守田です。(20140905 22:00)

集団的自衛権に反対する運動の中で、神戸で泥憲和さんという方が彗星のように登場し、スピーチの内容が何万件もシェアされたり、ツイートされたりしています。
7月28日には東京新聞にも泥さんのことが紹介されました。記事によると泥さんは元自衛官。退職後に被差別部落の人々と一緒に働いたことから、差別と闘うことを決意。
とくにこの間は、ヘイトスピーチないしヘイトクライムに対して、多くの人々に先駆けてカウンター行動を開始。身体をはって差別から人々を守っている熱血漢でもあります。
ツイッターのアカウントを見ると、ご本人によるこんな自己紹介も書かれていました。

渋柿じいさんドーザー泥憲和@ndoro4
日本を愛する普通の日本人です。日本を汚す奴らが大嫌いです。日本政府は元日本軍慰安婦に謝罪と名誉回復を!
日韓友好!不逞ネトウヨ、レイシスト、歴史修正主義者を、たーたーきーだせーっ!男組神戸本部長。元陸自。

泥さんはこの4月にがんで余命1年の宣告を受けながら、6月末に神戸で行われた集団自衛権反対集会に参加。主催者たちの話を聞いていて、もっと鮮明に反対を訴えなければと考えられマイクを取られました。
この発言が瞬く間に多くの人々に共有され、広がっていきました。僕もFacebook上の友人が共感して泥さんのスピーチをシェアしていることを何度も見ました。
でも率直に言って僕には共感できない点がありました。もちろん集団的自衛権に一生懸命に反対している泥さんの姿勢には共感したし、ヘイトクライムと身体を張って闘っておられる姿には敬意を感じています。
しかし僕は、泥さんが肯定しておられる自衛隊の存在や自衛権の行使に反対なのです。各国に固有の権利として認められた自衛権をも自ら放棄したものこそ憲法9条であり、だからこそ世界で最も新しい思想だと思うからです。僕はこの方向にこそ世界を救う道があると思っています。

この点をより詳しく説明するために、まずは泥さんの発言をご紹介し、僕の意見を述べて行きたいと思います。長くなるので2回に分けます。

*****

泥憲和さん発言
2014年6月30日

突然飛び入りでマイクを貸してもらいました。
集団的自衛権に反対なので、その話をします。
私は元自衛官で、防空ミサイル部隊に所属していました。
日本に攻めて来る戦闘機を叩き落とすのが任務でした。

いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。
でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。
自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。
そこは、安心してください。

いま私が反対している集団的自衛権とは、そういうものではありません。
日本を守る話ではないんです。
売られた喧嘩に正当防衛で対抗するというものではないんです。
売られてもいない他人の喧嘩に、こっちから飛び込んでいこうというんです。
それが集団的自衛権なんです。
なんでそんなことに自衛隊が使われなければならないんですか。
縁もゆかりもない国に行って、恨みもない人たちを殺してこい、
安倍さんはこのように自衛官に言うわけです。
君たち自衛官も殺されて来いというのです。
冗談ではありません。
自分は戦争に行かないくせに、安倍さんになんでそんなこと言われなあかんのですか。
なんでそんな汚れ仕事を自衛隊が引き受けなければならないんですか。
自衛隊の仕事は日本を守ることですよ。
見も知らぬ国に行って殺し殺されるのが仕事なわけないじゃないですか。

みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。
他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。
当然ですよ。
だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。
イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。

みなさん、軍隊はテロを防げないんです。
世界最強の米軍が、テロを防げないんですよ。
自衛隊が海外の戦争に参加して、日本がテロに狙われたらどうしますか。
みゆき通りで爆弾テロがおきたらどうします。
自衛隊はテロから市民を守れないんです。
テロの被害を受けて、その時になって、自衛隊が戦争に行ってるからだと逆恨みされたんではたまりませんよ。
だから私は集団的自衛権には絶対に反対なんです。

安倍総理はね、外国で戦争が起きて、避難してくる日本人を乗せたアメリカ軍の船を自衛隊が守らなければならないのに、いまはそれができないからおかしいといいました。
みなさん、これ、まったくのデタラメですからね。
日本人を米軍が守って避難させるなんてことは、絶対にありません。
そのことは、アメリカ国防省のホームページにちゃんと書いてあります。
アメリカ市民でさえ、軍隊に余力があるときだけ救助すると書いてますよ。

ベトナム戦争の時、米軍は自分だけさっさと逃げ出しました。
米軍も、どこの国の軍隊も、いざとなったら友軍でさえ見捨てますよ。
自分の命の方が大事、当たり前じゃないですか。
そのとき、逃げられなかった外国の軍隊がありました。
どうしたと思いますか。
軍隊が、赤十字に守られて脱出したんです。
そういうものなんですよ、戦争というのは。

安倍さんは実際の戦争のことなんかまったくわかってません。
絵空事を唱えて、自衛官に戦争に行って来いというんです。
自衛隊はたまりませんよ、こんなの。

みなさん、自衛隊はね、強力な武器を持ってて、それを使う訓練を毎日やっています。
一発撃ったら人がこなごなになって吹き飛んでしまう、そういうものすごい武器を持った組織なんです。
だから、自衛隊は慎重に慎重を期して使って欲しいんです。
私は自衛隊で、「兵は凶器である」と習いました。
使い方を間違ったら、取り返しがつきません。
ろくすっぽ議論もしないで、しても嘘とごまかしで、国会を乗り切ることはできるでしょう。
でもね、戦場は国会とは違うんです。
命のやり取りをする場所なんです。
そのことを、どうか真剣に、真剣に考えてください。

みなさん、閣議決定で集団的自衛権を認めてもですよ、
この国の主人公は内閣と違いますよ。
国民ですよ。
みなさんですよ。
憲法をねじ曲げる権限が、たかが内閣にあるはずないじゃないですか。
安倍さんは第一回目の時、病気で辞めましたよね。
体調不良や病気という個人のアクシデントでつぶれるのが内閣ですよ。
そんなところで勝手に決めたら日本の国がガラリと変わる、そんなことできません。

これからが正念場です。
だから一緒に考えてください。
一緒に反対してください。
選挙の時は、集団的自衛権に反対している政党に投票してください。
まだまだ勝負はこれからです。
戦後69年も続いた平和を、崩されてたまるもんですか。
しっかりと考えてくださいね。
ありがとうございました。

*****

みなさんはどう思われるでしょうか。

僕はまず冒頭のこの一文に強い違和感を持ったのです。

「いま、尖閣の問題とか、北朝鮮のミサイル問題とか、不安じゃないですか。
でも、そういったものには、自衛隊がしっかりと対処します。
自衛官は命をかけて国民をしっかり守ります。
そこは、安心してください。」

ここには大きな問題が幾つも横たわっています。
まず軍事的なリアリティから考えてみましょう。
果たして外国から航空機やミサイル等々で日本が攻撃された場合、自衛隊の力で本当に守ることができるのでしょうか。全く否だと僕には思えます。

なぜか。日本は世界の中でも類を見ないほどに海岸線の長い国だからです。攻めやすく、守りにくい国なのです。
戦前の軍部とてそれは承知で、だからこそ植民地経営にこだわり、朝鮮半島や台湾に大きな基地を置きました。
もともと軍事は攻める側に有利で守る側に不利という性格を持っていますが、海岸線が非常に長い日本列島の場合はそれが際立っています。

しかも大切なことは、歴代の自民党政府が、本当は北朝鮮や近隣諸国を信頼していたがゆえに、海岸線にたくさんの原発を建ててしまったことです。
とくに若狭湾周辺には15基も建ててしまった。新潟にも島根にもです。それらの原発は稼働してなくても大危機に陥りうることが福島の事故で如実に示されてしまいまいた。
原発だけではありません。巨大コンビナートをはじめ、攻撃にはまったく脆い施設が海岸線にずらりと並んでいます。とても守り切れるものではありません。

だからこそ私たちの国に必要なのは海外の国々と良好で互恵的な関係を築いていくことなのです。これは強いられた選択です。
イージス艦を何隻増やそうが、ジェット戦闘機をどれだけ増やそうが、まったく対処しきれません。
しかも福島原発は今なお瀕死の状態で、どんな一撃でも致命的な効果をもたらしてしまいます。私たちの国はとても戦争などできる状態ではないのです。

ただし私たちの国がとても戦争などできる国ではないことは幸いなことでもあります。私たちにとって平和外交以外に真の選択肢がないからです。だからこそそれを極めうる位置にもいます。
その点で今こそその私たちがその精神に立ち戻るべきなのは憲法前文の平和主義と第9条の不戦の誓いです。
僕はこれこそが世界を救う道だと強く思っています。以下、前文の当該箇所と9条を並べて提示ます。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(前文)
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(憲法9条)

「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」・・・どう読んだって自衛隊の存在が認められるはずなどありません。憲法には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」「戦力は保持しない」と書いてある。
そもそも現在の自衛隊の装備の多くはアメリカからの譲り受けです。ジェット戦闘機しかりイージス艦しかり。アメリカで戦力として造られたものを「自衛力」と読み替えているだけではないですか。
この歴代自民党政権が強行してきた「解釈改憲」のあり方に、日本の戦後の諸矛盾が凝縮してもいます。憲法という法の頂点にあるものを尊重せず、平気で読み変えたり嘘をついたりする。その不誠実さ、胡散臭さが人々を政治から遠ざけてきた理由の一つでもあります。

しかし私たちは今、世界をじっくりと見渡して、この憲法9条の精神こそ、人類史の中の最も新しい思想であることにこそ気がつくべきです。
9条が歌っているのは「たとえ正義であろうとも自分たちは軍事力は行使しない」という不戦の誓いです。「正義であっても、相手をやっつけるのはやめよう。争いの、殺し合いによる解決はもうなしにしよう」というシンプルな訴えです。
それが世界を救う道だと僕が思うのは、およそすべての戦争は、互いに互いの正義を掲げて行われてきたからです。世界中を見渡しても(少なくとも近代には)「これは侵略戦争だ」と言いながら行われた戦争などありません。

戦争を行う当事者は、時には謀略的な手法を用いてすら「正義」を主張して軍を進めます。そうしてその国の民が「正義」に取り込まれて出兵させられ、あるいは銃後を守らされていく。
相手の非道性だけをあれやこれやとあげつらい、自国民に敵国民への憎しみを受えつけ、そうして引くに引けない関係を作り出す中で、たびたび戦争が行われてきたことは、冷静になって歴史を見ればよく分かることがらです。
この「戦争構造」を止めるためにはどこかの国が「正義の暴力も行使しない」と宣言し、実行することこそ必要なのです。そうして戦争行っている国の庶民がその素晴らしさに気づき、自国政府に不戦を迫っていく。およそそれこそが世界から戦争をなくしうる道です。

もちろん戦争を無くすにはその根拠、出発点を無くすことも重要です。その大きなものは飢えや経済的苦境です。そして現在では大規模な気候変動による自然災害の猛威がそれを強めらいます。
だから僕は憲法違反の自衛隊を、全面的に災害救助隊に改編することこそが、日本だけでなく世界をも救う道だと確信しています。その際、自衛隊は人殺しの組織なので(だからイジメも絶えないので)大規模な精神的リハビリが必要で、本当に内側から、人を殺す組織から、人を救い生かす組織に変革する必要があります。
そして改編ができたら、世界にどんどん派遣していけば良いのです。世界の人々の苦しみを国家規模で救うのです。同時に世界各国に自国軍隊の災害救助隊への改編を求めるのです。そうして世界を災害救助合戦とでもいうべきものに巻き込むのです。

どの国がより効率的に人を救いうるのか、災害に対処しうるのか、そこにどんな技術を投入するのか、そのことを世界の前で示しあっていく。そうして互いにいいものはどんどん取り入れあい、共同化し、一緒になって災害に立ち向かう。
とくに対立している地域にこそより多くの救助隊を派遣し、対立当事者を巻き込みながら問題解決を探っていくのです。その際、第二次世界大戦後、大国の中で唯一、他国民を殺していない日本はその重要な役割を果たすことができるでしょう。
数百年後を想像してみましょう。その時の世界の人々の歴史書に「戦争の時代・・・野蛮な人類前史に終わりを告げたのは、自然災害の世界的激化の中で、日本という国から始まった軍隊の解体と災害救助隊の創出の動きだった」と書かれたらどんなに素晴らしいでしょう。

僕が世界をほんの少し垣間見てきただけでも思うのは、世界にはまだまだ「正義の戦争は善」という考え方が強いことです。そうして多くの国が自国の行ってきた戦争を「善」と捉えています。
しかもその「善」を多くの国が「自衛」にからめて主張しています。自衛とは防御のこと。しかし「攻撃は最大の防御なり」というのが軍事の鉄則で、自衛と称した軍事力が、積極的な攻撃へと繰り返し転化してきたのがここ100年以上の世界の戦争の歴史なのです。
だからこそ自衛のためのものであろうと戦力を手放し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することに徹すること、そのための政策を次から次へと発案し、実行していくこと、この平和政策に自国民と住民の理解を求めていくことが大切なのです。

一方的であっていいから世界の人々を熱烈に信頼してしまい、災害に苦しんでいたら積極的に助けにいく。軍事とはまったく無縁な領域で助ける。そのためにひたすら努力する。せっせと英知をつぎ込む。
「情けは人のためならず」・・・私たちの努力は必ず私たち自身の恩恵となって返ってきます。「あんなにいい国に攻撃なんかしていいわけがないじゃないか」という声が必ず高まり、最も強い安全保障となります。
武器によって守られた安全、周囲を疑いの目で見ながらの安全など、監獄の中の安全のようなもの。信頼に支えられた安全をこそ私たちは手にしたいし、現にある技術力、人員、予算で、獲得することができるのです。

とくに集団的自衛権についていえば、最大の批判点として私たちが考えなければならないのは、そもそも自衛隊などあるから、こんなものが出てくるのだということです。
このことが明らかにしているのは、自衛隊が明確な戦力だということです。だから集団的自衛権の行使に使えてしまうのです。自衛隊があるからこそ、安倍政権のような人たちが出てくれば戦争に積極的に使いたいという欲も可能性も生じてしまうのです。
どんな人々が政権を取ろうと戦争に至ることがないように、一切の軍事力を勇気をもって手放してしまうことが重要です。個別的自衛権を自ら放棄した憲法9条の世界史的先進性にこそ目覚め、私たちはその真の実現に進むべきなのです。

続く

次回は、「テロの危機」についてどう考えるべきかを論じます。