守田です。(20110326 01:10)
Nさんという友人が、あるところに、今、なぜ自分がこの問題での発言を続けるのかという文章を書いてくれました。長いので、ここで紹介できないのが残念ですが、この機に、僕の動機も 書いておこうと思いました。
いろいろあるのですが、高木仁三郎さんという方が書いた最後の二冊の書物、岩波新書の『市民科学者として生きる』『原発事故はなぜくり返すのか』に深い感銘を受けたことがあげられます。そしてもう一冊、大変深い印象を受けた本があります。
同じく岩波新書で『原発事故を問う-チェルノブイリから、もんじゅへ』、七沢潔著です。本の謝辞をささげた相手の中に、高木仁三郎さんのお名前もあります。
同書の中で、七沢さんは、こう述べています。
「私にはもんじゅ事故の周辺に、チェルノブイリ事故が発していたものとよく似た「におい」が感じられてならないのである」。
同じ「におい」とは、事故の隠ぺい体質であり、人々の命よりも、国家のメンツを優先するあり方です。そのために、被曝を避けられた多くの人が放射能をかぶってしまった。放射性物質が降る中、共産党を讃えるパレードすら行われてしまいました。
いつか大事故が起こった時、この国では同じことが起こりうる。・・・僕はずっとそう思っていました。だから事故の一報を知ったときから、 ニュースにかじりつき、隠されいるものを解析し、それを人に伝えようとしてきた。今も僕を突き動かしている動機はそれです。
僕には、今、ここで僕が発言をしなかったら、僕は僕の生涯を裏切ることになるという思いがあります。だから切羽詰まってもいるのですが、たびたび緊急冷却装置を働かせて、「感情的」にならないようにしています。
さて、社会的な「論争」は局面が変わっていたように思えます。
初期的には、この事故が大事故に発展する可能性を持っているのか、ないのかでした。「チェルノブイリのようになるのか、ならないのか」です。僕は当然の話、まったくなって欲しくはありませんでしたが、なる可能性が高いし、むしろそれは隠ぺい体質で促進されると思ってきました。
これに対して、「大災害になるという脅しに屈するな」などという言葉が飛び交っていた。チェルノブイリにようにはならないという断言をする某大学名誉教授の見解などが、ネットにたくさん流れました。
事実は、残念ながら、事故の拡大の側に進んでしまった。そして国際的な声として、現状が、チェルノブイリの半分近くまで近づいていることが明らかにされるようになった。
そうしたら今度は、放射能の影響に、論点が移りだした。放射能は実はそんなに怖いものじゃない。規制値はかなり緩いので、それを超えても「ただちに健康に害はない」。さらにチェルノブイリでも大人はガンにかかってない。そんなに恐れることはないという言葉が語られています。
その際、論拠の一つとなっているのは、IAEAや、国連が行った調査です。IAEAの調査に日本は、団長として疫学の権威の重松逸造氏を送り込んだ。この方は、水俣病とチッソの関係を否定する調査報告を出したことで有名な方です。そしてこのときは、ソ連の意向に従う形で調査を進め、最も厳しい汚染地域の人々や、事故処理にあたった60万人の人たちが、調査から外されました。
そうして放射線被曝の影響が非常に小さく報告されました。そればかりか、被害はむしろ放射能の恐怖によってもたらされたという結論がトップに来ていました。
今から強まってくるのは、同じ論議ではないかと思います。現状では政府の見解が完全にわれだしています。厚労省は、子どもに対してのヨウ素の規制値を厳しくして、それを超えた水を飲まない方がよいと訴えた。
すると政府ではないのですが、ある医師の学会が、基準値を超えていても、妊婦が妊娠期間飲み続けてすら大丈夫だと声明しました。ちなみにこの学会は僕が尊敬する医師の方がたくさん入っており、これまで医療の改善を訴える、切々とした声明をたくさんだしてきたところでもあって、僕が長く支持し、学んできた学会です。
ここでもまた論議が複雑になってきている。
実際、医師たちの中に、「必要以上に怖がることの方が危ない」と思っている方がいることは事実でしょうし、そこには真実が含まれているとも言えます。しかしそれでは規制値とは何なのか。厚労省はなぜ厳しくしたのか。そこに重要な問題が横たわっている。「必要以上」の「必要」がどこにあるのかが問われている。
この点で再び、僕らは、「放射能の恐怖を強調して人々を苦しめるのか」、「放射能による脅しに屈するな」とかいう論議に向き合わざるを得ない。事実、場合によっては、怖がらせすぎになって、相手を苦しめてしまうかもしれないという苦悶が押し寄せてきます。
しかしだからといって、なし崩し的に、「チェルノブイリでは大人は大丈夫だった」とか、「人体に影響があるのは100ミリシーベルトから」などという論議を見過ごすことはできない。このデリケートな道が、ここから続いているのだと思います。僕はここに踏み込んでいかなければならないのだなと思います。
まとめましょう。
僕がこの情報発信を始めた動機は、七沢さんによって、この国が非常に深刻な情報隠ぺい体質を持っていることでした。しかしよく調べてみると、むしろこれは、原子力政策全体に共通することだと言えそうです。もともと軍需産業だからです。IAEAだって、核クラブが作っている組織です。
だからもともとここに放射能の恐ろしさを隠ぺいしようとする体質が組み込まれている。核兵器を持つことは、放射線被ばくのリスクを大きく持つことであることをいかに国民から隠すのかということが、重要な軍事的課題であったわけです。
こう考えると、課題はあまりに重く感じられますが、しかし重要な事実は、ソ連は、事故当初も事故後も、実態を隠し、あるいは過小評価することにやっきになったけれども、その結果として、ソ連邦の崩壊にいきついてしまったという事実です。チェルノブイリ事故は、ソ連崩壊の非常に大きなファクターだったと多くの社会学者が指摘しています。
同じように、今回の事故の中で、今、この国の人々は、原爆製造から生まれた原子力政策がどういうものか、身をもって体験している過程にあると思います。ソ連の場合は、逃げることができた人の多くが騙されて逃げることができなかったことが、政府不信の決定的要因になったわけですが、日本の場合は、その前に、政府の事故隠しに自ら気づき、自主的に対処を広げたという先例を作りたいものです。
実際、多くの人々は、政府が考えているよりは、ずっと賢いと僕は思っています。同時に、ずっとつつましやかです。だから再び、放射能の恐怖をあおるなという風が吹き出すと思いますが、(というかもう吹いていますが)、人々を信じ、また実際に、この点に十分気を配りながら、僕は僕の提言を続けようと思います。
みなさん、どうか引き続き、お力をお貸しください。
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