして「慈悲」の精神を平和実現の第一義とし、国内外の諸宗教者はもとより、国境や地域の別を超え、あらゆる分野の人びととの交流と対話を深め、世界平和の実現に努めてまいりました。
私たちは、今後ともこの努力を重ねるとともに、日本国憲法のもつ平和の力を信じ、世界に向けて発信していく決意を新たにしております。」

続く・・・次回はキリスト教界からの声明の特集です!