守田です。(20120712 23:00)
毎日いろいろなことが起こり、いろいろな出会いがあり、いろいろと論じるべきことが増えて、なかなか追いつかないのですが、再び、7月1日を軸とする大飯原発再稼動反対現地行動に戻ってみたいと思います。僕はここで実現されたことは、今後の運動の雛形になると思っています。だからこそ何度でも振り返り、論じ、その意義を深めていきたい。
今日は、やはり山水人のMLから、現場からの発信を続けていた「いっぽんの心」さんの連続メールを紹介します。
またその後に、現場をきちんと記録しようと、ビデオをまわし続けてくれたヒデヨビッチ・上杉さんの同じMLへの投稿と、ビデオを紹介します。まずはご覧ください。(ヒデヨビッチさん、事後承諾をお許しください。)
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いっぽんの心さんの連続投稿
6月30日午後8時41分
最前線 大飯原電前は 強制撤去に向け 警察隊がどんどん投入され せめぎ合いの中 緊迫しています 逮捕覚悟で原電前に車で封鎖している連中など冷たい雨の中 まじな状況です 皆の再稼働反対の声が 響いています
7月1日午前9時13分
大飯原電 敷地内 真っ只中にいます 続々と集まって来た 人々 三百人以上の感じでしょうか 冷たい雨に打たれ 車で休憩をとりつつの 動きです多数決の国に生まれ いまはマイノリティでも このムーブメントが大多数に向かって欲しい いま機動隊に動きがあったようです 逮捕者 怪我人がないように
7月1日午前9時28分
いま 大飯原電所長宛の申し入れ書が読み上げられています いまは若干落ち着いています ここにいる 皆は 同じ 思いを共有する人と共にあります
7月1日午後6時28分
警察隊による 座り込みの人 一人一人を 抱え込みによる 撤去が始まりました 我々の叫びは 暴力反対
7月4日午後6時26分
リスペクト びんさん 戦争も命を奪い 放射能もじわじわ 長年に渡り命を奪う 大多数の人々が 原発反対を表明すれば 当然 止まります 恐ろしい事故が起こらぬよう 祈りながら 原発反対の連鎖反応を加速して行きましょう 青い鳥
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ヒデヨビッチ・上杉さんの投稿
ヒデヨヴィッチ上杉(ジェロニモレーベルの)です。現地へ、ともかく現地へ…!再稼働を本気で止めようと、全国各地の人がゲート前に駆けつけた6/30~7/1の2日間を、超コンパクトに動画化しました。見てもらえると嬉しいです。(この人あの人…の姿も見れます!)
★俺が見た大飯原発オキュパイ
http://youtu.be/RPAR_adQEzo
あの二日間、僕は注意深く「いつでも逃げられる」ポジションに居ながら、できるだけ記録を残そうと思ってビデオ回してました。
あと、祖牛さんにジュースの差し入れもらったりクルマの中で雨宿りしながら、ツィッターで拡散しまくってました。
再稼働は止められなかったけども、強制排除が始まった後にもどんどん応援の人が駆けつけてくるのを見て、俺はものすごく希望を感じた。
ヤラれたけども、決して負けてないと思います。「奴らの終わり」は確実に始まっている。
がんばっていきましょう!
投稿の引用は以上
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さて、僕なりにこの大飯の現場の行動の意義をまとめてみたいと思います。すでに(中)で紹介したnonukesdirectactionさんの考察にもあることなのですが、僕は何よりもこの行動が、非暴力不服従の精神で行われたこと、それを見事に体現するものとしてあったことが素晴らしいと思います。
そしてそれが可能だったのは、ここに集まったほとんどの人々が、理不尽な政策に抵抗はするけれども、けして暴力は使わないという考えを、それまでの生活、行動の中で培っていたことだと思います。現場でにわかに考えられたのではない。そうではないくて、そうした思想性で生きてきた、踊ってきた、音楽を奏でてきた、だからそれが自然に発露したのだと思えます。
同時にきれぎれにやってくる報告、写真、動画を見ていて本当に感心したのは、現場がナチュラルリーダーはいたけれども、軍隊のような指揮官がいたわけではなく、それぞれが個別に判断して動きながら、一つの見事な動きを作り出していたことです。やはりこれはここに集まった方たちが、これまで祭りやコンサート、そしてまた市民集会を自主的に作り出してきた方たちで占められていたことが大きいと思います。だからみんな自然に動いていて、まるで一つの有機体のような調和があった。これもまた素晴らしい。
もちろん同じことが数千、数万でできるとは思いません。これほど見事に考え方やセンスが一致することはないだろうからです。それでもこの現場が今後の雛形につながると僕が思うのは、その底流に流れているのが、暴力に関するそれぞれの考察の一致だと思います。いや「考察」というと硬いかもしれない。生活感覚となった非暴力、生活実感まで降りた、人や生き物を慈しむ心、そうした思いが、あの行動には共通のものとして貫かれていたように思えるのです。だから参加した誰もがすごい解放感を味わった。自分たちの思いをみんなで体現しえた興奮があの場にはあった。
ここでぜひとも論じておきたいのは暴力の問題です。あるいは暴力と正義の問題です。なぜか。私たちの生きている社会は、実は暴力がかなり正当化されている社会だからです。例えば警察官の存在。彼ら、彼女らはピストルを持っている。手錠を持っていて相手を拘束もできるし、いざとなれば監獄という暴力装置も持っていて、そこに人を暴力的に押し込めることもできる。まさに警察は暴力装置です。
さらにもっとものすごい暴力が私たちの国にはある。自衛隊です。最新鋭の武器をもち、常に人殺しの訓練を行っている。それを税金を使ってどうどうと行っているのです。しかもその背後には米軍がいる。米軍は世界中で、実際に繰り返し人を殺し、町を破壊し、劣化ウラン弾で大地を汚染しまくっています。その米軍に私たちの国は基地を貸与し、莫大なお金を与え、人殺し活動をバックアップしているのです。まさに私たちの国は暴力にまみれています。
ここまで来ると、ちょっと待ったという声が出てくるかもしれません。市民運動を警察が抑圧するのは反対だけれども、例えば強盗を捕まえるのは正義ではないだろうか。悪人を監獄に入れるのも必要なことではないだろうか。そうしないとそれはそれで市民の生活が守られないのではないか。・・・みなさんはどう思われるでしょうか。
非暴力論はこの問いに答えなくてはならない。そうでないと足元をすくわれてしまいます。同時に、「暴力反対」という人の中でも、警察官の「悪人」に向けられる暴力には、概して疑問を持たない人が多いことも見ておかなければなりません。だから非暴力論は思想的に高められなくてはならない。
ちなみに正義の暴力はあるのかどうか。僕はそれはありうるし、多くの人が、実は当然のものと認めているものだすら言えると思います。前述したように、犯罪者の身柄を拘束することなど明確な暴力の行使ですが、これに反対する人はほとんどいません。
では民衆の抵抗ではどうかと言うと、歴史を振り返っても、やむにやまれる抵抗はたくさんありました。日本軍に侵略されたアジアでの抵抗、アメリカ軍に侵略されたベトナムでの抵抗など、どれも銃器を使った暴力の行使でしたが、これに多くの人たちが共感し、支援したのが歴史の事実です。
それらをつきつめていくと、前述の暴力の行使も含めて、多くの場合、社会が容認するのは「正当防衛」としての暴力の発動だと思われます。目の前で赤ちゃんが暴漢に襲われようとしていたら殴り返してはいけないのか・・・と問われて、反論できる人は少ないと思います。(無論、しっかりと反論できる思想を持った人たちはいるのですが、今はそれを横においておきます)
「正当防衛」とは何か。それをしなければ自らが危機に陥るときの緊急回避行動です。これをどう捉えるか、歴史が進むにしたがって考えが変わっていくだろうし、僕は変わっていくことをのぞんでいるのですが、少なくとも今は基本的人権そのものとして認められていることだと思うし、それが社会の合意だと思います。
だとすれば私たちにも、「正当防衛」としての暴力を使う権利があることになる。実際に私たちにも現場で悪漢をおさえる逮捕権があります。悪者に対しては暴力を振るっても少なくとも法的には許されるのです。そしてそうである限り、その暴力を行使しようという人たちも出て来うると思います。その場合、それがこれまで社会的に語られてきた正義の範疇に入りうることを私たちは知っておかなくてはいけません。暴力を使うことを主張する人たちを、すぐに「運動の破壊者」だとかなんとか言う人たちがいますが、それは「正当防衛」論の範疇からは正しくありません。
では「正当防衛」ならば何でも認められるのか。言葉を正しく使うと、「正当防衛」ならば、何でも認めているのが今の社会です。僕自身はそこを越えたいと思ってこの文章も綴っていますが、少なくともそれが人々の権利であることが合意されているのです。
ところがここが非常に重要なのですが、ではある暴力の行使が「正当防衛」であるとは誰がどのように認めるのでしょうか。実はここが非常に難しい。現実には、つまりある暴力行為が正当防衛であったかどうかは、現場の細かいシチュエーションの把握、ふるわれた暴力の種類、それが本当に不可避の道だったのかなどが細かく検証されて判断されます。つまり「正当防衛」とは即断できるようなものではないというのも、今の私たちの社会の合意でもあります。
にもかかわらず、世界大に問題をずらしてみると、この「正当防衛」と言える線が現実には常にあいまいで、そこに大きな問題があります。確かにやむをえざる緊急回避としての暴力が容認されざるをえない場合はあるにせよ、多くの場合、「正当防衛」の名の下にすぐに暴力が容認され、過剰防衛と言えるような事態が頻発しているのが私たちの世界の現実です。
そもそも戦争がそうです。これまで起こった世界の多くの戦争において、しばしば戦争当事者が掲げたのが「正当防衛」でした。ただの一つとして、「われわれは自らの利益のために侵略を行う」といって行った戦争は(少なくとも近現代においては)ないと思います。つまり「正当防衛」という名の下に、もの凄い暴力が繰り返し肯定されてきてしまったのです。
その中でも最大の暴力が、僕は原爆の投下だと思います。重要なのはアメリカは今もこれを、戦争を終結に導き、何十万のアメリカ兵の命を救った正義の行いだったと言っていることです。これもまた「正当防衛」論の延長です。それに対して日本政府は抗議を行ったことすらない。そのために「正当防衛」のためなら原爆を投下することまですらが、私たちの世の中で肯定されているのです。
これは日本軍が行った南京虐殺との大きな違いです。僕は南京虐殺も、原爆投下もともに許すことのできない戦争犯罪だと思っていますが、南京虐殺に関しては誰もそれが犯罪であることを否定していません。論議はその南京虐殺があったかなかったのかという点で行われているのです。なかったなどというのは歴史を著しく歪曲する主張ですが、少なくとも「あれは正義だった」と公言する人物は存在しません。
ところが原爆は、投下の事実が争われることなどない。その意味では、南京虐殺はそのものを正しいという人物がいないことに対して、原爆は今も正義だと言われ続けているのです。そしてアメリカ大統領は、いまだに核ミサイルの発射権限を持ち続けています。
ここから僕は、正義の暴力論、正当防衛論は再考されなければならないのだと思うのです。だから私たちはあらゆる暴力を問い直していかなくてはいけない。そしてその中には社会に構造化された暴力も含みます。自らが手を下さなくとも、私たちはしばしば、むごい暴力の発動に協力させられてしまっている。あるいは物理的暴力は発しなくとも、言葉を通じた暴力、支配関係の創出、他者の排除など、さまざまな暴力の発動の場に、しばしば私たちは巻き込まれ、ときにその当事者になってしまっています。
もうそんなことは嫌だ、そんな世の中はごめんだ、あらゆる暴力を私たちはみたくない、あらゆる暴力に参加したくない、だから人を愛すること、自然を愛すること、慈しむことに徹したい・・・。今、私たちの社会の中にはそんな思いが非常に強く沸き起こってきているのではないでしょうか。その思いが、あの福島原発事故以来、強く私たちの胸のうちを突き動かしているのではないでしょうか。
なぜか。この原発事故そのものが、暴力の象徴であるからです。心ある人が繰り返し危険を叫んできたのに、学者やマスコミがそれを押さえ込んできた暴力構造、周辺の人々が本当は怖いとも思っているのに、たくさんのお金でそれを押さえ込んできた暴力構造、そうして事故が起こるや否や、命を守るための情報が隠され、人々があたら被曝を強制された暴力構造、今もその暴力は、高線量地帯が「安全」だと繰り返し宣伝され、財政的な措置もまったくとられずに、多くの人が被曝を続ける生活のままにおかれていることにも如実にあらわれています。
ところがこうした社会の暴力化に対して、私たちはもう随分前から、違う道を行き始めていたように思えます。経済戦争とかもしたくない。出世競争で人を蹴落とすような暴力も嫌だ。もっと違う、心の豊かな暮らしをしたい。そんな思いから、最近、私たちの中には、高度経済成長期の反対をいくように、農村に回帰していく人々が増えてきました。
とくに若い人たちは、出世をめざしてぎらぎらしていた数十年前とは随分様相が変わってきた。何よりもあまり消費をしなくなった。生産力をあげ、お金を稼ぎ、ものをいっぱい買って、財産を増やすのが幸せの道・・・とは考えなくなった。そうして私たちの中に、オルタナティブな暮らし方を求めるムーブメントが、ゆっくりと、しかし確かに広がってきていたように思います。
そしてあの原発事故があったとき、そうした考えを深めていた人たちほど、すみやかに動き出した。ある人は我先にと原発から逃げ出した。命を大事にするために逃げ出さなくてはいけないと考えた。またある人は逃げてくる人を受け入れた。痛みをわかちあわなくてはいけないと考えた。そうしてそこで合流した人たちはともに脱原発の声を上げ始めた。それが今、多くの人々の間に、浸透しつつあるのだと思います。
僕はあの大飯原発再稼動反対の現場には、そんな気持ちが充満していたように思えます。だから僕はそこにいなかったけれども、心を一つにすることができた。僕にも解放感がありました。それが首都圏20万人のデモの中でも広がっていくことを切にのぞみたいです。
そのために暴力は確かに「正当防衛」に限って肯定されうるけれども、もうその論理、暴力の時代を卒業することを僕は訴えたいです。たとえ正当防衛であろうとも、暴力の行使はより過剰な暴力に道を開きやすい。始めは悪に対して向けられた暴力がいつの間にか味方に、あるいは正義に向けられるようになってしまった歴史も私たちはたくさん見ました。もうそんな暴力の連鎖はみたくない。だからもう正義の暴力論も私たちは越えましょう。
そのためには言葉の暴力も慎む必要があります。罵倒ではなく、心からの説得を。もちろん怒りは述べていいのです。でも相手の人格を落としこめるのではなく相手の心に訴えたい。それを誰に対しても貫きたい。運動内部での意見の違いに対しても、互いに心広く接していきたい。そうしてこれまで、たくさんの正義が角を突き合わせ、激突し、傷つけあってきた構造を越えたい。
そうした民衆の間での傷つけあいもまた、私たちの置かれている社会の暴力構造のもとで生まれていることに自覚的になり、だから私たちの内側のあらゆるところから暴力を追い出していきましょう。暴力の時代を卒業しましょう。
大飯の現場から僕はそうしたことを学びました。僕自身、理不尽なことには不服従を貫き続けるけれども、非暴力をより体現して歩んでいきたいと思います。感動的な場を作り出してくれたすべての参加者に感謝して、この考察を閉じます!