守田です。(20110928 09:00)

今日はこれから信楽に向かいますが、今日のお話で触れたいことは何よりも内部被曝の恐ろしさについてです。9月16日に神戸で行われた矢ヶ崎克馬さんが語られた内容を紹介しようと思うのですが、いまここで僕は、自分自身が内部被曝の恐ろしさについて、311まで、けして十分には理解していなかったことを捉え返しておきたいと思います。

もちろん僕は311までも原発に反対でしたし、集会やデモにも参加してきました。多くの文献で、原発の危険性についても学んできました。しかしその危険性は、主に大事故の可能性を孕んでいることについてで、原発が通常運転の状態でも微量の放射能を出し続けていること、それが私たち生きものにとって極めて危険であることを十分に捉えてこれませんでした。

低線量被曝の恐ろしさが十分に分かっていなかったのです。そのため広島・長崎の被爆者の方々の苦しみも十分には理解してこれなかった。悔しいような、申し訳ないような気がします。今一度、被爆者の長年にわたる訴えに耳を傾け、その中から歩んできた肥田先生や、矢ヶ崎さんに学び続けていこうと思います。

 

矢ヶ崎さんは、神戸のお話で、放射線被曝の恐ろしさを二つの相に分けて語られました。放射線は、電離作用という力を持っています。物質は原子が周りをまわっている電子の軌道を共有することで接合し、分子を形成しているのでが、放射線はその電子をはじきとばすことで、分子を切断してしまいます。これを電離化、あるいはイオン化といいます。

私たちの遺伝子情報の鎖であるDNAに則して電離作用をみていくと、放射線があたることにより、DNAもまた切断されてしまいます。しかしDNAは二重らせんになっていて、切断されても修復する力を持っています。しかしたくさん
の放射線を浴びると、修復が追い付かず、切断状態を回復できずに、DNAが死んでしまいます。これが重なると急性症状がでて、危険性が高まります。

これに対して、それほど高線量ではないけれども、ダメージが大きかった場合、修復はなされるのだけれども、遺伝子情報の誤った再生、間違った修復がなされてしまうことがあります。これが危険性の二つ目の相です。間違った遺伝子情報は、さらに細胞分裂でコピーが繰り返されていき、やがてガンになっていくのです。

DNAの死滅と誤った再生という二つの危険相は、高線量でも低線量でも起こりますが、どちらかというと、高線量の場合に細胞の死滅が起こりやすく、急性症状になりやすい。反対に低線量の場合は、染色体の誤った再生とコピーによりガンにいたっていく可能性の方が高くなります。このため低線量被曝では、急性症状よりも晩発性のガンが発生しやすくなります。

 

つぎに重要なのは外部被曝と内部被曝の違いです。放射能、ないし放射性物質が発する放射線は、α線とβ線とγ線ですが、α線とβ線は空気中で、それぞれ45ミリ、1メートルぐらいしか飛ばないため、外部被曝で体にあたるのほとんどγ線です。3つの放射線の中で一番エネルギーが少ない。これが全身にバラバラに、粗い密度であたります。

これに対して内部被曝の場合、核種によって違うものの、3つの放射線の全てが照射されます。α線とγ線をだすもの、β線とγ線を出すものなどがあります。γ線よりもα線やβ線の方がエネルギーが大きく、打撃力が高い。もちろんその方が人体に対する影響も大きいのですが、問題は、内部被曝の場合、放射線が局所に集中的に、高い密度であたることです。

ここに外部被曝と内部被曝の大きな違いがあります。外部被爆ではおもにγ線しかあたらない。γ線も量が多ければ人体に深刻な影響を与えますが、α線やβ線に比べると、分子との衝突の可能性が低いのです。そのためにα線やβ線よりも遠くまで飛んでいく。衝突でエネルギーを失うことがより少ないから、いろいろなものを通過しやすいのです。

これに対してα線やβ線が、あまり飛ばないのは、すぐに近くにある分子と衝突し、電子を弾き飛ばす電離作用を及ぼすからです。そのときにエネルギーを失う。α線が空気中でも45ミリしか飛ばないのは、その間に激しく空気中にあるさまざまな分子に衝突し、電離作用を繰り返すからです。β線も、γ線より激しく分子にあたるので、空気中では1メートルしか飛ばない。

これが体内に入るとどうなるか。α線やβ線は、チリとなってとりこまれた放射線物質のすぐそばの細胞に激しくあたっていく。こうなると何ミクロンという距離しか飛ばなくなる。その間にある細胞の分子を切断し、激しく損傷させてしまいます。これが高い密度であたるという意味です。そのため細胞は修復不可能なダメージを受けてしまう。

細胞がそのまま死滅してしまうことがたくさん起こると急性症状が出てきて、死に至ることもあります。そこまで悪化しなくても、免疫力が大きく落ちて、あらゆる病気が発症しやすくなり、体力や気力が突然維持できなくなる、「原爆ぶらぶら病」と呼ばれてきた症状もでてきます。生命活動の源が大きく破壊されてしまうことでこの症状が出て来る。

これに対して、細胞の中のDNAが必死になって修復を行うのだけれども、正しい修復ができずに、間違った修復がなされてしまうことも起こります。先にも述べたように、間違って修復されたDNAは、細胞分裂の繰り返しで、何度も
コピーされていき、どんどん増えていく。それが何十年という時間を経てガンとしてあらわれてきます。晩発性の障害といわれるものです。

 

外部被爆でも、線量が多ければこのような症状がでてきますが、線量が同じだった場合、外部被曝ではいわば体のあちこちにバラバラに放射線があたるので、それぞれの箇所で、細胞が行う必死の修復作用が成功する可能性が高い。しかし内部被曝では、体の一部でしか作用が起こりませんが、その場所は修復が難しいダメージを被ってしまいます。

比喩をしてみましょう。10本の細い針で皮膚をつつくことを考えてみてください。軽くつつくなら皮膚は破れないかもしれない。ところが針を10本束ねて一か所だけを刺す場合ではどうでしょうか。刺される場所は10分の1ですが、針の太さは10倍になっています。そのため同じ力でつついても、皮膚が破れて針が通ってしまいやすくなる。

ただしこの比喩ではまだ内部被曝の外部被曝に比べた恐ろしさを十分には伝えていません。両者の密度の差がここでは10対1になっていますが、実際にはもっと大きな差があるからです。ではどれぐらいでしょうか。ヨーロッパ放射線
リスク委員会(ECRR)は、同じ線量の被曝の人体に対する影響は、内部被曝の場合、平均して外部被曝に対して600倍して考えるべきだと指摘しています。

 

こう考えてくると、内部被曝と外部被曝を単純に足し合わせて、被曝量の総計としている今の主流的な考え方、国際放射線防護委員会(ICRP)の計算式がまったく間違っていることが見えてきます。かりに内部被曝1ミリシーべルト、内部被曝1ミリシーベルトなら、内部被曝に600をかけなければならない。つまり足し合わせて2ではなく、601とみなすべきなのです。

にもかかわらず、食物の中に含まれた放射線物質何ベクレルを年間これぐらい食べると、何シーベルトになるという計算が繰り返されています。こうすると1キログラムあたり500ベクレルもの高い値のものを毎日食べても、「レント
ゲンと比べても気にするほどの量ではない」ということが語られるようになります。

そもそも病を発見するメリットのために被曝のデメリットをおかすレントゲンを比較対象にすること自身も大きな誤りですが、ここには外部被曝であるレントゲンと、内部被曝である食べ物から被曝をまぜこぜにして語っている誤りもあります。比較するなら食べ物からの被曝を600倍しなければいけない。そうすればどれほど大きな被曝なのかが浮かび上がってきます。

 

まとめます。内部被曝の恐ろしさは、外部被曝に比べて被曝が高密度でなされ、私たちの人体が持っている細胞の修復能力を上回る被曝が行われる可能性が高いことです。しかも外部被曝ではエネルギー量の低いγ線が主役であることに対して、内部被曝では、よりエネルギー量が高いα線やβ線が主役になってしまう。それが高密度で細胞を攻撃するのです。

このため内部被曝と外部被曝はまったく違うものであると考えたほうがよい。両者を足し合わせて人体の影響を測るのなら、内部被曝の線量を600倍して考えるべきですが、そもそも人体への影響の仕方がかなり違っています。注目すべきことはこの両者の抜本的な違いが無視されてきていることです。内部被曝は今なお隠された被曝なのです。

飲食物の放射線物質に対する安全基準も、放射性物質の付着した汚泥やがれきを燃やすときの安全基準も、この内部被曝を無視した考え方の上に成り立っています。大きな危険性が隠されています。だからこそ汚染物質を徹底して避け、がれきの移動や焼却も認めないことが大事です。
とりあえず、今回はここまでとしておきます・・・。