守田です(20181005 13:00)

前回の記事で書いたように10月8日に京都市の「ひとまち交流館」で映画「小さき声のカノン」の上映会が行われます。鎌仲ひとみ監督も来場、映画の後に僕が対談させていただきます。
https://www.facebook.com/events/462017670957346/?active_tab=about

今回はこの機にこの映画をぜひご覧になって欲しいこと、またさらに各地で上映会を行って欲しいことを訴えます。

● 被曝の事実を認めたくない「巨大な壁」と格闘しながら

『小さき声のカノン』は2015年3月7日に上映を開始し、約3年半、全国各地で上映され、いまも続けられています。
とても素晴らしい映画なのですが、しかし「大ヒット」という形になったわけではありません。むしろある意味では「巨大な壁」になんども行く手を阻まれながら、それをすり抜けてすり抜けて、上映が続けられてきたような感じがします。

「巨大な壁」とは「放射能の壁」です。より正確には「被曝の事実を認めたくない心理的な壁」です。
福島原発事故後、膨大な放射能が東日本を被曝させ、いまや日本中にも拡散し被曝を広げています。
しかし残念なことに、この事実をどのマスメディアも政党も、いまだ正面から取り上げていません!
なぜなのか。僕は一つには被曝をめぐる「正常性バイアス」がこの国を覆ってしまい、心理的ロックが解けていないことがあると思います。

「正常性バイアス」は災害に直面し、命の危機に瀕した時に、現にある危機を認めようとせず、事態は「正常化」するのだと考えて心を落ち着かせようとする心理的メカニズムです。
自分の愛する土地が被曝し「汚されて」しまったことはあまりに悲しいことです。さらに命を守るためにその愛する土地を離れなければならないというのはもっと辛く悲しくことです。
だから「正常性バイアス」が働きやすい。被曝している事実、その土地を離れなければならない事実を認めなければ、この悲しみや辛さから逃れることができるからです。もちろん本当に「逃れる」ことにはなりませんが。

『小さき声のカノン』はこの壁に切り込んだ映画です。人々が認めたくない事実に切り込み、被曝の事実をやっとのことで受け入れながら、しかしどうすればいいか戸惑っているお母さんたちがたくさん登場しています。
監督の鎌仲さんは「これまで映画は映される人から三歩さがった位置から撮ってきた。でもこの映画ではその人の少し前に立って引っ張りながら撮ったこともあった」と2014年のインタビューのときに僕に語られました。
映画の撮影を通じて、鎌仲さん自身が戸惑うお母さんたちに勇気を与え、背中を押し、ともに子どもたちを守るための行動に踏み出してもいるのです。

● 映画を通じて放射能をめぐる「正常性バイアス」と向き合う

しかしそれだけにこの映画にはエンターテイメントのような「楽しさ」があるわけではない。いやむしろ被曝をめぐる「正常性バイアス」の中にいる人には辛い映画だと思います。
人々が被曝している事実、命を守るための懸命な活動が必要な事実が、映像を通じてまっすぐに自分に向かってくるからです。
そのことがときに鎌仲さんへのバッシングすら生んできました。放射能の危険性を唱える人を攻撃することで、自分が被曝している事実から逃れようとする悲しい心理からです。
社会的に影響力のある人の場合は、映画を認めれば「自分が人々を被曝させている」ことになるので、より認めたくない心理も加わり、その分攻撃性も増すようです。被曝の事実を語ることを「差別」と言い出している人々もいます。

そのため鎌仲さん、この3年半の間、本当にしんどい奮闘を繰り返してこられました。
もちろん被曝の事実を受け入れ、命を守ろうと努力しているたくさんの人々が映画を強く支持し、各地で上映会が開かれてきました。今回の京都市での試みもその一つです。
たくさんの支持もあるのですが、しかし被曝を認められない人々もまだまだたくさんいるのです。原発に反対している人々の中にすらたくさんいます。

● 『小さき声のカノン』の上映を通じて命を守ろう!

だから実は『小さき声のカノン』は被曝から人々の命を守るための最前線に位置している映画なのです。
被曝から命を守るために一番大事なことは、本当に単純ですが、放射能の危険性に目覚めることです。
「少しぐらいは大丈夫」「これぐらいは大丈夫」「もっと大丈夫だと新たに分かった」・・・というロジックの中にいる限り、人は放射線から身を守れません。

しかも原発事故後、日本政府は一貫して被曝の危険性を伝えず、むしろ「思ったより安全だった」みたいな言葉を繰り返してきました。
あのとき民主党政府の枝野さんは「ただちに健康に被害はない」とばかり繰り返し、放射線から命を守ることを一度も訴えてはくれませんでしたし、いまもそのことを反省しておられません。
いや枝野さんだけではなく、たくさんの政治家や科学者が「これぐらいの被曝は問題ない」と繰り返し、人々に防護を呼びかけませんでした。

この言質を打ち破り、放射能への危機感をマヒさせている「正常性バイアス」を打ち破らないと、被曝から命を守る活動そのものが進展しません。
だからぜひみなさんに『小さき声のカノン』を一緒に観て欲しいし、上映の輪をさらに広げて欲しいのです。

8日の対談では、このように命を守るための最前線での奮闘を貫いてきた鎌仲さんに感謝を伝え、慰労もした上で、一緒に未来の可能性を開くために必要なことを探れると良いなと思っています。
ぜひ映画鑑賞からトークへと連続でご参加下さい!