守田です。(20140624 23:30)

すでにお知らせしてきましたが、6月29日に京都市伏見区の龍谷大学で、映画『遺言~原発さえなければ』を撮ったフォトジャーナリストで監督の豊田直巳さんと対談します。
まず豊田さんが<「映画『遺言』~原発さえなければ」編集からこぼれたもの>というタイトルでお話します。
そのあとに僕が<チェルノブイリとフクシマ後の世界で問われていること~ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて>というタイトルでお話します。
その後、会場の方に主に豊田さんへの質問を紙に書いて提出してもらい、それをもとに僕が豊田さんをインタビューする形で対話に入りたいと思います。

この企画につながるものとして、5月25日に大阪西成区で飯舘村の酪農家、長谷川健一さんとジョイント講演と対談をしました。
IWJが取材してくださった映像がネットにアップされているのでご紹介します。
一部が長谷川さんのお話。二部が守田の話と長谷川さんとの対談と質疑応答です。

2014年5月25日「あの日から3年~福島は今、どうなっているか」長谷川健一氏×守田敏也氏 講演会
(第一部)
http://www.ustream.tv/recorded/47995676
(第二部)
http://www.ustream.tv/recorded/47997448

ずいぶん、いろいろな方がアクセスしてくださったそうですが、とくに対談について「こういう本音を語り合う集会は初めてみた」などの評価が著名な方からも集まったと聞いています。

確かにいろいろな「本音」が出た対談と質疑応答でした。
例えばその一つに司会の方から「リスクコミュニケーション」についてどう思うか問われたことがありました。「リスコミ」とは実際には「放射能は怖くない」という宣伝でしかないのですが、その話の中で安斎育郎さんが福島市で住むことは安全だと言っているがどう思うか・・・というような質問がなされたのです。
僕の周りには安斎さんを尊敬している方も、反対に激しく批判している方もいるのでちょっと困ったのですが、一生懸命、答えました。二部の1時間30分から10分ぐらいにこの話が出てきます。

また長谷川さんが「福島の高校生が「私たちは子どもを産めるんですか」と東電の社長に質問した。あるいはある地区の女子高生が「もう私は結婚なんてできない。できても怖くて子どもなんて産めない」と言ったことを聞かされた。
そのときどう考えていいかわからなかった。とにかくそんなことを思わせることが一番の罪だ」という話をされました。
それでは「子どもを産めない」という若い女性の声にどう答えればいいのか。僕なりに考えを述べました。ただしけしてまとまった、かっこいい答えなどではなく、実際にあるところである答え出して、あとでそれを批判されたことなどを話しました。
すると事故の直後に、女性が妊娠したお子さん夫婦との日々とフロアから語ってくださった方がいました。原発の近くに住まわれていた女性です。またこれを受けて、長谷川さんも、息子さんのお連れあいが事故があったまさにそのときに妊娠が分かったことを話してくださいました。
この話は二部の1時間56分ぐらいのところから出てきます。

今日の記事を書くために、あらためて録画を観て、「この対談と質疑応答は、文字起こししなくてはいけないな」と思いました。
今、それをお伝えできくて申し訳ないのですが、しかし何というか、この日の長谷川さんとのお話を通じても、僕は、飯舘や福島の痛みを私たちがいかにシェアすべきなのかという点についてクローズアップすることができたと思いました。
そんなに明確なものではないし、細かいところでは意見の分かれるところもたくさんあると思いますが、まず大事なのは、飯舘に、そして福島に起こったことをありのままに捉え、その上で、自分のイマジネーションをも働かせて、なかなか答えの出ない問いを自らも考えながら、そうした問いそのものの中にある痛みを分かち合うことだと思うのです。
僕が映画『遺言~原発さえなければ』を強く推すのもそのためです。
実はこの映画は観る前から、正確には4分ちょっとの予告編を観ただけで強く推してきました。映画の主人公の長谷川健一さんをよく知っていたからであり、また監督の豊田直巳さんをよく知っていたからです。
誰よりも福島の痛みをストレートに語ってきたのが長谷川さんであり、かつ事故当初より、高線量地帯に飛び込んで映像を撮りつづけ、長谷川さんのもとに入ったのが豊田さんであったからです。
そこでできた映画が凄くないはずがないと思っていましたが、実際に、本当に圧巻でした。

3時間45分と長いのですが、とにかく、この映画を観ると、あの日の飯舘村に連れて行ってもらえます。そして村民の一員になったような気になり、そこに起こったことを観ることになります。
けして「悲惨さ」だけが描かれているのではない。飯舘の方たちの目線の柔らかさ、豊かさも同時に心に入ってくるのです。それもあってこそ、この事故の理不尽さを深いところからつかめるように僕には思えました。

なお5月の長谷川さんとの対談の中で、僕にとって嬉しかったのは、事故から3年経ち、映画が封切られて各地で上映が進む中で、長谷川健一さんの心の中に明るい風が吹き始めてもいるように感じたことです。
何より映画が大変な反響を呼び、どこでも大当たりしています。福島市での上映も、映画館の支配人さんの予想を大きく超えた来客があったそうです。
飯舘の痛みが分かち合われている・・・そのことに勇気づけられている長谷川さんの姿を見たように思います。

同時にその中で・・・これは二人での会話の時ですが・・・「そろそろみんな、黙っていねえど」という言葉も長谷川さんから出てきました。
飯舘の人々も、浜通りの人々も、故郷を追われ、避難生活に入り、その中で失った人と人とのつながりをはじめ、多くの「大切なもの」を取り戻そうとして必死になって歩んでこられました。
「謝罪」にきた東電役員に怒りを発したことはあったけれども、それ以上、刑事責任を追及したりすることはしてきませんでした。何よりも生活再建が先だった。
そして僕には、どこかで国や東電の良心を期待する優しさ、本当の謝罪や補償を待っている優しさが、飯舘の人々にあったのかなとも思います。

でも東電は本当にひどい対応しかしてこなかった。この国の政府がどれほど無責任で冷酷な人々なのかもわかりました。
それに対して長谷川さんは「そろそろみんな、黙ってねえど」と言われたように思えました。というか「みんな黙ってねえど」という言葉に続いてくる何かに僕は応えたいと強く思いました。

6月29日の豊田さんとの話では僕はそんな点を豊田さんがどう観ているのかということも聞きたいなと思っていますが、もちろんそれよりも会場のみなさんに、自由闊達に質問を出して欲しいと思っています。
そして一緒になって福島の、あの日から今日にいたるまでを、心象風景としてそれぞれの胸のうちに宿らせられたらなと思うのです。
それがこれからを私たちが生きていく上でとても大事なものになると思うからです。
なお、僕はこうしたことに花を添える形で、ドイツ・ベラルーシ・トルコで観てきたことをお話をしたいと思っています。

お近くの方、ぜひお越しください。
また遠方の方は、長谷川さんと僕のジョイント講演、対談をご覧いただけると幸いです。
また『遺言 原発さえなければ』は京都シネマで6月21日から7月4日まで上映中ですが、8月からは自主上映が可能になりますので、どうかぜひそれぞれのお住いの地域に映画を呼んでください。

以下、集会案内と映画の自主上映に関する情報を貼り付けます。

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「福島原発事故から3年 〜今、わたしたちにできること〜」
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=529223343866685&set=pcb.529224593866560&type=1&theater

日時:6月29日(日) 13時開場 13時半開会
場所:龍谷大学深草キャンパス22号館 101教室

講演内容:
豊田直巳氏によるスライドトーク
<「映画『遺言』〜原発さえなければ」編集からこぼれたもの>
守田敏也氏による講演
<チェルノブイリとフクシマ後の世界で問われていること〜ベラルーシ・ドイツ・トルコを訪れて>
豊田さんと守田さんによるトーク

一人目は「豊田直巳」さん。

フォトジャーナリストにして映画「『遺言』原発さえなければ」の共同監督。
難民や戦地で虐げられる人々を追って来た方です。311以降は被災地に入り多くの写真を届けてくれました。映画「遺言」の製作過程を交えてのお話を伺いたいと思います。

#映画「『遺言』原発さえなければ」は6月に京都シネマでの上映が決定しています

二人目はお馴染み「守田敏也」さん。

京都在住のフリーライター。前回、前々回とお世話になった守田さんに今年もお願いしちゃいました。
先日は体調が優れない中、ベラルーシ・ドイツ・トルコを歴訪。また、多くのお土産を持って帰ってきてくれたとの事です。

ふしみ「原発ゼロ」パレードの会 ブログより
http://nonukesfushimi.blog.fc2.com/blog-entry-197.html

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映画『遺言 原発さえなければ』自主上映に関する情報
http://yuigon-fukushima.com/self/