守田です(20250507 23:00)

● 5月10日(土)午後は村田三郎さん講演会へ!

すでにお知らせしたように5月10日(土)に京都「被爆二世・三世の会」2025年度年次総会を開き、記念講演で阪南中央病院の村田三郎医師をお招きします。

京都市西院のラボール京都第12会議室とオンライン(ZOOM)でのハイブリッド開催。
午後2時30分~4時30分です。参加費無料です。オープン企画なのでどなたでも参加できます。

主 催 京都「被爆二世・三世の会」 http://aogiri2-3.jp
お申込みは以下から
https://forms.gle/89B1CrYEjCTCXZMt6

詳しくは以下からチラシをご覧下さい。
https://toshikyoto.com/event/9376.html

● 村田三郎さんインタビューをご覧下さい。

これに向けて村田さんに守田がインタビューさせて頂きました。

これを全文文字起こししましたので掲載します。動画と共にご覧下さい。なお当日の撮影と文字起こしを京都「被爆二世・三世の会」会員の柳田かや乃さんが担い、動画と文字起こし文章の編集を守田が行いました。

● 村田三郎さんへの守田敏也のインタビュー全文

守田 
みなさんこんにちは。守田敏也です。今日は大阪の松原市の阪南中央病院に来ています。
今年度の京都「被爆二世・3世の会の年次総会に記念講演としてお呼びする村田三郎さんを訪ねています。村田三郎さんは阪南中央病院で、沢山の医療行為をされて来られたのですが、特に被爆者、被爆二世、水俣病患者さん、被曝労働者、そしてお話を聞いたら福島原発事故の避難者、そういう方も含めて治療をされ、さらにいろんな支援も続けて来られました。その中で思うこと、三田茂医師が積極的に福島原発事故で被災した方たちを「新ヒバクシャ」と命名して治療を開始していますが、そこにも触れて思うところをお話頂こうと思っています。今日は前宣伝で、村田さんがどんな話をされるか、皆さんに知らせたくてビデオ撮りしています。それでは村田さん、よろしくお願いします。

村田 
阪南中央病院の村田です。よろしくお願いします。守田さんからこの題で講演をということで、非常に光栄に思っています。

守田 
ありがとうございます。

村田 
私は医者になってから、もう53年になるのですけれど、この問題に関わってきてから50年になります。
もともと高知県の出身で、子どもの頃にビキニの核実験がありました。第五福竜丸が被爆をしたのですけれど、高知県は鰹漁船がたくさんこの近辺に航海していまして、沢山の方が被爆したのです。
そのようなこともあって、子どもの頃から、平和、核実験や原水爆禁止の問題とかに関心がありました。親の教育の影響もありましたが。

守田
お父さん、お母さんが教職員組合で頑張られたと。

村田 
両親は教師で、子どもの時から平和運動、平和行進とかがあったのですけれど、そういう時に学校の授業をさぼって、こんなこと言ってはいけないのですけれども、一緒に参加して平和行進したりしました。
ということで、ちょっとそういう教育もあってですね、大学は大阪大学に来たのですけれど、ちょうど学生運動とかが活発だった時期で、当時、ヨーロッパで中距離核ミサイル配備問題とかがあって、関心を持ちました。
核兵器の使用と地球の人類の破滅の可能性、「人類の存続に相反するものである核を禁止しなければ人類は破滅する」という議論がすごくされた時期だったので、子どもの時からの記憶もあって、平和運動に関わるようになりました。
それでこの病院に来た頃に、ちょうど原爆被爆者の健康診断をここの病院はやっていましたので、それに関わるようになりました。ちょうどその頃は被爆40年ですか、それに近い時機でしたので、被爆者の方々が、被爆者援護法を求めて・・・。

守田 
そうですね。まさに被爆者援護法を政府に制定させようと向かっていった時ですね。

村田 
そういう時代だったのです。ところがこの被爆者援護法の要求に対して、国は「受忍論」とかと言い出しました。「原爆の被爆も含めて国民全体が受任しなければならない」というのです。国の始めた戦争によって被爆を受けたわけですけれども、それに対する国家補償をしないというのが国の政策としてあったのです。
それに対して被爆者には被爆後40年経っても、健康被害が起こっていて、それに基づいて生活を破壊されて、働くこともできない二重三重の苦しみを味わっていることが、診療の中で分かりましたので、国に援護法を制定させる運動の一端に、自分は医療の立場から加わることが出来るということで、被爆者の実態調査というのをさせて頂きました。
その中で被爆者の方々がガンや白血病だけでなくて、高血圧とか心臓病とか脳梗塞だとか糖尿病だとか、いろんな病気に被爆者の方がたくさんかかられているということが実態調査で分かりました。
私が特に気になったのが、言葉は悪いのですが「原爆ぶらぶら病」という状態がありまして、この人たちは「病気ではない」と言われて、あちこちたらいまわしにされて、結局はそのまま放っておかれるみたいな状態が続いていたこともあって、ガン、白血病以外の一般の病気と「原爆ぶらぶら病」についてはやはり見逃すことはできないということで、診療の中で、少しでも支えられるようなことができないかなとやって来たわけです。

守田 
聞き取り調査は1200人されたと。

村田
大阪と広島、長崎まで。被害者団体の協力を得ながらですね。うちの職員にもたくさん協力してもらって、マンツーマンで聞き取り調査をしました。他の病院ではあまりできないそういうことをやらせてもらって。

守田
この調査の記録をさっき見せて頂きましたけれど、まさに「原爆ぶらぶら病」、三田茂医師が「能力減退症」と初めてこれに診断名を初めて付けられましたけれども、その様々な症状の聞き取りをこんなにもされていらっしゃったのだなというのを知りまして、驚くと同時にとても感動しました。

村田 
三田先生がその病名を付けられて、ホルモンの関係とかを、色々な研究、診療の中で解明して、ホルモン補充療法とかをされておられますね。それが劇的に効いた方もいるし、なかなか効かなかった方もいらっしゃるかと思うのですけれど、ホルモン補充によって、その方の不定愁訴だとか、気持ちの問題だとか、ストレスだとかと言われた病態、病状を改善することが出来た。私としては三田先生のやって来られたことについては非常に意義があるし、感銘を受けました。

守田
さっき見せて頂いた当時の説明資料で、もう村田さんも中枢神経系の問題だということに気が付かれていたわけですね。

村田
ホルモンとかね。免疫の関係で起こっていることだろうということは。
当時のいろんな研究では議論されていたけれど、それが40年経っても無視され、放置されていた病態だったのですけれど、それをね…

守田
そのころから、小沼十寸穂 (ますほ)さんの「間脳症候群」とか、そういうことに注目されていたのですか?
注:小沼氏は精神科医、後に日本精神神経学会会長も務められた。「原爆症後遺症としての間脳症候群」などの論文がある。

村田
そうですね。都築正男先生の論文も拝見して、興味というか関心はあったのですけれど、なかなか病院の仕事として、それをちゃんと検査して治療するところに結びつかなかったのですけれど。
注:都築氏は東大名誉教授、戦中は陸軍軍医少将。「原爆症研究の父」と呼ばれる。1945年8月30日より広島に赴いて研究、しかし11月にGHQが原爆に関する研究発表を禁止したことに反発、それを理由に1946年に公職追放となり、東大退官を余儀なくされた。原爆症に関する多数の論文がある。

守田 
というか、当時そこまでホルモンを測るのは難しかったのですよね?

村田
そうなんです。

守田 
ものすごい高額で。

村田 
高額の医療費がかかったのと、それから沢山の方のその検査をやるとですね、病院の性格上なかなか難しいことがあったのです。三田先生はそれをご自分の診療所で、医院として責任をもってやられた。大きな仕事だと思います。
実は被爆者だけでなくて、それとはまた別に福島原発の下請け労働者、原発労働者の調査もさせて頂きました。現地の方、原発反対同盟の方ですね、その方と協力して、これまた100人余りの聞き取り調査をさせて頂きました。

それで実にびっくりしたのは、被爆者の症状と、原発労働者の症状が、全く一緒だということが分かったことでした。これまた「ぶらぶら病」という形で、当時の近くの先生方に診てもらっても「これは病気じゃない」「病名が付けられない」と言われました。
ある所へ行ったら「心臓の専門の先生のところで診てもらえ」「糖尿病のところで、ホルモンのところで診てもらえ」と、どこに行っても病名が付かないので、たらいまわしになっていた。
それで結局は働けなくなって、家でお孫さんの世話をするとかしていましたが、お孫さんの世話をしていても、一緒に走ってもついて行けないとか、そういう実態があった。
その場合、被爆(被曝)の形態は、広島・長崎は1回の被爆だけれど、原発労働者は比較的少量だけれどずっと何年も続けているわけです。でも被爆(被曝)は、かたちが色々違っても、同じような症状がでてくるのだということも分かりました。

村田三郎さんのパワポより

守田 
同じ症状なのですね。

村田
それが分かったのです。

守田
この点もさきほどグラフを見せていただいて、すごく驚きました。これはもう大事なグラフです。みなさん。5月10日にはこれが見られます。是非見て頂きたいです。

村田 
そんなこともあって、被爆者のかかっている病が、原爆とか放射線が起因した病気だと認めさせる「原爆症認定」とか、被曝労働者だったら労災認定とか、そういうことを勝ち取ることに軸足を置くようになって、「原爆症認定」を30人余り実現しました。

守田
30人も!!

村田
はい。それから原発労働者の場合も、少なくとも2人、私の診断書のもとに労災認定を勝ち取りました。
これには周りの運動の力も勿論あったのですけれど、診断書を書く医者がほとんどいなかったので、私が書かせて頂いて、日本では初めて白血病以外の血液関係の病気で多発性骨髄腫という病気と悪性リンパ腫という病気、この2つの新しい認定疾病を勝ち取ったのです。

守田
素晴らしい!

村田
その後はその病名で労災認定される方もたくさん出てきました。現在もそれもぼつぼつ出ていますね。

守田
みなさん、ここはですね、先ほどものすごく驚いたことがあります。その一人の方が福島原発2号機などで、プルトニウムなどに被曝された長尾さんという方なのです。
その長尾さんの労災申請を村田さんがサポートして下さったのですけれど、その時にそれを受けて「これは被曝要因である」、正確に言うと「被曝要因であることを否定できない」という所見を書かれた医師がおられるのですが、それがK先生とおっしゃって、丹波篠山の原子力災害対策検討委員会の件などで、僕が大変お世話になってきた方なのです。
僕もそのK先生から「実は私は原発の中で被曝した方の所見を書いたことがあるんですよ」と聞いていて、それでさっき村田さんに「この方が労災認定を受理されたことをご存知ですか」と聞いたら、「それは私が書いた申請書です」とおっしゃられて、すごく深いつながりを感じました。なんかだか「嬉しいなあ」と思いました。

守田 
講演の時には自由にいろいろとお話をして欲しいのですけれど、今日のこのビデオ撮りでは、最後にもう少し三田さんの行っている実践に対しての、村田さんの思い、みたいなものを話して頂ければと思います。

村田
先ほどもちょっと言いましたけれど、私が病院の中で一つの制約があって、「原爆ぶらぶら病」とかいう病気はホルモンの関係とか免疫系の病気であって、普通の病気として捉えられるべきだと考えていたのですけれど、それ以上のことが進められなかったのですね。
ところが三田先生の場合は、ホルモンを調べたり、副腎皮質ホルモンとか、脳の方のホルモンを調べて、それがやはりちょっと足りないのじゃないかということを医学的に証明され、それを補充することによって症状が良くなるのではないかということを試された。試した結果、劇的に良くなる方が結構いたということで、それは私が考えていたその理論的なところを、先生が臨床的に解明され、それを治療に結びつけたということで、「病気ではない」と言われていた人たちが、本当に自信をもって生活し、仕事に出ることが出来るようになったわけで、とても素晴らしいことだと思います。
福島の原発事故のあと、いろんな症状が出られた人をも含めて、そういう方が是非ともそういう「ぶらぶら病」に類似した、「能力減退症」と三田先生が言われ「新ヒバクシャ」と言われていますけれど、そういう方々ができるだけ普通の生活に戻れるような治療と言うか、関わりを今後も是非ともやって頂きたいなと思います。

それが被爆二世の方も含めて、やはり同じようなことが起こって来ているのではないかと思うところがありますので、それは少し、今度の話の中で結び付けることができる、それも変な結び付け方ではなくて、私の臨床的な体験から言えるのではないかとと思いますので、そこをつないでお話ができたらと思います。
もう一つ大事なことは、原爆の問題と同時に私は水俣病の問題を担ってきたのですけれど、公害問題とか被爆(被曝)の問題で、やはり政府とか御用学者の人たちは被害を無いものにしてしまおうとして、難しい理論とか、単純な理論のようで難しい考え方を持って来て、ヒバクシャを無きものにしようとしています。その点の構造がよく似ているので、それについても時間があればお話させていただければと思います。

守田 
はいどうもありがとうございました。
皆さんそういうことで、5月10日、ラボール京都というところで午後の時間 (午後2時半から4時半)で行いますけれど、同時にzoomでも配信しますので、全国からでも参加できます。是非聞いてください。

以上でした。村田さんありがとうございました。

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