守田です(20210211 19:00)

● 被爆二世三世健康調査アンケートにご注目を!

このところ核兵器禁止条約をより力のあるものにするために、被曝の遺伝的影響を明らかにするための努力へのご参加を訴えています。
そのために京都「被爆二世三世の会」で進めている健康調査アンケートにぜひご協力ください。
http://aogiri2-3.jp/chousa/2020chosa.pdf

アンケートのタイトルにもあるように、私たちはこのアンケートを第一義的には「被爆二世三世と、そして未来世代の健康を守るために」行っています。
これまた大事なポイントです。人は自らが抱えているリスクをきちんと捉えてこそ、それと向かい合い、克服の道を探ることができます。辛いのは不安におののき続け、不安から目を背けようとし、また不安に陥る苦しい過程を繰り返すこと。
その循環を断ちきり、腹をくくり、自らのリスクと向き合ってこそより自由な生き方ができると私たちは確信しています。そのことで未来世代をも守っていきたい。ぜひアンケートにご注目ください。


被爆二世・三世健康調査アンケート4ページより 進め方についての説明

● 森川聖詩さんの体験から-その2

さて今回も、アンケートの冒頭に載せた森川聖詩さんの体験の抜粋録を載せたいと思います。

3、大学に入って

(大学に入って断食を経験。またクロレラを飲用するようになり体調がやや改善。以来、クロレラの愛飲を続けている)
「体調も改善されてきて、ようやく精神的にも落ち着いてきてはいた。ただ顔面痛みは相変わらずであったため、今度はその対策を考えた。顔面痛が進行し、メガネをかけている時の顔面、眉間、鼻、耳への重みや圧力や痛みも感じるようになっていたことなどから、コンタクトレンズ着用に切り替えての痛みの軽減を期待した。しかし私は角膜が弱いためか、コンタクトレンズは、ハードレンズだけでなくソフトレンズさえ、強い異物感や充血を伴う痛みを感じるため、着用は無理な状況だった」
「その後、一時期より幾分か痛みが和らいだことと、この痛みに慣れたことで、この顔面痛という原因不明とされる厄介な持病を抱えながら、生きていくこととなった」

4、就職そして結婚
(留学を経て就職。病院事務勤務の後、郵政労働者に)
「中腰姿勢の多い肉体労働や16時間勤務(16時半頃~翌朝9時半頃までの勤務。夜半1時頃~3時半頃の2時間半程度の仮眠休憩時間)を経験してみて・・・健康状態に様々な支障が現れた。不規則な生活のリズムから、自律神経の乱れによると思われる下痢や腹痛など胃腸症状や頭痛、持病の顔面痛の悪化、明け方の作業中に起こる不整脈やこれに伴うめまいや額などの脂汗、そして腰痛や内痔核が悪化し、1981年秋には内痔核切除の手術をしなければならないほどだった」

(その後、結婚)
「結婚して2年目、妻の胎内に新しい命が宿った。私にとっては、自分が結婚できたことさえ、とても幸運に思えていたので、職場にいて、妻から電話で知らせを聞いたときは天にも昇る心地で、その日は終業とともに跳ねるようにして帰宅し、お祝いしたのが思い出される」「でも、これらは束の間の喜びだった。妊娠2か月、3か月、と月日が経過しても、胎内で成長しないままであり、いわば、この世に生まれ出て存命できるだけの生命力のない胎児であることがわかった。つまり、人工妊娠中絶以外の選択肢は、残念ながらなかったのである」


1980年1月上旬に極寒の厚生省前でハンガーストライキをされた森川聖詩さん 厚生省が進めようとしてた「原爆被爆者二世の健康に関する調査・研究」に反対して。 実施目的が「遺伝的影響がないことを明らかにして不安を解消する」「今後とも医療保障を想定しているものではない」とされていたため 『現代の眼』誌より

● 森川さんの体験から-その3

5、30代後半から50代のころ

「私が17歳のときに顔面痛を発症してから、それが消える日は、1日たりともなかった。そしてこの顔面痛は、郵便課の16時間勤務からはずれて以降、ほんの一時期、わずかに軽快したかに見えたが、それもつかの間、30歳代後半にさしかかったあたりからまた、ますますひどくなっていた。とくに疲れがたまっているときや睡眠不足のとき、湿度の高い日などには、顔の頬や口元に針金をねじ込まれたような痛みで強い苦痛を伴った。この顔面痛は、目の疲れとも関連しているように感じられた。さらに顔面痛が進行していたことにより、軽量の眼鏡をかけた時のわずかな重みでさえも、鼻や耳に強い圧痛を感じていた」

(趣味でジャズボーカルをはじめたが声が枯れはじめ出なくなった(2000年ごろから徐々に)
「営業中や仕事が終わって夕方、あるいは歌を歌っているときなどに声がかすれることがあった。当初は、翌朝には症状が消えていたのでそれほど気にとめなかったが、次第に常態化、慢性化していった。そしてある朝、目覚めるとまったく声が出ない。仕事を休み、耳鼻咽喉科を訪れたところ、慢性喉頭炎との診断だった」
「私は、そのころ、かねてからの副鼻腔炎が悪化し、後鼻漏といって、蓄膿症のうみが鼻から喉に常時垂れてくるしつこい症状に悩まされていた。この後鼻漏が、慢性喉頭炎の大半の原因だと聞いた」

6、60代になって

「60歳になり・・・体調不良や症状も、以前にもまして増えてきている。
子どものころ、少々の傷でも化膿しやすかった兆候が再燃してきた。ほんのわずかなひっかき傷やすり傷などでも、放置しておくと、数日後にはピンク色に腫れ、炎症を起こし、化膿して、痛痒くなり、膿が出るようになった」
「60歳になった年・・・花粉症と診断された」
「2014年秋に風邪をひいたとき・・・(内科医師の診断では)気管支喘息だという」「突如として3分から、ひどいときには10分前後せきこむ発作に見舞われるようになった」
「2015年ごろから、手足が急に冷えるようになった・・・とくに、午前中に心臓の鼓動がいきなり早くなったり、脈が飛ぶような感覚に襲われたりすることもあった。もともとあった頻尿傾向や残尿感もひどくなり、就寝中、トイレに起きる回数も以前より格段に増えた。自律神経失調の症状だった」
「ちょうどこのころから、足の冷えとともに足底の妙な違和感(しびれた感覚)も出てくるようになり、それがしだいにひどくなっていった。(整形外科医師の診断では)椎間板ヘルニアによるものだった」

● アンケートの集約の方向性

アンケートは森川さんが体験されたことを読んでいただき、ご自分の体験を振りかえっていただく形で進んでいきます。続いてさまざまな文献に示された被爆者と二世に起こってきたことを網羅し、体験を振りかえっていただいています。
時に辛い過去を振り返らねばならない側面もあり、しんどくなる場合もありますが、それらのときは可能なかぎり対面で聴き取りをしながら進めています。

現在回答が80名に迫っている段階ですが、100名に届いたら集約に入ります。それぞれのリアルな体験をできるだけ拾い上げて傾向を分析し、論文にまとめ、できれば幾つかの学会にも問い、広く社会的に発信していく予定です。
ともあれみなさん。力をお貸しください。できるだけたくさんの方に読んでいただいてください。
とくに福島原発事故で被曝した新ヒバクシャのみなさんにしっかり読んでいただきたいです。それぞれの身体に起こっていることとの共通性を感じるからです。

核なき未来に向けて!さらにみんなで進んでいきましょう。


100号を迎えた京都「被爆二世三世の会」の会報 ホームページからご覧になれます。http://aogiri2-3.jp/

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