守田です(20251008 17:00)

● 守田敏也と歩く京都の隠れた歴史散歩➄にご参加を

10月13日(月休)午前中に京都の隠れた歴史散歩の5回目を行います。
午前10時半地下鉄丸太町駅北側改札を出たところに集合。参加費は無料ですがお気持で1000円程度のおひねりをいただけるとありがたいです。

主催は今回も京都文連のみなさん。案内人は僕、守田敏也です。
お申し込みは京都文連(京都労演内)電話0752313730かFAX0752117855まで

これはもともと「知っているようで、実は知らない京都を訪ねよう」と始められた企画です。
最初に訪ねたのは京都護国神社でした。実はこの神社こそは靖国神社の原型なのです。だからここを歩くと靖国とは何か、その本質がかなりくっきりと見えてきます。それをしっかり見届けに行きました。
次に訪ねたのは若王子墓地。東山の若王子山頂上にあり同志社墓地を中心にクリスチャンのお墓、それもさまざまな宗派のものが広がっています。なぜ京都にこんなに大きなキリスト者のお墓があるのかを現地で学んで来ました。

3回目は伏見を歩きました。酒蔵と水路が広がる伏見。物流の大拠点で日本で最初に市電が走りました。市民の力も強く奈良電気鉄道(現近鉄京都線)建設の際に軍から地下鉄建設を指示されるも、酒蔵を含む市民の反対でそれをとん挫させています。
4回目は伏見訪問の続編。今度は軍都としての伏見を歩きました。ここは旧陸軍16師団の駐屯地で今も師団街道・第一軍道などの名が残っています。その本部跡(聖母女学院)や練兵場跡を歩き、さまざまな碑も見学し、戦争の傷跡と向かい合いました。

とまあそんなコアな散歩を続けてきましたが、これらの一つ一つが観光ガイドブックなどではあまり紹介されていません。京都は知られているようで実は知られてないのです!
だからみんなで歩く企画を重ねています。興味のある方、ご参加ください。

● 御苑を歩き近世において天皇制がどんな位置を持っていたのかを学びます

御所はいうまでもなく天皇の住居です。現在の御苑の一角には閑院宮邸跡があります。当日も少しだけ見学しますが、実はこの「宮家」が現在の皇室の祖にあたることをご存じでしょうか?
この宮家から天皇になった方が「光格天皇」で1779年(安永8年)のことなのですが、その後に社会を揺るがす「天明の大飢饉」が発生しました。浅間山の大噴火などに端を発したコメ不足と高騰から餓死者が続出し、江戸や大阪で「打ち壊し」が激発したのですが、この中で御所の位置も大きく変貌していったのです。

ちょうどいま、NHKの大河ドラマ『べらぼう』がこの大飢饉とその後を扱っています。幕府の老中松平定信が、飢饉を経て質素倹約をごり押しする「寛政の改革」を進め、蔦谷重三郎などが呻吟するのですが、まさにこの時に、御所の位置も大きく変わっていったのです。
今回はそんな江戸時代中期から後期、明治にいたる御所、天皇制の大変貌についてお話しします。その際、幕末の戦乱のあと、「蛤御門の変」の跡も歩きます。みなさんに長州藩が放った弾丸の跡を触って頂きます!

なおこれまたあまり知られていない天皇家と仏教の関係についても解説します。端的に言って江戸時代まで両者はかなり密接にからまっていたのでした。例えば天皇の子どもたちのうち、天皇を継承しないものはほとんど仏門に入ったのです。
では天皇を軸とする信仰と、仏教との関係はどのように解釈されていたのでしょうか?密接に絡まっていたとはどういうことでしょうか。また今の皇室はどう思っているのでしょうか?実はいまの右翼の方々、この辺のことをまったく理解していません。

その点ではこの間、広がりつつある「レイシズム」に対する批判としても、これらのことをしっかり学びます。

このページよりお借りしました。
http://kusahato.web.fc2.com/soukyuan-2/walking/uo-132kyotojiken/kyotojiken.html

● 知っていますか?実は御苑のまわりはキリスト教会だらけ!なぜなのかも学びます

さてその京都御苑や御所、「純日本風」なものが詰まっている場所だと思われている方はいませんか?「純日本」というのも幻想ですが、それはともあれ御苑の周りを歩くとその想念はきれいに吹き飛びます。キリスト教会や関連施設がたくさん並んでいるからです。
今回は最初に御所から少し南に下がったところにある京都ハリストス正教会を訪れます。ロシア正教とも密接な関係にある教会です。ちなみにハリストスは「教会スラブ語」ないしロシア語で「キリスト」を意味します。

京都ハリストス正教会 守田撮影

これに続いて御苑の南西に烏丸通りを隔てて経っているアグネス教会を見学します。日本聖公会所属の教会ですが、聖公会とはもともとイギリス国教会のこと。そのイギリス国教会に英国を追われてアメリカに向かったのがピューリタン。
その末裔がたてたアメリカの教会に、安中から脱藩し、密航して向かったのが新島襄で、彼が建てた学校(同志社大学)がありその中に同志社礼拝堂があります。御苑の北側です。今回の解散地にその同志社礼拝堂を選んでいますが、それがまたハリストス正教会につながっている。

同志社礼拝堂 守田撮影

なぜってこの教会を建てたニコライ・カサートキンこそ、函館で開設した自分の教会に飛び込んできた新島襄を匿い、密航の手助けをしたのだからです。
そして後年、日本に戻った新島をパトロンとなって支えたのが旧会津藩士山本覚馬でした。NHKの大河『八重の桜』で描かれた新島襄のパートナー山本八重のお兄さんで、元会津藩砲兵隊長です。

実は彼は自らもキリスト者になっていくのですが、当初、京都府の参事となり、京都の復興に尽力しました。最初に覚馬が掲げたのが学校を作ること!小学校をです。しかも明治政府よりも先にです。
その後、覚馬は専横を深める植村知事と対立し、参事をやめるのですが、その後に京都で初めて行われた府会議員選挙で立候補表明もしてないのに多数の票がいれられて当選、なおかつ最初の府議会で議長に選ばれてしまったのです。

かくして近代京都は、初代府議会議長にキリスト者を選んで歩み出したのです。そんな明治期のキリスト者の奮闘の一部を、山本覚馬の紹介などからお話しします。
このため今回は1回目と2回目の散歩内容とも絡みます。ともあれ楽しみにしていて下さい。

お申し込みは京都文連(京都労演内)電話0752313730かFAX0752117855まで

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