守田です。(20120620 23:00)

今日は、生活クラブ京都エル・コープの方たちに招かれて「がれき問題」についてお話をしてきました。今回は、エル・コープで共同購入をしている会員さんたち、また各地で焼却問題と格闘している方も集まってくださいました。特徴的だったのは、共同購入をしている多くの方が、震災遺物を持ってきた焼くことに不安を感じていながらも、そう思うことが東北の方たちに申し訳ないことにはならないかと悩んでいて、強く反対の声をあげられない心情の中にいることでした。

こうした場合の僕の話し方なのですが、まずは東北・関東全体の被曝状況を、群馬大学の早川由紀夫さんが作ってくださったマップで確認してから、福島市内の被曝状況を説明していきます。市内の小学校の登校風景をみていただき、学校の通学路で、5μS/hとか、12μS/hとか、とんでもない値が出ていること、そんな状態が政府によって、公然と野放しにされていることを淡々と話していくのです。その上で、こうした被曝状況を放置している政府が語る「絆」に騙されてはいけない。絆というのなら、真っ先に、まともな放射線防護対策をとるべきだということをお話しました。

続いて、内部被曝のメカニズムについて説明しました。矢ヶ崎さんが解明してきた内容に基づいて、放射線が物質に与える基本的な作用は電離作用であり、そのことで分子切断をもたらすこと。生物の場合は、これがDNAに対しても生じ、DNAの切断がもたらされることを説明しました。

その上で、しかし外部被曝で主にあたるガンマ線被曝の場合、アルファ線やベータ線の被曝に較べると、DNAの切断がまばらに行われ、二本のらせん状のくさりによって構成されているDNAの一重切断になることが多いこと。その意味で、人体による修復の可能性が高いことに対し、内部被曝でおこるアルファ線やベータ線被曝では、高密度な被曝が起こることで、DNAの二重切断が起こり、つなぎなおしができずにDNAが死滅したり、つなぎなおしても間違えたつなぎなおし=異常再結合が起こり、染色体異常が発生してまうこと、それが細胞分裂で増えていくために、やがて病が引き起こされる可能性が高まることをお話しました。

にもかかわらず、広島・長崎原爆以降、この内部被曝の危険性が隠されてきてしまった。それが今も続いており、内部被曝の危険性をなんら評価することなく、外部被曝と同じに扱うことが続いている。そのことが現在の「放射能は怖くないキャンペーン」の大きな根拠となっていることを示し、内部被曝からの徹底防護が必要であることを強調しました。

ここまでお話してから、震災遺物の問題に入りましたが、そこでもまず示したのは、「がれき」の情報ではなく、東北・関東16都県の昨年夏の一般廃棄物焼却施設において測られた放射性セシウムの値でした。焼却場ででてくる灰(主灰と飛灰)に集まったセシウムの値を測ったものですが、これをみると、東北・関東では、震災遺物だけでなく、一般のゴミを燃やすだけで、大変な量の放射性物質が出ていたことがみえてきます。岩手県や宮城県もそうであり、これらの地域の震災遺物は「安全で放射能汚染はほとんどない」などというのはまったくのウソであることが一目瞭然で分かります。扱ったのは以下のデータです。

16都県の一般廃棄物焼却施設における焼却灰の放射性セシウム濃度測定結果一覧
http://www.env.go.jp/jishin/attach/waste-radioCs-16pref-result20110829.pdf

これに続いて、焼却場の構造をお見せし、そもそもその中で焼却が行われると焼却場自身が手ひどく汚染されてしまうこと、事実、東北・関東の焼却場はそうなっていること、作業員の方たちの健康が極めて心配であるとともに放射性物質対応で作られたわけでもない一般施設で、とても放射能の封じ込めなどできるわけがないことをお話しました。

その際、放射性物質が極めて測りにくく、かつつかまえにくい物質であることそれもまた放射能の怖さの一面であることをお話しました。市民測定所などが日夜苦労していることですが、資料を均一に詰めないと測定精度はあがっていきません。「がれき」と呼ばれる物質でどうしてそれができるのか。実際の「測定」はサンプリングをして行っていますが、やっかいなことに放射性物質は、けして環境中で均質化しては存在していない。道路で測っただけでも、数十センチ離れただけで数値が10倍以上も違ったりすることがよくある。

それらからするとかなりの量の「がれき」状になったものを、細かい粒子にまで裁断し、しかもそれを混ぜ合わせて、均質化を繰り返し行い、さらにその上で、何箇所もサンプリングを行って測って、やっと少し「確からしさ」に近づくことができるかもしれませんが、そんなことは実際には労力も資金もかかりすぎてできないしもちろんやられていない。だから実は焼却場に運び込んだ放射性物質の総量などきちんと測れているわけがないのです。

そもそも運び込むものですらよく分からないのだから、それがどこでどうなったか、漏れたか漏れないかも分かりようがない。ところが政府は煙突の先でほんのわずかな煙をとり、しかも非常に短い時間の計測で済ましている。専門家によっては、1週間、60万秒!は必要だと言う計測を、1000秒ほどですまして「検出されなかった」とか言っているわけですが、それは検出などされるはずのない方法で行われたものにすぎないからです。

実際には放射性物質を焼却場で燃やすことはあまりに危険です。放射性物質はそんなにやすやすとはつかまえられないのであり、しかもきわめて測りにくいために煙突からだけではなく、思わぬところから漏れ出ていってしまうことが確実だからです。その点では放射能で汚染された物質はどこでも焼却をしてはいけない。もちろん東北や関東でもです。いやこれらの地域の人々はすでにこれまで野放しの被曝によってぜんぜん守られてきてないのですから、よりこれらの地域の被曝の促進をさせてはならないし、西日本はこの声をあげていかなくてはならない。

ではどうしたらいいのか。さしあたって震災遺物は原発サイトの中に持ち込み、そこに予算を投入して安全な封じ込めの方法を考案していくべきなのです。そのための予算はといえば、震災遺物の輸送にあてようとしている膨大な資金をそのままつぎ込めばよい。しかも原発サイトはもっともモニタリングポストが多いし、自称、「放射能の専門家」がたくさんいる場所なのですからこうした物質の管理には一番適している。しかももともと放射性物質は東電が出したものなのだから、道義的にも理に適っているのです。

これに対して、西日本が放射能汚染が少ないことは、チェルノブイリ事故との比較で言えば「奇跡」のような事態であり、西日本はこのポテンシャルを、東日本を根底から支えるために使っていく必要がある。食料を大増産して、東日本に送り込むべきだし、避難や保養の先としても確保しておく必要があります。そうした形で西日本は東日本を全力で支え、救う必要があります。

しかし今、原発がすべて止まっているのは、東日本から避難してきた人々をはじめ、福島原発事故で傷ついた本当にたくさんの人たちが、その痛みをおして原発の危険性が告発してくださることで、多くの人々の心が揺り動かされ、実現されてきたものであり、その意味では西日本は、痛みを負った東日本にすごく救われ、支えられていることを自覚しなくてはいけない。

その意味で、本当に互いに助け合い、支えあっていかなければならず、そのためには、私たちはそんなにやすやすと政府に騙される民であってはならない。一緒になって、原発をとめ、未来世代に少しでもきれいな地球を渡せるように努力をつづけましょう・・・とお話を続けました。

さてこの話を受けて、参加者それぞれが自己紹介と感想を語って下さいました。一つ一つの発言がとてもよくて、全部を紹介できないのが残念ですが、印象的たったのが多くの方が、「東北の方のことを思うと、がれき受け入れ反対と言ってよいのかどうか迷っていた。またそもそも問題が複雑に見えてよく分からなかった。学習かを通じてその点が良く見えた。反対の声を大きくしていきたい」とおっしゃってくださったことです。

「私はつくづく騙されやすい国民だと思いました。今回も騙されかけました。でも東北や関東の数字を見て、騙されていたことがわかりました」と言ってくださる方も。

こうした方にまじって、二本松市から避難してきて、京都にすんでいる女性が原発事故にあうとはどういうことかを切々と語ってくださり、それを人事だと思わず自分のこととして考えて行動して欲しいという話をしてくださいました。これにさらに参加者が反応。ある方は、「一時期、この問題を考えるのがつらくなり、遠ざかっていた。放り出したいと思った。原発再稼動決定のときは、私たちが何を言っても無理だとも感じた。でもやはりそれではいけないと思ってここに来たら、福島の方の話が聞けて泣きそうになった。やはり放り出してはいけないんだ。やれることをやることが大事なんだと思った」と語って下さいました。・・・感動しました。

こうした意見を聞いて思うのは、私たちの国に住まう多くの人は、基本的には優しく、人を助けたい、傷つけないでいたいと思っている方が多い。そしてその優しさに付け込む形で政府が人々を繰り返し騙している。騙されてはいけない!と僕は常々語っているのですが、本当は、人の優しさに付け込んで騙している政府が一番悪いのです。本当にもうもの凄く悪いと僕は思う。そしてその悪い人たちを野放しにしないためにこそ、私たちは騙され続けてはならないのです。

だから、騙されなくなったからといって、優しさは捨てずに保持していきたいていきたい。そんな気持ちで包まれた、真に豊かな社会を築いていきたいと僕は思います。そしてそれが実現できる可能性が、おそらく全国のいたるところで行われている同様の討論の中ではぐくまれているのだと思います。僕自身、その成長に少しでも貢献するために、さらに各地をまわってお話をしたいと思います。

以上、エル・コープでのお話の報告でした。