守田です(20250712 23:00)
前回の記事でもうすぐ迎える7月16日が、1945年に人類初の核実験が行われ、アメリカの多くの人々が被爆されられた日であることを述べました。
今回は1979年のこの日にあった恐ろしい核災害のことについて述べます。
● 環境人種差別によってこの災害が起きた
1979年7月16日、アメリカニューメキシコ州ナバホネーションのチャーチロックにあったウラニウム製錬所で、放射能汚染水などを貯めこんだアースダムが決壊しました。
1,100トン(1,000トン)の固形放射性工場廃棄物と9,400万USガロン(360,000㎥)の酸性放射性鉱滓溶液が近くのプエルコ川に流れ込みました。
それらは75マイル(120キロ)以上下流のアリゾナ州まで流れ、多数のナバホのコミュニティーとニューメキシコ州ギャラップ市を通過。ナバホネーションに大変な被害をもたらしました。

ナバホネーションの首都があるウインドウロックにて 2019年7月15日 守田撮影

チャーチロック遠景 なるほど、教会のような形をしている 2019年7月16日 守田撮影
とても酷い核災害でしたが、ダム決壊の原因は、工場を運営する会社が経費削減のためにダムを強固に作っていなかったことにありました。
また先住民族に対する差別意識からも、ダムを杜撰に作っていたのです。環境人種差別によって、深刻な汚染が生じてしまいました。私たちはこの災害のことを決して忘れません。
私たちは工場を運営していた会社(GE)とアメリカ政府に強く抗議します。両者はただちにクリーンアップを実行するとともに、ナバホ(ディネ)の人々に補償を行うべきです。
私たちは1945年の人類初の核実験と、1979年のこの恐ろしい核災害の犠牲者を追悼し、被害者への補償を核の廃絶を訴えて、四日後の16日水曜日、午後6時から7時半まで街頭行動に立ちます。
京都市三条河原町街頭にてです。お近くの方ご参加下さい。遠くの方、Facebookでlive配信するので視聴の形でご参加下さい。
● 最初のヒバクシャは先住民族の方たち
この事故の背景をなすのは、1944年、原爆製造計画=マンハッタン計画が動いている時に、ナバホ・ディネ、そしてホピの「居留地」から次々とウラン鉱が発見され、発掘されだしたことです。
広島・長崎に投下された原爆に使われたウランは、ベルギー領だったコンゴやカナダから持ち込まれたものでした。
ニューメキシコでのウラン発掘は、第二次世界大戦が終わり、ソ連との核兵器を向き合わせての「冷戦」が始まるや、どんどん拡大、1000以上もの採掘場が作られ、精錬工場も建てられました。(今はほとんどが廃坑)
そこで劣悪な労働に従事したのも、多くはナバホ・ディネの方たちでした。そんな中で起こったのが、1979年の大量のウラン精錬工場から出た汚染水の川への流出だったのです。
1979年というと何かに気づかれる方もおられるのではないでしょうか?そうです。この年はスリーマイル島原発事故の年です。
このためチャーチロックの事件もさぞや注目が集まったかと思いきや、そんなことはなかった。先住民族の地だからでした。明らかなる人種差別が横たわっていたのです。

多くのウラン鉱は周辺環境にとって最悪の露天掘りだった ナバホネーションのレストランの壁に貼られていた写真 2019年7月16日 守田撮影
前回の記事で僕は人類初の核爆弾によるヒバクシャがアメリカの方たちだったことを述べました。
しかし最初のヒバクシャはというとその核爆弾を作るためにウラン鉱を掘らされた人々でした。世界各地にウラン鉱があり、僕はいまそのどれが一番最初かまで突き止めていませんが、その多くが先住民族の土地でした。
だから最初のヒバクシャは各地の先住民族の方たちなのです。核開発は先住民族の犠牲の上にのっかって走り出した。人種差別の上に乗って進んできたのです。このことを問う思いも込めて、716鉱滓ダム決壊事故を問います。

ウランは地中においとけ! 2019年7月16日 鉱滓ダム決壊事故を糾弾する集会の一幕 守田撮影

ナバホ・ディネの方たちを中心としたラリー 2019年7月16日 守田撮影

今年の現地集会のFlyer 7月19日開催
● ナバホ・ディネと日本のつながり
ところで僕がここでナバホ・ディネと書いているのは、ナバホという名がもともと当事者が使っていた名ではないからです。アメリカ連邦政府による名なのです。(もともとはスペイン語)。当事者の方たちはディネと自分たちを呼んでいます。
ナバホの方たちはアメリカ先住民族の中でも比較的人数が多いのでアメリカで、あるいは日本で、出会うこともあるかも。そんな時は「ディネの方ですね」と声掛けして頂くとよいかと。
そのナバホ・ディネの方たちが実は日本と悲しい縁があることも知って下さい。コードトーカーのことです。
第二次世界大戦の最中、太平洋を主戦場とした日米戦争の中で、両軍は暗号の解読合戦を行いました。その時、日本の軍事情報はほぼ筒抜け状態でした。これに対して米軍はナバホの言葉を暗号としたのです。
ナバホの人々も自分たちの土地を守らんと対日戦に参加しましたが、米軍はナバホ以外のアメリカ人にもこの言語を理解することが難しいことに着目し、あらゆる軍事命令をナバホの人にやりとりさせ、それを英訳して伝達したのでした。
この作戦に従事した人々をコードトーカーと言います。「暗号を話す人」というほどの意味です。コードトーカーはアメリカ政府によって賞賛され、ナバホネーションにいまも銅像が立っています。
しかしこの作戦に加わったナバホの長老は、太平洋諸島で日本兵と至近距離で向かい合ったとき、「後ろにいる白人たちよりも敵である日本人のほうが自分たちと外見が似ており、親近感を覚え動揺した」と語ったそうです。
この情報はエリコ・ロウ著『太ったインディアンの警告』NHK生活人新書に載っているそうです。僕はこの書をまだ読んでなくて発注中なのですが・・・。ともあれなんとも悲しくなる情報です。

ウインドロックのナバホ議事堂の前に立つコードトーカーの像 2019年7月15日 守田撮影
● 世界のヒバクシャとともに歩もう
そのナバホネーションに2019年に玉山ともよさんに導かれて訪れたのでしたが、その時、玉山さんを実の娘のように遇して下さっている女性と話をしました。
それで僕が「僕は被爆二世です」と語ったら、僕の手を両手で包み込み、目にいっぱい涙を浮かべて「アイムソーリー、ベリーソーリー」と言ってくれました。僕は「でもあなたたちの方がファーストヒバクシャですから」と語りながら、泣きそうになりました。
実はトリニティサイトを訪れた時も同じような経験をしました。ビジルに先立ってアラモゴードの町で行われた犠牲者の方たちの40人ほどの集会で、みなさんがそれぞれに次々と家族の被害を語りました。
「先日、兄ががんで他界しました」とか「私の娘は若くしてがんになりました」など。それで僕の順番の時、「僕は京都の被爆二世三世の会のメンバーです。ここにいるとみなさんが家族のように感じます」と語ったら割れんばかりの拍手に包まれました。
その後の発言が劇的に変わったのです。みなさん、相変わらず「私の家族はほとんど死に絶えました」とか言うのですが、そのあとに「だけど守田さん。ごめんなさい」との一言がつく。どの方もそうなのです。「だけど守田さん。ごめんなさい」・・・・。
それで分かりました。アメリカの核の犠牲者は、最も酷い犠牲を受けたのが広島・長崎の被爆者だと思って下さっているのです。そしてアメリカ人として責任を感じて下さっているのです。この時も泣きそうになりました。
僕は本当に「ああ、この人たちと共に生きるのだ。世界のヒバクシャと共に歩むのだと」と思いました。そしてそれから6年。僕は京都「被爆二世・三世の会」の仲間たちとともに、被爆二世の健康実態の報告書をまとめ、英語版も作りました。
今回、それを再度、アメリカに渡航している玉山ともよさんに託して現地のみなさんに渡して頂きます。ほんの少しかもだけれど確実に一歩前に進めたと思っています。世界のヒバクシャと被害実態とその治癒の展望をシェアしていくのです。
7月16日はそんな思いも込めて街頭に立ちます。みなさん。核なき未来は世界の人々の連帯と団結でこそたぐり寄せられます。だから世界のヒバクシャとともに歩みたい。あなたもこの輪に加わって下さい。

アラモゴードでの犠牲者家族の集会より みなさんが口々に「守田さん、ごめんなさい」と 2019年7月20日? 守田撮影
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