守田です。(20131214 09:30)

秘密保護法を強引に通過させた安倍政権は、民衆の怒りの声に激しく動揺しつつも、さらに共謀罪を画策し、国家安全保障基本法成立は集団的自衛権の「行使」など、戦争政策への傾斜を強めつつあります。
この流れにいかに民衆的抵抗を対置するのかを考える上で、昨秋、小泉元首相が行った原発ゼロ宣言をいかに捉えるのかについて、考えの整理をしておきたいと思います。
僕の結論は、タイトルを見ればお分かりのように、イラク戦争に大きな責任がある小泉元首相の発言を、安易に評価すべきではないというものです。

小泉元首相は、安倍首相の「指南役」であり、今も強い影響力を持っています。その小泉元首相が推し進めたものこそ、イラク戦争への日本の協力であり、自衛隊の派遣でした。戦後日本史を画する戦争政策でした。
自衛隊が大規模に後方支援が行ったこの戦争は、しかし何らの正当な根拠もない侵略戦争でした。「イラクが大量破壊兵器を隠している」という一方的ないいがかりで、大規模な戦闘が行われました。完全な戦争犯罪です。米英のブッシュ元大統領やブレア元首相は、大量殺戮の犯人です。
小泉元首相はこの戦争に加担したのです。戦争犯罪への全面協力です。その小泉氏が指南してきた安倍首相が今、より大々的なアメリカの戦争への協力の道を開くために、秘密保護法の強行採決などを行っているのです。

小泉元首相が行った根深い過ちは、イラク戦争への加担だけではありません。市場原理主義という弱肉強食の論理を日本にもちこみ、「郵政の民営化」など、社会のセーフティーネットを壊し、アメリカ資本の日本への進出に大きく道を明けたこともそうです。
今、多くの若者がワーキングプアに悩んでいます。若者だけではない。たくさんの人々が正規雇用からはじき出され、収入も雇用も不安的な状況におかれています。こうした道を強く推し進めものこそ小泉政権だったのです。
にもかかわらず小泉元首相が、いまだに「人気」があるのは、私たち民衆がまだまだ覚醒しきれていないためです。私たちは、早急にここからの目覚めを進めていかなくてはなりません。だからこの「人気」を「利用する」ことなどもってのほかなのです。

「しかし小泉元首相の原発ゼロ論はそれ自体はまっとうなのではないか。安倍政権や読売新聞などの批判とたたかうべきではないか」という意見もあるかと思います。原発ゼロ論に対して「対案がないのは無責任だ」という批判がなされたからです。
小泉元首相の読売新聞への反論は、「対案など、自分一人で出せるものではない。みんなで知恵を出して考えることだ。政治家はまず道筋をつけるのが大事なのだ。安倍首相が決断すればできるのだ」というものでした。
確かに使用済み燃料の処理方法がないから原発をゼロにすべきだということも、対案がなければ反対できないというのは間違いだというのも、それ自体は正しい。安倍政権や読売新聞の反論の方がまったく間違っていることは明らかです。

実はここには、私たちが脱原発を進める上での、非常に大きな論点が横たわっています。原発はなぜ許してはいけないのか。事故の可能性があるからというのはもちろんです。使用済み燃料の処理方法がないのもそうです。
しかしより大事なのは、原発が通常運転をしていても、「許容値」という名の下に一定量の放射能を漏らしており、それが人体に非常に危険なためです。よくに原発の運転・維持のために、被曝労働が構造化されており、原発はそれ自身が巨大な人を被曝させる装置であり続けてきたのです。
事故の可能性や、未来の問題だけでなく、現に今まで、漏らしてきた放射能が危険だから、原発労働者と周辺住民を構造的に被曝させてきたから、原発はその存在が許されてはならないのです。

歴代の首相はこの被曝に全面的な責任を負っています。もちろん小泉元首相もそうですが、この方は在任期間中に、もんじゅの事故やJCO事故によって、暗礁に乗り上げてきた原子力政策を、むしろ強力に推し進めた張本人なのです。
その重要な柱が2005年に原子力委員会から提出され、政府方針として閣議決定された「原子力政策大綱」でした。これは小泉政権の2006年の「骨太方針」にも明記されています。さらにこれに基づき、2006年に綜合資源エネルギー調査会原子力部会によって「原子力立国計画」が確定されました。
既存原発の60年間運転、2030年以後も原発依存を30~40%程度以上に維持、プルサーマル・再処理の推進、もんじゅの運転再開と高速増殖炉サイクル路線の推進、核廃棄物処分場対策の推進、海外進出を念頭においた「次世代原子炉」開発、ウラン資源の確保、原子力行政の再編と地元対策の強化などがその内容です。

原子力政策大綱
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/taikou/kettei/siryo1.pdf

原子力立国計画
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/images/060901-keikaku.pdf

小泉元首相が、真摯に原発ゼロを唱えるならば、何よりも長年、自民党政権が行ってきた被曝の放置を謝罪すべきであり、自らの政権が決定した「原子力政策大綱」とそれに基づいた原子力立国計画への反省と撤回を行うべきです。
にもかかわらず、小泉元首相は、事故の連続で頓挫しかかっていたこの国の原子力政策を、自らの「人気」をテコに回復させ、強化した歴史には何ら触れていない。
小泉氏を師とあおぐ安倍首相からすれば、自分は小泉路線を継承しているのに、なんで批判されなければらないのかという被害者意識にすら陥っているのではとすら思えます。安倍首相の原発維持路線は、間違いなく小泉路線の継承なのだからです。

小泉発言に飛びついてしまったマスコミは、どうしてこの点を問わないのでしょうか。2005年、あの時に小泉政権が、もんじゅ事故やJCO事故の検証を強力に推し進めていたら、あるいは福島原発事故は未然に防げたかもしれないのです。
さらに小泉氏は原発のもとに構造化された被曝構造の捉え返しなどは一切、行っていません。いわんや福島原発事故のもたらした膨大で深刻な被曝についても何ら言及していません。
福島原発事故の問題で、一番に焦点をあて、検証していかなければならないのもこの点です。原発ゼロも大量被曝への反省に立脚されたものでなければなりません。しかし非常に簡単なこの問いが出てこない。とても残念です。

私たちが何度も確認しておかなければならないのは、原発の問題は、被曝問題だということです。とくに低線量内部被曝の危険性が隠され、たくさんの人々が被曝させられながら、この政策が貫かれてきたことです。政策遂行者には加害責任があります。
この点を抜きに、原発問題をエネルギー問題として、また廃棄物処理問題としてとらえることは非常に危険です。なぜか。現在も放置されたままの大量被曝の現状、福島をはじめ東北・関東の多くの人々が、継続的に被曝を強いられている現実から目をそらされてしまうからです。
その意味で、イラク戦争の戦争犯罪人であり、私たちの社会を弱肉強食の場に変えてきた張本人であり、なおかつ、2000年代に協力に原発政策を推し進めた来た小泉元首相には、何よりも反省と謝罪、罪をつぐなうことこそを問うべきなのです。

続く

次回は、なぜ小泉元首相が原発ゼロを言い出したのかという点を推論したいと思います。