守田です。(20141001 23:30)

今年の初めに僕は次の言葉を掲げました。
Power to the People!
福島原発事故を経て、私たちの国の民は間違いなく新しい覚醒の時代を迎えている。この流れに掉さし、どこまでも強くしていくことにこの1年間、寄与していきたいと考えてのことです。

そのために必要なことの一つは国際連帯であり、とくにチェルノブイリの経験をわがものとすることだ、ヨーロッパやチェルノブイリの周りの国々の痛みをシェアし、その中から紡ぎ出されてきた知恵に学ぶことだと考え、積極的に自分自身が海外に出て行くことを志向しました。
こうして2月から3月にドイツ、ベラルーシ、トルコを訪れる旅を行い、8月にもトルコ、シノップ県のゲルゼ市を訪問しましたが、これらの活動の一つの締めくくりとして、今度は10月下旬にポーランドを訪れ、国際会議に参加することになりました。
この一連の過程を振り返るとともに、ポーランドでどのような会議に参加するのか、何を実現するのかを記しておきたいと思います。

僕がヨーロッパに赴くことを志向し始めたのは昨年の初夏のことです。最も強い刺激を受けたのは岩波書店から邦訳の出た『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』の出版でした。(2013年4月26日初版発行)
実は僕はこの本のことは、翻訳チームの中に友人がいたことがあって、早くからキャッチしており、記事で何度か論じても来ました。
チェルノブイリ原発事故があったのは1986年。被害の実相は国際的な原子力推進派によってさまざまな形で覆い隠されてきましたが30年近く経ってようやく全体像が見え始めました。何はともあれ、これに学ぶこと最重要だと僕は当時考えたのです。以下、記事をご紹介します。
明日に向けて(264)必読!チェルノブイリ被害実態レポート(前書きがアップされました)-20110918
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/b9d72063aa5a264631f0f6ea82dd1456

明日に向けて(538)チェルノブイリ―大惨事が人びとと環境におよぼした影響(上)-20120903
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/38e19aeb35ab80584e2c3bdc656db68f

明日に向けて(540)チェルノブイリ―大惨事が人びとと環境におよぼした影響(下)-20120909
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/73cc6881392949c1f5d960ace2504cba
同書が出版された時には、翻訳チームの方たちが印税を使って、著者の一人、アレクセイ・ヤブロコフ博士を日本に招き、連続講演会を行ってくださいました。
僕も5月22日に行われた京都講演会に駆けつけ、博士の講演の抄録を紹介しました。

明日に向けて(688)『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』に学ぶ!・・・1 -20130611
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/00e99196bba2537ef9e312918d42d64f

明日に向けて(689)『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』に学ぶ!・・・2 -20130613
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/54713fcf08ab8c0ab3e6fc0f26c1a5c1

明日に向けて(690)『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』に学ぶ!・・・3 -20130614
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/a8393e2ded37f7f2a672ab8a1be4a1da
チェルノブイリ事故の実態はまだまだ隠されているし公になっていない。また今後、日本の中でチェルノブイリの後に行われたのと同じ事故隠しや犠牲者切り捨てがなされようとするだろう。
だとするならばチェルノブイリのことに熟知していく必要があるし、何よりもそこに関わってきた人々と交わり、悲劇の中からつかんだ英知に学びたい。
そのために言語の達者な人々に、交流を任せてしまわずに自分が出て行かないとダメだ・・・。博士の講演を聞きながら僕が一番強く思ったのはこのことでした。

そこでさまざまな経緯を経た上でですが、今年の3月にドイツで行われた国際医師会議に日本の医師たちと共に参加することになり、この時にベラルーシも訪問することができました。
さらに僕にとって大きかったのは、この国際医師会議に続けて行われたヨーロッパ・アクション・ウィークに参加できたことです。
この企画はドイツのIBBという組織が担っているもので、チェルノブイリとフクシマの証人をヨーロッパ各国に派遣し、証言集会を行い、核のない未来を展望していくというものです。

ちなみにIBBとはドイツ語の略称です。Internationales Bildungs-und Begegnungswerkのイニシャルをとっているのですが、英語に直すならInternational Education and Exchange となります。
国際的な教育と経験交流の場・・・と訳すのが良いでしょうか。
ホームページ(英語ページ)を見てみると、冒頭に”Overcoming boundaries: Not only between countries, but also in the head.”とある。「境界の克服、国の間だけではなく、頭の中のそれもまた」という意味です。

IBBはこの観点で1986年からさまざまな活動を積み上げてきた。当時はまだ冷戦が完全には終わっていませんでした。その西と東の境界を越える。
さらにヨーロッパの中でも、周辺の中東やアジアとの間でもさまざまな対立があります。その境界も越える。そのためにはそれぞれの頭の中にある偏見を越える。そのために教育をし、交流してさまざまなものを交換していく。
IBBはこうした活動の中に、チェルノブイリ原発事故のことを非常に大きく位置づけました。ドイツ・ドルトムントに本拠を置いていますが、ベラルーシ・ミンスクにも拠点を作りました。

僕はこのIBBが積み上げてきた実績のもとにトルコに派遣してもらえました。そしてイスタンブール、シノップ、イズミルで講演を行い、本当にたくさんの方たちと交流できた。
僕が派遣されたのは、日本からトルコ・シノップへ原発が輸出されようとしているからでした。そのためにトルコの人たちにフクシマの経験を知ってもらう必要があるとIBBは考えました。
さらに目指されたのは、トルコ人と日本人の間の新しいつながりを生み出すことでした。そこに大きな期待をかけて僕が送り出されたことを後になって知りました。

トルコ訪問はいろいろな意味で大成功でした。僕自身はどんどん体調を悪化させ、強度の便秘と腹痛からイスタンブールで入院し、その後も美味しいトルコ料理もぜんぜん食べられないなどのアクシデントがありましたが、交流そのものはどこでも大盛況でした。
さまざまな要因が僕に味方してくれたのですが、その中でも大きかったのは、直前になって彗星のように現れてくれた通訳者のトルコ人女性、プナールさんの存在でした。
彼女と僕は講演内容をめぐって事前にかなり綿密なやりとりを繰り返しました。彼女は原発のことにはそれほど詳しくなかったのですが、大変な苦労をして、原子炉の構造や放射線学の初歩知識を含むプレゼン内容の翻訳を進めてくれました。

こうして実現した講演の中でもとくに盛り上がったのは原発予定地のシノップでのものでした。現地の方たちがたくさん参加してくださったのですが、そのうちの1人の方がシノップの中心地からは20キロほど離れていたゲルゼ市から来ていた。
その彼女が僕の講演を聞いてゲルゼに帰ってから市長に会い、ぜひモリタをゲルゼにも呼んで話してもらうべきだと説得してくださったのでした。その縁があって3月を引き継ぎ、この夏にゲルゼからお声がかかりました。
実はこの時、僕も再びどうにかしてシノップに行きたいと考えていたのでまさに渡りに船でした!それでどうせならほかの人も呼ぼうとドイツで知り合った核戦争防止国際医師会議ドイツ支部長のアンゲリカ・クラウセンさんとそのお連れ合いで3月にも僕のトルコ訪問に同行してくれたトルコ人医師のアルパー・オクテムさんなどにも声掛けしました。

さらに東京で精力的に原発問題で活動しており、とくに原発輸出問題で国会議員を説得していたFoE JAPANの方たちにも声掛けし、吉田明子さんが一緒に参加することになりました。
吉田さんは日本の「脱原発をめざす首長会議」からシノップの市長たちにあてたメッセージも持参してきてくださいました。
こうして8月上旬に一行がゲルゼで合流しました。3月にイズミルでご一緒したトルコ人核物理学者のハイレッチンさんも参加されました。こうしてゲルゼの町の海岸で行われたサマーフェスティバルのメイン企画に僕らの講演会を設定してもらい、福島原発事故の話や、日本民衆の放射線防護、脱原発に向けた奮闘などを紹介しました。

その後、現地の人びとを含めたみんなで再びシノップの原発予定地(今は美しいトルコの人たちのリゾート地、憩いの地です)に赴き、一緒になって「ここに絶対に原発と作らせてなるものか」という意志を共有してきました。
ゲルゼだけでなく、もう一つのエルフレックという都市も訪れ、市長さんと会談し、チェルノブイリ事故以降、黒海沿岸でがんの死者が増加し、今もなお多くの家族が苦しみ、怯えていることなども聞いて、市長と共に原発を許さない意志を確認してきました。トルコにも脱原発首長会議を作ろうとの動きまで始まりました。
これらの一連の過程が終わり、翌日にお別れする夜、トルコ人医師のアルパーが叫びました。「われわれは大成功した。われわれは最高のチームだ!」と。

実はここにIBBから派遣されてきた女性も参加していました。彼女はこの一連の過程をドイツに帰ってIBB本部に報告してくれました。10月のポーランドでの会議のためです。
この国際会議はすでに3月以前に企画が立ち上がっていたもので、今回のヨーロッパ・アクション・ウィークの成果を確認するとともに、2016年がチェルノブイリ事故から30年、フクシマ事故から5年になることを踏まえて大きな企画をうつための打ち合わせをすることを目的としたものです。
僕の参加は3月にドルトムントを訪れたときに「こういう会議をやるので日本人も参加するか?」と問われたときに「YES!」と即座に手を上げたら「OK、契約成立!」と握手されて決まったのでした!

その会議のスケジュールが送られてきたので見てみると、初日のオープニング・セッションで僕がプナールさんと一緒に、トルコでのヨーロッパ・アクション・ウィークの成果を報告することになっています。
さっそくプナールさんと打ち合わせを開始しているところです。「たくさんのことを積み上げることができたので、ちょっと自慢してしまいましょう」と僕。プナールさんも喜んでいます。ちなみに発表は英語になると思いますが、プナールさんとの打ち合わせは日本語。彼女が日本語が達者なのでとても助かっています。
この会議にはFoE JAPANの吉田さんも参加を予定していて、やはり初日のオープニングセッションで、「脱原発首長会議」について報告されます。

会議は10月23日から26日まで。22日に出国して向かいます。その後、27~29日にプライベートでポーランドを旅してこようと思いますが、やはりどうしてもアウシュビッツに行ってきたいなと思っています。
悲惨な過去と向き合わなくてはなりませんが、同時に必ずそうした場には、悲惨きわまる現実と立ち向かい、苦しい捉え返しを進め、未来への光を紡ぎ出そうとしてきた連綿たる営みがあります。だから悲惨なだけでなく感動もある。その双方に触れるために僕は行きたいのです。それでこそ私たちの英知が磨かれるからです。
同時にそれは僕がヨーロッパの人々、アジアの人々、パレスチナの人々、そしてまたイスラエルの人々と今後連携を深めていく上で、もっとも大事な通過点の一つだとも思います。その意味で今回、この会議のおかげでアウシュビッツを訪問できることにも感謝しています。

以上、こうした経緯と目的のもと、10月にポーランドに行って国際会議に参加してきます!チェルノブイリに学び、福島を伝える旅の続きです。
Power to the People!
ますます連携を深めてきます!

なお今回は会議のための渡航費と滞在費をIBBが負担してくださいます。その点で基礎的なファンドは確保されていますが、取材経費などやはり費用がかかります。
僭越ですが可能な方にカンパを訴えたいと思います。以下に振込先を記しておきますので、お気持ちだけでもお願いできればありがたいです。
8月に続いて今度も、けが、病気をしないように、現地の方にけして迷惑をかけないように、気を付けていってきます!

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