守田です。(20150802 23:30)

本日8月2日、東京電力は福島第一原発3号機の燃料プールの上に落ちていた20トンの巨大がれき(燃料交換用クレーンの残骸)の撤去作業を行いました。
危険作業で敷地内の他の作業をすべて中止する措置がとられる中での作業でしたが、午前11時55分に吊り上げに着手、午後1時18分に吊降ろし作業が終了と発表されました。
詳しくは以下の東電の発表をご覧下さい。

福島第一原子力発電所 3号機使用済燃料プール内からの燃料交換機撤去について
2015年8月2日 東京電力株式会社
http://www.tepco.co.jp/cc/press/2015/1256670_6818.html

ともあれとりあえずは新たな事故のないままにがれき撤去ができて良かったです。現場で危険作業に従事している方に感謝を述べたいです。
しかしこれからもこういう綱渡りがえんえんと続くのだと思います。覚悟を固めて、ウォッチを続けたいと思います。

さて昨日の発信においてこの福島3号機が純然たる東芝製であること、この他2、5、6号機の製作に関わるなど、東芝が福島原発に大きく関与してきたことに触れました。
そうであるがゆえに事故後にアメリカで受注し建設中であった原発建設が止まってしまい、東芝は大きな損益リスクを抱えました。
いやそもそもそれ以前から東芝は原発事業に深くコミットして投資を大幅に増やしたものの産業全体の展望が暗くなる中で経営が傾いていました。
その中で構造的な会計の不正が行われていたわけですが、僕はここには日本のみならず世界の原子力産業の瓦解こそが大きく表れていると思います。

今宵はこれらについてみておきたいと思いますが、僕は経済学は少しはかじっているものの会社の経営などには明るくなく専門用語にも不慣れです。
とくに会社の経営問題になると基礎的知識が不足していてその点で正確さを欠くことになるかもしれません。間違っている場合にはどうかご指摘をいただきたい旨、先にお断りしておきます。

東芝の不正問題、7月20日に行われた第三委員会の報告によると不正が行われたのは2008年度から2014年度第3四半期、額は計1518億円に上ります。自主チェック分を合わせて利益のカサ上げは累計1562億円に上ります。
この責任をとって田中久雄社長、元社長の佐々木則夫副会長、西田厚聰(あつとし)相談役の歴代3社長が辞任しました。さらに取締役16人中8人が辞任。「異例の事態」と報告されています。
そもそも会社の利益のかさ上げによる営業成績の好調さの演出は、市場の投資者に対する詐欺そのものであり、大きな経済犯罪です。きちんとした処罰を行わなければ日本企業全体の信用の失墜にもつながりかねない事態です。
しかし安倍政権の姿勢を見ていても、マスコミの報道姿勢を見ていても、そこまで徹底してこの問題と向かい合う方向性は見えません。

背景を辿っていくと見えてくるのは原子力産業が坂道を転げ落ちるように瓦解していることです。その瓦解する産業が安倍政権の裾をつかんで共に坂を転げ落ちつつあるようにすら見えます。
歴史を捉え返してみましょう。そもそも日本の原子力産業が、国内における原発の建設の枠内にあったところから大きく原発輸出などの海外展開に踏み切って言ったのは2000年代に入ってからのことです。
大きな影響を与えたのはアメリカ・ブッシュジュニア政権のもとでの「原子力ルネッサンス」の動きでした。スリーマイル島原発事故以降、原子力産業が停滞していたアメリカが2001年に「国家エネルギー政策」を発表。再度、原発推進を掲げたのです。
米エネルギー省(DOE)は2002年には「原子力2010計画」を発表。原発の新規建設を促進し始めました。

これに日本の側から飛びついたのが、小泉純一郎首相でした。
当時、日本は高速増殖炉もんじゅの事故やJCO事故によって、原子力政策が暗礁に乗り上げており、離脱の可能性も生まれていた時期であったとも言えました。
しかし小泉政権はブッシュ政権の後ろをピッタリとフォローしつつ、原子力政策の強化に舵を切っていきました。その重要な柱が2005年に原子力委員会から提出され、政府方針として閣議決定された「原子力政策大綱」でした。
小泉政権はこれを2006年の「骨太方針」に明記し、これに基づき、2006年に綜合資源エネルギー調査会原子力部会によって「原子力立国計画」が確定されました。

そこで打ち出されたものこそ、既存原発の60年間運転、2030年以後も原発依存を30~40%程度以上に維持、プルサーマル・再処理の推進、もんじゅの運転再開と高速増殖炉サイクル路線の推進、核廃棄物処分場対策の推進でした。
さらに海外進出を念頭においた「次世代原子炉」開発、ウラン資源の確保、原子力行政の再編と地元対策の強化などが打ち出されました。それまで行ってこなかった原発輸出もここで大きく位置づけられたのでした。
以下、原子力政策大綱と原子力立国計画を示しておきます。

原子力政策大綱
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/taikou/kettei/siryo1.pdf

原子力立国計画
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/images/060901-keikaku.pdf

これに企業の側からもっと大きく呼応したのが他ならぬ東芝であり、そのもとで行われた最も大きな経済行為が2006年2月の米原発大手ウェスチングハウス買収の発表でした。
もともと同社は経営悪化から会社を分社化して売り出し、原子力部門を英国核燃料会社(BNFL)と米エンジニアリング大手モリソン・クヌードセンの合弁会社にそれぞれ売却していました。しかしBNFLも抱えきれなくなり2005年7月に売りに出されたのでした。
東芝はこれに応じようとしたのですが、もともとウェスチングハウス社は加圧水型原発の特許を持つメーカーであったため、加圧水型を製作してきた三菱もアレバと組んで買収に参画しました。日立もまた同じように名乗りを上げました。
これに対して東芝は、当時2000億円規模、高値でも3000億円と言われた同社になんと倍に近い5000億円強の価格をつけ、三菱、日立をおさえて買収に成功しました。

そもそもそれまで東芝は、GEと組んで沸騰水型原発の製造に関わってきましたが、ここで加圧水型のノウハウも手にすることで、原子力産業全体に大きくコミットメントしようとしたのだと思われます。
この買収は2005年6月に就任した西田社長のもとで行われましたが、実際の仕切りを行ったのは原子力部門を登りつめて、西田氏に次いで後に社長となった佐々木則夫専務(当時)だったと言われています。
これに続いて東芝は、2009年2月25日に「サウス・テキサス・プロジェクト」の受注を発表しました。テキサス州に140万ワットの沸騰水型原発2基を作る計画であり、スリーマイル島事故以降、初めて作られる原発となる予定でした。
東芝にとっても初めての海外受注原子力プラントでした。以下、当時、東芝が発したプレスリリースをご紹介しておきます。

米国テキサス州の原子力発電プラント受注について
TOSHIBA 2009年02月25日
https://www.toshiba.co.jp/about/press/2009_02/pr_j2502.htm

こうした強気の会社運営のもとで東芝は2008年3月期に売上高過去最高を記録し、どこまでも伸び上っていくかのような好調な姿勢を示しました。
ところがすでにこの頃から、ウェスチングハウス社をあまりの高値で強引に買い取った影響が出始めていたのでしょう。実はこの2008年から不正会計が始まっていました。
さらに同年9月にはリーマンショックが発生。2009年3月期には、不正会計のもとでも営業損益2500億円超の赤字が記録されました。
この時期に社長に佐々木則夫氏が就任し、同社はますます原子力部門への傾斜を強め、展望は「サウス・テキサス・プロジェクト」に託されていきましたが、その必死の計画が2011年3月の福島原発事故の影響によって完全にとん挫してしまったのでした。
以降、東芝はどんどん追い詰められていきました・・・。

続く