守田です。(20140415 07:00)

3月30日に奈良市民放射能測定所の開設1周年記念企画でお話した内容の起こしの3回目です。 今回は市民測定所の役割、今後に問われることを僕なりに考えてきたことをお話しした内容です。

なおこの講演録は、奈良市民放射能測定所のブログにも掲載されています。前半後半10回ずつ分割し、読みやすく工夫して一括掲載してくださっています。 作業をしてくださった方の適切で温かいコメント載っています。ぜひこちらもご覧下さい。

守田敏也さん帰国後初講演録(奈良市民放射能測定所ブログより) http://naracrms.wordpress.com/2014/04/08/%e3%81%8a%e5%be%85%e3%81%9f%e3%81%9b%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%ef%bc%81%e5%ae%88%e7%94%b0%e6%95%8f%e4%b9%9f%e3%81%95%e3%82%93%e5%b8%b0%e5%9b%bd%e5%be%8c%e5%88%9d%e8%ac%9b%e6%bc%94%e3%81%ae/

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「原発事故から3年  広がる放射能被害と市民測定所の役割  チェルノブイリとフクシマをむすんで」 (奈良市民放射能測定所講演録 2014年3月30日―その1)

Ⅱ.市民放射能測定所に求められることとは? ~提案として~ 今日は奈良の測定所の開設一周年ということで、演題としていただいたテーマは「広がる放射能被害と市民測定所の役割―チェルノブイリとフクシマをむすんで 」でした。 これにプラスして僕の旅の報告などを「自由に話してください」と言っていただいたのですけども、まずは測定所の役割について触れたいと思います。

先ほどの測定所総会で紹介された、この一年間行なわれてきたことの報告をふまえて、今、市民測定所には何が必要なのかということを、みなさんに提案の形でお話ししたいと思います。

【測定所の功績とかかえている課題・・・市民測定所は劇的な効果をもたらした!】

ひとことで言って、測定所はどこも運営が厳しいですよね。奈良の測定所が特別にそうだと言っているわけではなくて、全国的な状況です。細かく情報は押さえていないけれども、運営が困難でもう継続できないというところも出てきているみたいです。 この状況をどうとらえるのかということから話していかないといけないと思います。

まず第一に押さえるべきことは、100ヶ所を超える測定所が全国で立ち上がったことによって、劇的な効果が社会にもたらされたということです。

効果とは何なのかというと、家庭に入る食材を扱っている生産者あるいは流通業者の方たちが、放射能汚染物を減らしていこうという努力を強めたことです。 汚染物が見つけられてしまうからということもあるでしょうけれども、それだけではないでしょうね。それぞれの会社の中には、仕事に対して真剣な方とそうではないがいます。周りからの規制が強くなると、まじめに、真剣に安全な食材を提供しようとする人の方が社内で有利になるのです。 だから測定所がたくさんできたことで、やはり少しでも放射能の少ないものを通させていこうという動きが強まって、そのことで全般的な安全性が、非常に高まったと思うのです。僕はそれは、各地の測定所が作りだした社会に対する最大の貢献だと思います。

【具体的な事例・・・ 仙台の市民測定所『小さき花』】

具体的には、僕は例えば仙台の測定所の方たちに知り合いが多くいます。その中で「小さき花」という測定所はご存知ですかね。石森さんという方が運営しています。 この方は農民科学者です。彼はもの凄く研究熱心で、測定でもかなりレベルの高いことを行っています。 その石森さんは、当初、市販されている牛乳をぱかぱかと測りました。そうしたら最初の頃は1リットル当たり50ベクレルぐらいの放射線値が出てきた。彼はどんどんそのデータを公表したのですね。

彼は積極的に会社の名前を明らかにして公表するやりかたをとって、周りから「石森君、このままだと君、刺されるよ」などと言われながらも頑張りました。実は弁護士さんが、石森さんが訴えられたときには守るというバックアップ体制を独自に作っていたそうです。

そんな中で彼はどんどんデータを公表し続けた。そうしたら、公表された同じ銘柄の牛乳の放射線値が劇的に下がっていったのです。 石森さんが公表してしばらく経つと50ベクレルだったのが30ベクレルぐらいになって、さらに30ベクレルというデータを出すと今度は20ベクレルくらいになっていった。 つまり業者さんが対応したのだと思うのですね。 この場合、業者さんも汚染の中で生産者をどう守るかという発想の中にあったから、何か悪いことばかりを考えているように言ってはいけないところもあるとは思うのですけども、おそらく、どこの農場がより汚染されているかを知っていたと思うのですよ。 牛乳はあちこちから搾乳してきたものをブレンドしますよね。そのブレンドを変えて、50から30に下げることができたのではないか。

ともあれデータをどんどん公表したことによって、数値がどんどん下がっていって、今はもうほとんど検知されなくなっています。

これと同じようにあちこちで測定所が立ち上がることで、食材を提供するいろいろな会社が、放射能が出ているものを自分たちが提供してはいけないだろう、あるいはできないだろうということで自主的に規制をして供給するものの放射線値を下げていく努力を重ねるということがあったと思うのです。

「グリーンピース」が、「西友」などに「お友だち作戦」でアプローチして、政府よりも厳しい独自の基準を作り、放射線値を測って商品を出すようにするように促したケースもありました。 そういういろいろな努力が重なって、食材の安全性が高まったと思うのです。

【測定所は「裁く」ための機関ではない!・・・測定所が人びとを守るためにはらった苦労の一例】

苦労もいろいろありました。僕が聞いた話では…この話は表に出してはいけないということだったので、今でも場所や時期は言えませんが、ある測定所が行政の依頼である農産物を測ったのですね。 そしたらものすごく高い値が出てしまったのです。そのことに対してその農産物をを栽培している会社の社長が殴り込んで来たそうです。 ただし測定所の人を殴ったとかいうのではなくて、もっと悲惨で「次にお前のところでうちの会社の産品の値を出したら、俺はここで割腹自殺してやる」と言ったのだそうです。従業員一ケタの会社さんが存亡の危機に立ってしまっていたのです。

当の測定所の方たちもかなり苦しんだそうです。幾つかの測定所が集まって、こうした場合をどう考えるか話し合って、「測定所は業者を裁く機関ではないのではないか」という意見も出された。 そういう場合のデータ公開に対する考えにそれぞれの違いもあり、意見はすっきりとはまとまらなかったのですが、いずれにせよ、測定をすることで、追い詰められる小さな会社もありうることを頭に入れての運営が必要だということになりました。

もちろん「だからといって、それだけの数値が出ていることを明らかにしないでいいのか」という問いも出てきます。そういうせめぎ合いや苦しみがありました。

ある地域では、地下水から放射能が出たのです。調べてみたら、昔、沼地だったところを造成した土地で、地下に地上の水が浸透しやすいような場所だった。 地下水からはあまり放射能は出ないと思われていたので、ショックが大きかったのですが、この場合も、それをつかんだ測定所がかなり悩んで、結局、値を公表しなかったのです。 公表しないで口コミの形で、地下水を飲んでいる人たちに、飲まないようにというアドバイスを回していく方法を採った。

それが良い、悪いという意見がありうると思うし、明確な方針を持っている測定所の方たちもあると思うのですが、汚染の公表は、仕方によってさまざまな波及効果を持ちうるので、悩みがつきない側面があったのです。 そんな人知れない苦労がおそらくもったたくさんある中で、全体として、多くの測定所が人々の命、身体を守ろうと懸命な作業を続け、成果があちこちで積み重なっていったのだと思います。 そのことで間違いなく市民生活の安全度が高まったと思うのですね。

何より放射能にまったく関心がなく、まったく普通に、食材を買っている方たちもかなり守られました。 だから、市民測定所が作り上げた功績は、本当に計り知れないものがあると思います。

あるいは例えば奈良に測定所ができて、測定がされているから、この地域に汚染物が持ち込まれにくいということも間違いなくあります。

食材はあちこちを回っていますが、チェルノブイリ事故後のドイツの例で、測定所のないところに汚染物が入っていく傾向が強かったのです。 測定所があるところは不検出が続くのですよ。汚染物が入りにくいからです。だから不検出が続くこと、測り続けて安全性を確認していることには、実は明確な意義があるのです。

続く