守田です(20251102 16:00)

● 動画「京都御苑を歩く」をご覧ください

10月13日に京都御苑とその周りを歩く企画を行いました。シリーズ「守田敏也さんと歩く京都の隠れた歴史散歩⑤」です。京都文連のみなさんが主催してくださいました。
その動画を公開します。丁寧に字幕も入れ、現場で話しきれなかったことも補足していますので、当日の参加者にもぜひご覧いただきたいです。以下のバナーをクリックすると動画に飛べます。

京都御苑を歩く~幕末の足跡、天皇制の歴史を紐解く

● 御苑を歩きながら江戸時代の天皇制、幕末動乱、キリスト教との関係を解説しました

例えばみなさん。御苑の周りにキリスト教会がひしめいていることをご存知でしょうか?なぜなのでしょう?そんな謎を歩きながら解き明かしました。
このため御苑南の京都ハリストス正教会から、御苑を通り、同志社礼拝堂まで歩きました。

京都御苑を取り巻くキリスト教会

御苑の中では、江戸時代の天皇制についてレクチャーしました。南西角にある閑院宮邸跡など訪れましたがこの宮家が今の皇室の直径にあたることをご存知でしたでしょうか?

その江戸時代の天皇家、幕府に抑えられっぱなしーと伝えられてきましたが、実は最近、その評価が大きく変わりつつあります。
もともと「天皇家を幕府が抑えつけていた」というのは、薩摩ー長州が明治維新肯定のために作り上げた史観でしかなくて、最近の研究で実際はそうとばかりは言えなかったことが示されています。

例えばちょうどいま、大河ドラマ『べらぼう』が放映中で、浅間山の噴火などに起因する天明の大飢饉と、その結果としての江戸と大阪での打ちこわし(米屋や商家が対象)が描かれていました。

守田の同日の説明図より

しかしドラマでは描かれませんでしたが、京都では打ちこわしが起きなかった。代わりに御所に人々が集まり、救済を願うデモが起きたのです。
その数7万人。これに対して御所から3万個のリンゴが配られ、公家からも握り飯などが振舞われたそうですが、そうなると出店も増えだす。その数600軒とも。
まるでお祭りのようになってしまったのだとか。それを御所千度参りと呼びます。

御所千度参り 図はネットから

● 尊皇攘夷とレイシズムのつながりを考えました

ただそのことで御所の位置、天皇の位置がどんどん上がっていき、それがやがて幕末の「尊皇攘夷(そんのうじょうい)」に結びついてしまいました。
僕はこの「攘夷」とはレイシズムだったと思います。今とは違う文脈があるけれども、その攘夷の主力だった薩長の侍たちが明治政権を作り、戦争に次ぐ戦争の中に突入していったのでした。

幕末、京都は炎上しました。でも京都を燃やしたのは「夷狄(いてき)」ではなかった。天皇に直訴せんと武装して御所に殺到した長州藩士と、それを迎え撃った会津藩士、薩摩藩士などが戦闘の中で京都を燃やしてしまったのです。
そしてその焼け跡となった京都の復興に、「夷狄」がもたらしたキリスト教に感化されたクリスチャンの方たちが大活躍した。だからこそ御所の周りに教会がひしめいているのです。その象徴が同志社です。

禁門の変(蛤御門の変) 図はネットから

この日はそんなことも胸に秘めながら、まずはじめに御苑の南にある京都ハリストス正教会を訪れ、そこから北上して堺町御門から御苑に入り、閑院宮邸跡を訪ね、北へ向かい、「禁門の変」で有名で往時の弾痕の残る蛤御門を訪れました。
さらに御所の横を歩いて御苑を抜け、同志社大学今出川キャンパスに入って同志社礼拝堂まで行きました。
なおこの日は同志社キリスト教文化センター長の和田喜彦さんも同行してくださりコメントもしてくださいました。これまた必見です。

京都の隠れた歴史をみんなでたっぷり学びました。ぜひご覧ください!

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