守田です。(20120724 23:30)

東北訪問の旅を終えました。まだ大槌のことで書くべきことが残っているのですが、今日はその先のことを少し記しておこうと思います。17日夜山形、18日午前山形、18日夕方・同夜米沢と続いた山形県内での講演会、懇談会などで感じたことです。

山形県は福島県、宮城県と県境を共にしています。秋田県、新潟県にも接していますが、それはともあれ激しい放射能汚染にみまわれた福島県や宮城県南部と接しているため、さぞや高い汚染があるかと思えるかもしれませんが、福島原発からの距離で考えると、汚染は低めだと言えると思います。とくに県内で原発からもっとも遠くにある日本海側の酒田市、鶴岡市あたりは、一般廃棄物の焼却場データなどで見てみると、西日本とあまり変わらない状況にあることが見て取れます。

ただし汚染がほとんどないのかと言うと、残念ながらそのようなことはなく山形市東部やその北の天童市、東根市などはそこそこ高い数値が出ています。一つの大雑把な目安となるのは、これまでも紹介した、昨年夏に行われた16都県での焼却場の調査です。
http://www.env.go.jp/jishin/attach/waste-radioCs-16pref-result20110829.pdf#search=’焼却場放射能測定一覧’
焼却場のある地域に昨年、7月、8月ごろにどれだけのセシウムが降ったのかの一つの目安になるものですが、これらから山形市をみると、二つの焼却場で、7月22日に計測された飛灰から、ぞれぞれ1キログラムあたり、6900、7800ベクレルのセシウム(134と137の合計)が計測されていることが分かります。福島市内の焼却場のざっくり10分の1といったところでしょうか。

これに対して福島市に最も近い米沢市は汚染がすくない。福島原発からの距離を考えると信じられない感じすらしますが、ちょうど福島中通りの西側を走る吾妻連峰がついたてになり、米沢市の多くが大量の放射能の降下から守られています。ただその米沢でも汚染がまったくないわけではありません。同じく焼却場データをみると、米沢市のゴミを処理している高畠町にある「千代田クリーンセンター」の飛灰から7月4日に1キログラムあたり、660ベクレルのセシウムが検出されています。ざっくり山形市の10分の1ですが、それでももともとからすれば大きな値です。

この他の山形県内の都市を見てみると、先にも触れましたが、日本海側の鶴岡市の焼却場では、7月15日に1キログラムあたり22ベクレルという数字が出ています。これは西日本の京都などで出ている数値とほぼ同じレベルです。なのでこのデータを目安に考えれば、山形県の日本海側、しかも秋田県側は、汚染がかなり低いことが分かります。

その山形県に、福島からたくさんの人々が避難してきています。強制避難区域からの人もいれば、自主避難の人もいるとのことですが、その数はおよそ13000人。全国の都道府県で最も福島からの避難者が多い県です。その山形が汚染が少ないことにほっとする思いもするのですが、そうはいっても、やはりそれなりの汚染がある地域をさして「ほっとする」思いがしてしまうこの状況全体の異常さを思わずにはおれません。

さてそのようなわけで、山形にはたくさんの福島からの避難者がおられるため、講演会や相談会にも母子避難している女性やそのご家族などがたくさん来てくださいました。中にはスタッフとして活躍している方もいました。そのため福島で今、何が起きているかの情報もたくさん入ってきます。

そこで得た情報については、また別の記事で発信したいと思いますが、これらのことは山形での福島支援の特殊な位置性をあらわしているように思えました。というのはここに集っている方たちの多くは、放射能の恐ろしさを自覚したがゆえに福島県内を離れた方たちであり、それだけに今、福島の内側で起こっていること、とくに健康被害などに敏感な意識をお持ちです。

また何と言っても距離が近いので、福島との行き来も多い。実際に福島市内に通勤している方ともお会いしました。そのため福島内で起こっていることがリアルタイムで伝えられてくるし、それを話し合う環境を作ることができる。福島の中に住んでいて、復興キャンペーンの最中にあったり、あるいは除染に参加しなければならないような状況では、とても放射能の危険性をおおっぴらには話せないでしょうが、ここでは避難してきたもの同士のつながりが可能で、そうした情報の共有もできます。

ただしそのためには山形の側での福島からの避難者たちの方々のバックアップが不可欠です。今回、僕を講演に招いてくださったのは、まさにそうした活動を担っている方たちで、精力的に健康被害についての聞き取りも行っており、心を砕いた活動をされていることを感じましたが、なんというか、福島からの避難者の多さに対して、山形県内から集まったたちの活動だけでは、カバーしきれないものが多いように感じました。

これにもっと多くの地域がつながれないものか。つまりもっとも近くで福島の方たちをケアしている山形の方たちに、もっと広範な地域からのさらなるバックアップをできないか。それでここでの意義ある活動をより広くシェアできないものかとそうしたことを考えました。

中でもこうした活動の中心である山形市内で、市民放射線測定所設立の動きがあり、僕自身はぜひこれにつながって支援をしていきたいと思うし、近くの測定所にもかかわりを持って欲しいと思っています。と思っていたら、実は仙台の測定室、「小さき花」の石森秀彦さんが、土壌調査に山形に訪れていることを知りました。これはとても心強い!そうした連携が広がって欲しいです。僕自身も媒介となって、西日本の広範な支援をつなげられないものか、今後、何らかの案をひねり出していきたいです。

さてそんな思いで山形の方たちといろいろと交流を重ねましたが、ある方が印象的なことを話されました。今回、自分で畑を持ち、味噌を作り、保存食料を持つことの重要さ、大切さ、そして強さに、つくづく開眼したというのです。もちろん土地は汚染されていないことが条件になりますが、彼女が言うにはもともと雪深い東北は、そうした食料備蓄の知恵が幾らでもある。それを今、もう一度、見直していきたいと言うのです。

その話を山形弁で話されたその言葉通りに再現できないことが何ともかんとも悔しいのですが、それはともあれ、僕はこんなところにも、原発を見直す契機があるように思えました。現代の私たちは、商店での食べ物の陳列に頼りすぎかつまた冷蔵庫の恩恵にも頼りすぎている。電気、電気、電気の生活で、かつてあったいろいろな知恵を後退させてしまっているのです。

そしてひとたび停電になれば大打撃になってしまう。食べ物がすぐに商店の棚から消えていく。同時に、冷蔵庫の中のものはすぐに解凍しだして長い間は持たない。実はそのため、多くの被災地で、「大震災後は、ご馳走ばかり食べていたよ!」という話も聞きました。どんどん冷凍庫の中のものが溶け出すのでもったいないから一番高いものから食べたと言うのです。しかしそれはほんの数日しか持たない。

これに対して味噌を初めとした発酵食品は、非常に持ちがいいし、しかも今のような不純物、化学物質も少ない。その上、栄養価が極めて高く、理想的な健康食が多いのです。そこには私たちの住む列島の風土にあわせて、先人が重ねてきた実践的な知恵がある。にもかかわらず私たちはその多くをうっかりと失いかけていたのではないか。

私たちの国の中で、気候風土が厳しいだけに、その分、その中を耐え忍び、かつその中で暮らしの楽しみを作り出してきた知恵が、東北にはいっぱいつまっているのだと思います。そうしたことの一つ一つを私たちが拾いなおせるといい。そのことと、放射線の害に対抗して、免疫力をあげて立ち向かっていくべきことをどこかでつなげていけるように思えました。

そしてそう考えたときに、まさに東北の地で、全体としては山形県の汚染が少ないことには大きな救いと展望があります。ぜひこれを読んでいる他地域の方たちが、積極的に山形とつながってくださるといいなと思います。僕自身、そのための道を模索していきたいと思います。

山形訪問についてとりあえずの感想を終えます・・・。