守田です(20210816 23:30)

ヒロシマレクイエムコンサートの記事の続きです。

合唱曲 声 三部作 がYouTubeにアップされました!ぜひご覧になって下さい。前後半に分かれています。
https://youtu.be/WgYP3EBzmHA
https://youtu.be/WxS-KUPumOA


新屋まりOfficial より

● 実は詩を読み違えてしまったようです・・・

8月1日に聴きにいったレクイエムコンサートの話の続きですが、実は前回の記事の後に、僕が森川定實(さだみ)さんの詩を読み違えてしまっていた可能性があることが見えてきました。
なんともお恥ずかしいのですが、しかしそのご指摘を受けて、あらためて合唱を聴き直しても「どうしてもそう聞こえる」自分もいます。ともあれ今回はその点も書きます。

読み違えていたと思われるのは「無念さに歯ぎしりする」という一節。これはその次の「地下の白骨のきしみ」につながっていると取れる。つまり「歯ぎしり」していたのは森川定實さんではなく「地下の白骨」だったことになります。
ご指摘してくださったのは森川聖詩さん。こんな優しいコメントをつけてくださいました。
「この流れでどうして守田さんがそのように読まれるのか、それはご自身で仰っているように、ある意味、父(の霊?)に深くなりきっている?からなのかなと思います。
いずれにしても、ここまで、この父の被爆体験に寄り添ってくださっていることに、改めて心より御礼申し上げます。」

● 森川定實さんの体験に同調する

さて前回、森川定實さんの詩、「声」に新屋まりさんが曲を付けられた「合唱」を聴いて、僕が心を持っていかれたことを書きました。
なぜそれほどまでに心を揺り動かされたのか。一つに詩の凄さがあります。二つは曲の凄さです。そして三つ目に僕の同調体質、同調体験があります。
実はほかならぬ新屋まりさん自身、「同調体質」がとても強く、定實さんが表された被爆者の思い、痛み、苦しみを心に写しとって作曲されたそうです。

ぜひ新屋さんの以下のブログをお読み下さい。2019年5月28日付です。
声ならぬ声(2)
https://blog.goo.ne.jp/niiya-mari/e/4a03f01c7d31ab318341886d4a09502f


新屋さんのブログより

この中で新屋さんはこう書かれています。

原爆が投下されたその直下で
森川さんが目撃された光景だ。
文字を追いながら情景が見えるよう。
当日の悲惨さは
それ以上だったはずだ。
大変なことに手をつけたと思った。
中でも一番心が痛んだのは
「声ならぬ声」の子供たちの下りだ。

ここで新屋さんは、森川さんの詩の一節を紹介した後、こう続けます。

子供たちが誰にも看取られず
父母の名を呼びながら 
息絶えてゆく様は耐え難い。
泣きながら曲をつけた合唱曲は 
好評だった。
当日、合唱曲は大事なく歌えたが 
オリジナル曲では 
悲しみに圧倒されてしまい 
ほとんど歌えなかった。
「玉砕したネ」と実妹からチクリ。
自分を明け渡してしまったと
後で思った。
何かに同調する体質でもあるが
「鎮魂する側」に居なくては
「ヒロシマ・レクイエム」開催の
意義がない。

すごく共感しました。あの時、あれほどに心を持って行かれた理由を知る思いでした。

● 森川定實さんの足跡を歩く

新屋さんはさらにこう書かれています。

前もって鎮魂をしてから
本番に臨みたいと思っていた。
広島でのスケジュールが合ったので
詩の中に書かれた場所、
白潮公園へご一緒した。
川沿いの細長い地形の公園。
緑豊かできれいだが、
「ここはきついぞ」と感じた。
得意体質を森川さんに打ち明けるが
抵抗がないようだった。
小さな慰霊碑があった。
足を踏み入れるや頭痛と
足元からガクガクする不具合に陥った。
傍の川に近づくと込み上げる。
おびただしい人が
水を求めて集まっただろうし
たくさんの死体が浮いていただろう。
怖かったね、暑かったね
痛かったね。
もう大丈夫、帰ろうと声を掛けた。
お菓子と水を捧げて手を合わせた。

新屋さんは、息子さんの森川聖詩さんとともに、かつて森川定實さんが歩かれた場を歩き、観た光景を、頭の中で観られたのです。
新屋さんはそうして定實さんとともに、絶命していく子どもたちにフォーカスされましたが、そのまなざしはどこまでも温かい。
「怖かったね、暑かったね 痛かったね もう大丈夫、帰ろう」と、とても優しく囁きかけたことを書かれています。


現在の白潮公園 2020年12月 守田撮影

● 被爆者の思いに心を重ねる

実は僕も、同じ場を歩きました。いや僕の場合は、NHKの建物があったところから、縮景園を抜け、川を遡行されて川原に上られた地点、その先の原放送所までを森川聖詩さんと歩き、いろいろなものを「観た」のでした。
その時、僕にはお父さまの声が聞こえた思いがしました。その中には、お父さまの愛息=聖詩さんへの思いも溢れていました。そこで僕は聖詩さんに宛てた何らかのメッセージを、お父さまに託された気すらしました。

そんな僕は「あなたたちの叫びに耳を貸そうともせず ひたすら逃げのびたことの心の疼き」と詩の最後をまとめている森川定實さんの気持ちにものすごくシンクロしてしまった。
だから僕は「無念に歯ぎしり」しているのは、定實さんだと思い込み、「森川さん、違います、違います」と叫び続けました。「耳を貸そうともせず ひたすら逃げのびたことの心の疼き」をどうしてもとって差し上げたかったからです。

先にも述べたように、「歯ぎしり」しているのは「地下の白骨のきしみ」では?と森川聖詩さんにご指摘され、「ああそうかあ」とは思ったものの、それでもどうにもこれが定實さんのはぎしりに取れてしまう自分が相変わらず居続けています。

もちろん固執したいのではありません。やはり新屋さんの方が、詩を正確に読み解いて曲をつけられのでしょう。でもともあれそうして新屋さんも僕も、定實さんの体験を共にしたのです。だからもう心を持っていかれるしかなかったことを記しておきたいです。


広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式に神奈川県遺族代表として参加された森川聖詩さん。お父さまの遺影を手にしておられました。2021年8月6日 森川さんFacebookページより

● 悲しみをシェアすることの先にあるもの

被爆者の足跡を辿る・・・それは悲しみをシェアすることです。当たり前ですが辛いことです。
僕も今回だけでなく、ここ数年、似たことを繰り返してきました。京都「被爆二世三世の会」の一員として、被爆二世三世健康調査アンケートを進める中でのことです。被爆者だけでなく、二世、三世の足跡も辿ってきました。

当たり前ですが、同調性が高いほど影響を受けます。苦しみと悲しみが自分の中で再現される。辛いはずがないし、辛い思いをしなければ足跡を辿ったことにはならない。
でも僕はその中でこそ、何か大切な、切実な、貴重なものがつかみ取れることを体験的に感じています。けして「辛い」ことばかりではないのです。

僕には時折ですが、犠牲になった方たちが、「いいよ。もういいよ。それだけ悲しんでくれたらいいよ。この悲しみをみんなの幸せに変えて」と囁きかけてくるようにも感じています。
こう表現してよいかとまどいますが、その時、僕は温かい気持ちになります。だから素直にそれに従っています。これからもそうするでしょうし、その先に何か大きな展望があると感じています。

8月1日、たくさんの素晴らしいものをプレゼントしてくださった新屋まりさんや合唱・演奏されたみなさま、裏方のみなさま。そして森川定實さんと聖詩さんに心からの感謝を捧げます。

続く

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