守田です。(20140827 23:30)
昨日、福島地方裁判所において、原発事故で避難を余儀なくされ、3か月半後の一時帰宅時に自ら火を放って亡くなられた渡邉はま子さんの死に対して、東電に4900万円の賠償を命ずる判決が出されました。
はま子さんの悲しい死は、豊田直巳さんらが製作した映画『遺言』の中でも扱われています。はま子さん自身は遺言を残されませんでしたが、映画『遺言』のタイトルには、はま子さんの無念の思いも込められているのだと思います。
裁判は遺族であるはま子さんの夫の幹夫さんと3人の息子さんたちによって東電を相手に行われてきました。裁判所は和解も勧告したそうですが、幹夫さんたちはあくまでも東電の責任を問う判決を求めて、裁判を継続してこられました。
この判決はまったくもって当然の判決です。しかしこれまで原発問題をめぐっては、司法は当然の判決をぜんぜん出してくれませでした。その流れが、大飯原発の再稼働を禁じた「大飯判決」などから変わりだしましたが、今回も福島地裁が正義の判決を出してくれました。
裁判で勝ってもはま子さんの命は戻ってはきませんが、彼女の無念の心が少しでも癒されればと思います。また幹夫さんや息子さんたち、その周りの方がの心の傷もまた癒されていって欲しいです。
そのためにも、はま子さんを死においやった東電は、絶対に控訴などすることなく、罪を認めて謝罪すべきです。東京電力に、即刻渡邉さんたちに謝り、賠償を実行するように迫る必要があります。
その際、おさえておきたいのは、この裁判の過程で東京電力が「はま子さんの自殺に関しては個体側の脆弱性が相当程度影響していると思われる」という暴言を吐いたことです。
これは二つの観点から批判されなくてはいけない。一つには、東電自らが生み出したはま子さんの絶望的な気持ちを、はま子さん当人の「弱さ」のせいにするというとんでも責任転嫁をしたことです。加害責任を被害者のせいだとしたのですから本当に悪質です。
「個体側の脆弱性」という血が凍るような文言そのものが酷い。遺族やはま子さんの友人、知人、そしてまた私たちを何度も踏みにじるような言葉です。まさに盗人猛々しいとはこのことです。
もう一つ。人は弱かったら悪いのかという問題もここには孕まれています。裁判所が認定したように、はま子さんが精神的に苦しくなっていったのは、彼女の気質ではなく、原発事故による避難生活の過酷さです。
しかし、そうでない場合、ある方が、もともと弱い人間であって、だから避難生活で苦しくなって亡くなったのだとしても、東電は全面的に責められなければならないのです。弱い人間だから死んだのだ・・・などという発想は、全面的に間違っています。
はま子さんに対しては不当な言いがかりですが、そもそも社会には強い人間もいれば弱い人間がいるのです。というより弱さとは強さの対極であり、双方がいるのが当然なのであって、だからこそ社会は、弱い人間をこそより守って当然なのです。
これはある人がときに強く、とくに弱いことも踏まえたことがらですが、にもかかわらず「個体側の脆弱性」などと言い出すところに、弱い人間など死んでも当然だとでもいいたげな東京電力の恐ろしい価値観が表出しています。
繰り返しますが、はま子さんはもともと弱かったわけではなく、原発事故避難の過酷さが彼女を過酷に苦しめていったのでした。それを踏まえて、しかし「もともと弱い人間が衰弱したら、それは本人の責任」という論法もまったく間違っていることをここで指摘しておかなくてはなりません。
おなじような強いられた死は他にもたくさんあります。震災以降、福島で自ら命を絶たれた方の数はこれまでで54人です。その人がもともと強かろうが弱かろうが、そんなことは無関係にこのすべての死に、東電は責任を負っています。
この他、「原発関連死」という形で、避難中に亡くなった方も大勢おられます。これは「震災関連死」という概念から東京新聞などが独自に集計してきた数です。
震災関連死とは津波や地震の直接的避難では亡くならなかったものの、その後の避難の過程で衰弱するなどして亡くなった方の数です。福島県では、津波や地震の被害やあまりなく、もっぱら原発事故のために避難し亡くなられた方が多数いるわけで、東京新聞は、これを原発関連死として把握したのです。
東京新聞の集計によれば、2014年3月までに判明した原発関連死者は1048人。ただし南相馬市といわき市が震災関連死者のうち原発事故を理由とした避難者数を把握していないためこの数が入っていません。
両市の担当者は「大半が原発避難者」と話しており、これを加えると原発関連死者はなんと1500人に迫ります。つまり東京電力は少なく見積もってもすでに1500人を殺害したのです。
にもかかわらず「個体側の脆弱性」などといって責任を回避しようとしてきたのがこの非道な会社です。安倍政権はこの会社を擁護し続け、誰一人の責任も追及しようとしていない。このことに私たちは怒りの声を上げ続ける必要があります。
そのためにも、私たちは何よりも、被災者、被害者のみなさんの痛みに寄り添い、苦しみをシェアし、声を共にして歩んでいく必要があります。
今回の判決の中で私たちが心に誓うべきことはこのことだと思います。
これらの点をより深く心に刻むために、昨日の報道を参照したいと思います。
とくにNHKのニュースウォッチ9が、裁判のことを丁寧に報道してくれていたので、内容を文字起こししました。
最後までお読みください!
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NHKニュースウォッチ9
2014年8月26日報道
ナレーション
福島県川俣町の渡邉はま子さん。(当時58歳)
東京電力福島第一発電所の事故で避難生活を余儀なくされ、身体に火をつけて自殺しました。
それから3年が過ぎた今日(26日)、「自殺と原発事故の間には因果関係がある」、福島地方裁判所は遺族の訴えを認めて、東京電力に対し賠償を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
渡邉はま子さんの夫 幹夫さん
「悩み苦しんできたわれわれ家族も少しは浮かばれるんじゃないかな。「あとはゆっくり休んでくれよ」とはま子に帰ったらいいたいです。
ナレーション
自殺した渡邉はま子さん。自宅で夫の幹夫さんや息子たちと暮らしていました。原発事故後、自宅のあったあった川俣町山木屋地区が計画的避難区域に指定されたことからふるさとを離れることを余儀なくされました。
福島市のアパートに避難しましたが、友人もおらず、息子たちとも離ればなれになるなか、次第にふさぎ込むようになっていきました。
渡邉幹夫さん
「あまり話をしなくなって、泣きじゃくって、どんどん落ち込んでいったように思います。」
ナレーション
原発事故からおよそ3ヶ月半後に一時帰宅した際、はま子さんは幹夫さんと離れたわずかな時間に自殺しました。遺書は残されていませんでした。
自宅の庭で野菜や花を育てるのが好きだったというはま子さん。毎日、手入れを欠かすことはありませんでした。
渡邉幹夫さん
「あんなに陽気な女房が、こんな死に方をしなくちゃなんないっていうことは、あの事故さえなければと、一番、悔やまれますね。」
ナレーション
幹夫さんと3人の息子は、「避難生活でうつ病になったのが原因だ」として、東京電力を提訴。慰謝料など9000万円あまりを支払うよう求めていました。
今日の判決で福島地方裁判所(潮見直之裁判長)は、「自殺と原発事故の間には因果関係があり、生まれ育った地で自ら死を選択した精神的苦痛は極めて大きい」として、東京電力に対して、合わせて4900万円の賠償を命じました。
自殺と原発事故の間に因果関係を認めた判決は初めてです。
判決でははま子さんが「自殺した直接のきっかけは、一時帰宅が終わって、再び避難先での生活が迫っていたことだ」と指摘しました。
その上で「安住の地となった山木屋の地に居住し続けたいと願い、そこで農作物や花を育て、働き続けることを願っていたが、このような生活の場を自らの意志によらずに突如失い、
終わりの見えない見えない避難生活を余儀なくされたことによるストレスは、耐え難いものであったことが推認される」
判決について、幹夫さんは
幹夫さん
「いちばんは「因果関係が大いにあり」、あのことばを聞いたとき、涙が止まりませんでした。ほんとうに自分たち家族にとって、寄り添った判決内容だったなと思います」
ナレーション
また弁護士は
広田次男弁護士
「このあとに引き続くであろう原発事故を原因とする賠償の裁判、これに対して先例として極めて大きな意味を持つ。このことは明らかであります。」
ナレーション
そして幹夫さんはこう訴えました。
幹夫さん
「東電側はきょうの判決文を真摯に受け止めて、謝罪してほしい、そういう思いでおります」
ナレーション
判決を受けて東京電力は「渡邉はま子さんがお亡くなりになられたことに心よりご冥福をお祈りします。今後、判決内容を精査した上で対応について検討してまいります。
判決が言い渡されたことは事実であり、引き続き、真摯に対応してまいります」とコメントしています。
キャスター
生活や仕事を失い、帰還の見通しがたたない不安を抱えつつ強いられた避難生活。判決はこのように死の間際にはま子さんが抱いたであろう絶望に、最後にあらためて言及しています。
他の被災者にも共通する精神的苦痛。自殺と原発事故の因果関係を始めて認め、賠償を命じた判決でした。
終わり