守田です(20170822 23:30)

明日に向けて(1413)~(1415)で、2017年8月6日に放映されたNHKスペシャル「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」の内容を文字起こしして紹介しました。
これを踏まえて僕なりの解説を試みようと思っているのですが、その過程で5年前の2012年8月6日にやはりNHKスペシャルで放映された「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」という番組のことを思い出しました。
この時も非常に重要な内容が展開されたと考えて、すぐに文字起こしを試み、8月11日に以下のように記事にしました。

「明日に向けて(526)「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」(NHKスペシャルより)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/6529d3ea6f5edcd5becace7cda4452be

今回、読み返してみてNHKの取材の積み重ねの素晴らしさに共感し、ぜひ5年後に作られた「原爆死 ヒロシマ 72年目の真実」を補足する形でこの番組も観ていただきたいと思い、再度、文字起こし部分を掲載することにしました。ぜひお読み下さい。
なお採録にあたって、いまもネット上にアップされている番組の動画を調べて記入しましたので、時間のある方は番組そのものをご覧ください。

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「黒い雨 活かされなかった被爆者調査」2012.8.6NHKスペシャル(その1は17分35秒まで)
http://www.at-douga.com/?p=5774

広島に住む女性が大切に保管しているものがあります。無数の黒いシミが残るブラウスです。

「染み込んどるの洗っても洗ってもとれんかった、これ。」

原爆投下直後、広島に降った黒い雨。67年前の確かな痕跡です。
アメリカが広島・長崎に投下した原子爆弾。きのこ雲には、爆発で巻き上げられた地チリや埃とともに大量の放射性物質が含まれていました。それが上空で急速に冷やされ、雨となって降りました。いわゆる黒い雨です。
原爆資料館に保管されている雨だれのあと、原爆の材料となったウランなどの放射性物質が検出されています。しかしこれまで雨がどこに降り、どれだけの被曝をもたらしたのか詳細なデータがないため、わからないままになっていました。
ところが去年12月、国が所管する被爆者の調査をする研究所に大量のデータが存在していたことが明らかになりました。

公開されたのは広島・長崎10000人を超える被爆者がどこで雨にあったのかのを示す分布図です。丸の大きさが雨にあった人数を表しています。データは戦後、被曝の影響を調べる大規模な調査の中で集められたものでした。
突然あかされた新事実。黒い雨を浴びてガンなどの病気になっても、その影響を認められなかった人たちに衝撃が広がっています。

「どうしてだしてくれんかったんかね。こういうものがあったのに」
「これはもう、憤り以外の何者でもないですよね」

このデータをもとに、黒い雨の実態解明を進める動きも起きています。最新の研究で、雨が多く降ったところで、被爆者ががんで死亡するリスクが高まっている可能性が浮かびあがってきたのです。
「まったく驚きですね。リスクが高くなっている地域が黒い雨の影響を受けているんだろう」
黒い雨のデータはなぜ生かされてこなかったのか。それは今の時代に何を語るのか。被曝から67年、はじめて明らかになる真実です。

今回公開された黒い雨のデータ、その存在があきらかになったのは長崎のある医師が抱いたある疑問でした。長崎市内で開業している本田孝也医師です。
黒い雨を浴び、体調不良を訴える患者を長年診てきました。

「アメの色は黒かった?」
「はいもう黒かったですよ、汚れて」
「髪の毛が抜けたとは」
「私は髪の毛が抜けたなという感じはしましたもんね。」(患者との対話)

患者の中にはガンや白血病などの病気になった人も少なくありませんでした。しかし詳しいデータはなく、どうすることもできませんでした。
何か資料はないのか。さまざまな文献に当たる中で、去年、気になる報告書を見つけました。広島と長崎で、被爆者の調査をしてきたアメリカの調査機関ABCCの調査員が内部向けに書いたものでした。そこには黒い雨を浴びた人に、被曝特有の出血斑や脱毛などの急性症状が出たことが集計された数字と共に記されていました。元になったデータがあるのかもしれないと本田さんは思いました。

「そんなことは聞いたことがなかったので、それほどのデータがあったのかなと、ずっと昔から研究されている研究者の中で話題にならなかったのかというのが、最初は不思議だなと思ったところですね。」

本田さんは当時、報告書を書いた研究員がいた研究所に問い合わせました。
アメリカのABCCを引き継いだ放射線影響研究所、放影研。国から補助金を受けて、被爆者の調査を行い、そのデータは被曝の国際的な安全基準の元になってきました。本田さんに対する放影研の答えは、確かに黒い雨に対する調査は行ったが、詳細は個人情報であり、公開はできないというものでした。そのとき渡されたのは調査につかったからの質問表でした。どこで被曝したか、どんな急性症状を起こしたか、数重もの質問が並んでいました。
1950年代、ABCCが放射線の人体への影響を調べるため、広島と長崎の被爆者93000人に行った聞き取り調査でした。

「原爆はどちらでおあいになりましたか?脱毛はありましたですか?」
「すっかり毛が抜けてしまったんです」

「原爆直後、雨にあいましたか?」
黒い雨に関する聞き取り項目もありました。
放影研は本田さんとの数回におよぶやりとりの末、13000人がイエスと答えていたことを初めて明かしたのです。

「ほんとかなという実感がわかなくて。なんかありそうじゃないじゃないですか、そんな膨大なデータをいまどき、そのままにしているなんて。
そこからは何かがでるはずだろうし、何で今まで出さなかったのかという、ちょっと険しいやりとりになったのですけれど。」

マスコミから問い合わせが殺到し、2ヵ月後、放影研は分布図だけを公開しました。これまで公開しなかった理由について、隠してきたわけではなく、データの重要度が低いと判断したからだとしています。その根拠は何か。
放影研が重視してきたのは、原爆炸裂の瞬間に放出される初期放射線です。その被曝線量は爆心地から1キロ以内では、大半が死に至るほど高い値ですが、2キロ付近で100mSvを下回ります。100mSvは健康に影響をもたらす基準とされている値とされていて、放影研はそれより遠くでは影響は見られないとしているのです。

しかし被曝はそれだけではありません。黒い雨や地上に残された放射性物質による残留放射線です。原爆投下後の1ヶ月あまりの後の測定から、被曝線量は高いとことでも10から30mSvと推測されています。
放影研の大久保利晃理事長。残留放射線の被曝線量は、研究の中で無視してよい程度だったとしています。

「集団としてみた場合には黒い雨の影響はそんなに大きなものではなかったと思います。影響はないとは言ってませんよ。もちろん放射線の被曝の原因になっているということは間違いない事実だと思いますけれど。それが相対的に直接被曝の被曝線量と比べて、それを凌駕する、あるいは全体的に結論を変えなければいけないようなものであったかという質問であっととすれは、それはそんなに大きなものではなかったと。」

公開された分布図を見ると、黒い雨にあった人は、爆心地から2キロの外にも多くいたことが分かります。それなのになぜ黒い雨の影響を調べなかったのか。多くの人が、放影研の説明に納得できずにいます。
爆心地からおよそ2.5キロ。広島市の西部、己斐(こい)地区です。黒い雨が激しく振りました。しかしひとりひとりが黒い雨を浴びた確かな証拠はありません。

佐久間邦彦さん。67歳です。当時、生後9ヶ月だった佐久間さんにとっても、黒い雨を浴びたことを示すものは自分をおぶっていた母の話だけでした。
「聞いているのは最初、パラパラっときて、それからザーッときたというふうには聞いてますけどね。頭と背中と、当然、もろに濡れたんじゃないかなと思っています。」

佐久間さんは幼いころから白血球の数が異常に少なく、小学生のときには、腎臓と肝臓の大病を患いました。母親の静子さんは乳がんを発症。しかし黒い雨を浴びた確かな証拠はなく、その影響を強く訴えることはできませんでした。佐久間さんは放影研のデータの存在を知り、自分のデータはあるのか問い合わせました。二週間後、送られてきた封筒には、調査記録のコピーが入っていました。
「イエスというふうにこれ(原爆直後、雨ニ逢イマシタカ?)にチェックしてあります。まさかですね、私がこの中の人になるとは思っていなかった。」

調査に答えていたのは母、静子さんでした。母が答えた調査記録があるのに、なぜ国は病気のことを調べてくれなかったのか。病気と黒い雨との関係を明らかにできなかったのか。疑念が沸いてきました。
「そのままにしておかれたのかという、私たち被爆者の立場から考えたら、もう何の調査もされていないということは、これはもう憤り以外、なにものでもないですよね。」

今、放影研から調査記録を取り寄せる被爆者が相次いでいます。私たちは今回、被爆者の承諾を得て、53人分の調査記録を集めました。被爆者自身、初めて眼にする黒い雨の確かな記録です。中には、発熱や下痢など、複数の急性症状が爆心地から5キロの場所にいたにもかかわらず、強く出ていたという記録もありました。
調査を行ったABCCは、黒い雨のデータを集めていながら、なぜ詳しく調べることなく眠らせていたのか。私たちは調査を主導していたアメリカを取材することにしました。

続く