明日に向けて(1672)貧しい人が希望を持てる社会を作らんと!(白坂ゆうこさんインタビューその1)

守田です(20190404 07:30)

統一地方選前半戦がいよいよ終盤に差し掛かっています。そんな中でインタビューシリーズを続けているのでここからは1日に連続した投稿を行わせてください。流量が増えてしまってすみません・・・。

さてこの統一地方選に向けて候補者インタビューシリーズ、今回は京都市東山区で立候補している白坂ゆうこさんにお話をうかがいました。白坂さんは昨年、福山和人さんをみんなで推して奮闘した京都府知事選でつながった仲間たちに出馬を依頼され、共産党の

支援を受けつつ無所属で立たれました。関西無所属ネットワークにも参加して頑張っています。以下、白坂さんの話をお聞きください。

白坂さんの事務所でツーショット

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守田
すでに京都市議選も後半戦に入っていますが、選挙ではどうしても政策などを主要に話す必要があるから、パーソナルな人となりなどが出しにくい面もあります。それでこの場ではどちらかと言えばそちらを語っていただきたいと思います。まずは何よりなぜ立ちはったのか教えてください。

● 貧しい人を思い、悩んで、悩んで、立候補を決めた!

白坂
立ちあがるまですごく悩みました。仕事しているし、しかも昼夜のダブルワークをしているから。仕事は会社経営と飲食店(ノーム)の経営です。ノームの方は個人経営なんやけど、会社の方は経営責任もあるしね。なかなか手を抜けないので悩みました。

守田
なんでそれでも立とうと思ったのですか。

白坂
普通の市民が被選挙権を持っていながらなかなか行使できない現実があるじゃないですが。それは私のような理由だと思うのですよ。あるいは子どもがいるとか、親の介護をしているとか、立つのを許さないプライベートな事情があって、選挙に出馬できる人はそこで限られてくる。だったら普通の人が候補者になるためには何をクリアしていかなあかんのかということを自分が身をもって試してみなと思ったのですね。

守田
おおお。

白坂 私は福山和人さんの京都府知事選の応援に入ったのですね。しかも福山さんが候補者として決まる前に、他の方にも「出て下さい」とお願いにいったりもしていたのですよ。「誰か良い人いいひんかな」という話をしていたわけですけれど、「自分はその立場にな

らない」と思っていたから気軽に考えて、「なんで出てくれはらへんのやろう」とか「やってくれはったらええのに」とか無責任に言っていたわけですよ。 そういうことも自分に問うたんやけど、それでも「能力的に政治家の仕事をこなしていけるんやろうか」「そもそもそれまでの候補者活動も耐えられるのかなあ」と思いましたね。ぜんぜん未知数で分からなかったし。ちょうど家族の体調不良なども重なっていた

し、その辺が悩んだことですね。 でもいろいろな活動をしたり会社をやったりしてきたわけやけど、そんなときはみんなで役割分担をしてきたわけですよね。私は社長をやったりしていて。それならそういう役割分担の一つとして「候補者をやってみない?」と周りから言われたと捉えてみようと思ったわけです。

守田
要請を受けて出馬にいたったのですね。

白坂
そうです。「つなぐ京都」(守田注 福山選挙のときに起ちあがった市民と野党の共闘による福山支持母体)や「ユナイト京都」の仲間とかに要請されて。

守田
ビックリしましたか?

白坂
それまでも「選挙に出たらいいのに」とかいうことは冗談半分に言われていたのですよ。だけど「話があるんやけど」ときちんと言ってきて真剣に向かい合ったのは初めてやったから、「これは現実として考えなあかんのやな」と感じました。 本当にいろいろなことを考えました。私のような中小零細企業には、大企業では働けないような年を取った方とかいろいろな方がいてはるんです。年金だけやったら生活がしんどいし少しだけ働かせてとか、母子家庭で子どもの奨学金の返済のため土日もちょっと

だけ働きたいとか、いろんな事情がある方がこられていました。いまも不登校で学歴は中卒やけどほとんど学校にいってなくて、字も満足にかけない方とかをできるだけ雇っているのです。

守田
素晴らしい。

白坂
だけれどそんなに儲かってなくてね。それでも雇っていたのです。赤字経営でも自分の身銭を切って会社をまわしてね。それでやっと少し黒字になったけど最低賃金ぎりぎりぐらいしか払えへんねんね。「ワーキングプア製造機」みたいになっているわけ。そんなふうになりたくないけど。でもいまも私の給料もでないぐらいの状況から、ようやっと給料が出るかなぐらいになった状況やしね。 それでも困っている人がたくさんいてて、「最低賃金でもなんでもいいから雇って」と言ってきはる、それでようやく黒字になったから。でも大したことはできない。ちょっと儲けがあったときとかはみんなで分けてボーナスで出して全部使っちゃってるわけやけど。とりあえずみんなの生活費をちょっとでも増やそうという感じで。

立候補の話が来た時に「私あとどれぐらい働けるやろうかな」と考えたんです。せいぜい10年かな。5年か10年か。そしたらあたしはこの困っている人たちにどれだけのことがこの間にできるんやろうと思ってんね。 私は「世の中の仕組み変えないと本当にダメよね」ともう前からずっと思ってきたんです。でも自分が仕組みを変えるための候補者にまで踏み出す勇気はなかった。だからずっと候補者を応援するだけやった。 でももっと積極的に、そういう困っている人たちがどうにかなれるように、立候補して政治家になることをめざして、それで世の中が一歩でも二歩でも前に進めたら、私があと5年、10年会社をやるよりもいいかもしれないと思たんです。

守田
おおお。素晴らしい。

白坂
会社もそういう活動も、私はみんなコミュニティやと思ってるんですよ。だからそういう中で自分がコミュニティの一員としてみんなのためにできるだけのことをするとそれだけのことなのですけれども。

夜桜と共に。素敵な街宣(白坂さんFacebookページより)

● 大変やけど私は幸せもの

守田
それでやってみてどうですか?さきほど「身をもってやってみる、試してみる」って言われましたよね。まだ渦中ですけれどもどうですか。やってみて。

白坂
もうねえ、通っても落ちても、「候補者になって分かったこと」という本を書かへんかと関西無所属ネットワークのみんなに言っているんです。自分たちがやったことで分かったことが、これから市民が政治に参加するときの一つの資料になるかもしれないから。

守田
そんなんぜひ協力させてください!

白坂
お願いします(笑)
これまで市民が候補者になって、それで成功した時の体験談は語られているとは思うんやけど、市民が政治に参加した時、しんどかったこととか、そうならな分かれへんかったこととか、そういうことがいっぱいあるし、みんなに知らせたいなと思って。

守田
それってとても共感するんですよね。僕は前回の京都市長選のあとにみんなで「ウチら困ってんねん@京都」というグループを立ち上げて、京都市政を変えるために活動を重ねてきているんやけれども、そこで選挙後に「ぶっちゃけ選挙話」という企画を何回かやってきたんですよ。候補者だった人たちを呼んで思いのたけを話してもらって。ときにはクローズドでオフレコにしてね。 候補者は支持してくれた人のことをなかなか悪くは言えないですよね。自分が立ちあがった時の経済的事情や苦境などもなかなか表に出せない。でもそういうことをぼかした形でも伝えていかないと選挙の苦労がみんなに共有化されない。それでそんな企画を試みたのです。 候補が抱えた辛さとか特有の孤独感もあると思う。とくに何もないところから起ちあがった市民が何を苦労したかの経験を蓄積することはとても大事だと思うのですよ。

白坂
私もね、会社の人がどう思うか不安やったんですよ。「自分たちを見捨てるのか」とか思わないかと。実際に初めはそんな雰囲気も感じました。 でもみんな分かろうとしてくれてたし、いまはみんなは私の選対や選挙応援には入ってないけれど、私がいない間、なんとか切り盛りすることで私を応援しようとしてくれていることがすごく伝わって来るんです。ノームもそうやし。だから私は候補者になって、

「大変でしょう」と言われるし、そりゃ大変は大変やけど、でも「すごく幸せ」と思ってます。

守田
それはどういう幸せ?

白坂
こんな経験、誰でもができる経験じゃないでしょう。得難い経験をさせてもらっている。みんなが、とくに選対の人たちや支援者の人たちが私を肯定的に捉えようとすごく思ってくださるとかね。とてもありがたいなと思う。 「ちやほや」ではなくて、私と言う存在を大切にしようとして下さっているのです。それが伝わってくるので、しんどいけれど「私は幸せもんや」と思ってます。

守田
そう捉えられることにも、白坂さんのこれまでの苦労が反映しているのでは?「ちやほやではなくて自分を肯定的に捉えようとしてくれている」と捉えるその捉え方に。

街宣の一コマ。白坂さんはいつも明るい(白坂さんFacebookページより)

● 何度か地獄を見たけれど一生懸命にやっていたら必ず助けてもらえる

白坂
そうやねえ(笑) 会社が大変やったときは本当に地獄でしたし。

守田
地獄・・・・・

白坂
地獄でしたよ。たぶんね、中小零細企業の経営者は10年もやってたらね、1回や2回は地獄を見てますわ。

守田
どういう感じなのですか。その地獄は。

白坂
私は会社の後を継いだ時が急だったのですよ。母親が脳梗塞で倒れて。その前に父親が亡くなっていて。両親が中心になってやっていた会社だったのですけれど。私は会社の一部には関わっていましたけど、全体の経営には関わってなかったのです。普通は片腕になっている専務などがいるはずなのですけれども、その人も肺がんで亡くなって。 私は両腕のないだるまのような感覚が自分の中にありました。それで業績を開けてみたら累積赤字やったんですよ。古い百貨店商売をやってましたから、いくつもの店舗を持っていたのですけれども、百貨店ってこのところずっと業績が右下がりですよね。それでどの店舗も赤字。黒字にしようとテコ入れしても、打ち上げ花火みたいなことはできるけど結局は続かないし借金返せへん。借金はそれほどしてなかったのですけれども、とにかく借金を返してたら赤字がどんどん増えるだけ。

そういう中で辞める人もいて。私も「あと1年後の段階で辞めたら退職金は払えないからいまなら」といって辞めてもらった人もいるし。ほんまにそんな状況で、それでほとんど人を入れ替えることになったんですよ。結果的に。 でもそれがかえって良くて。何十年も半世紀以上もやっている会社なので、古い体質が変えられへんでね。私はインターネットに切り替えをしようと思って。百貨店に頼っているだけでは持たないと思って。でもみんなネットなんかでけへんねん。 そういう中でほとんど誰もいなくなって、売り場の方に少し残すばかりで、本社の方は私と二人ぐらいで私が経理から労務から営業から仕入れから全部やってたんです。

守田
わあ。すごいなあ。

白坂
それでも赤字で。それを全部、私の貯金を崩して埋めて。もう今度は家を取られるかなぐらいの状況で。ほんまに何度か首をつりたいとか飛び込みたいとか思いますよ。別にうつでもなくてもう逃げたいというか。にっちもさっちもいかへんというか。それでそういうことを何度か経験してます。
でもなんとかそんなときに、ノームにある大企業におったSE(守田注 システムエンジニアのこと)の子がお客で来ててね。その子は仕事のことで悩んで休職中やったんですよ。それで私の話を聞いて「僕、働かせてもらえへん」って。 「給料最低賃金しか払われへん。SEの給料なんか無理よ」と言うたんやけど「かまへん」て言うてくれて。それにいまいてる経理の人も友だちやけど「給料別にいい。払えるだけでいいから、私、今の職場を辞めて行ってあげるわよ」と言ってくれて。 みんながそうやって助けれてくれてね。ほんまにありがたいです。そうやって3年、4年かけてやっと黒字に転じたんですよ。

守田
それが何年ぐらい前のことですか。

白坂
それが3年ほど前かな。

守田
それじゃあ、好転したばっかりやったんや。ちょっと前まで地獄を見てはった。

白坂
うん。

守田
そうですか。うーん。

白坂
そういう中でも私が平気で仕事をできん人を雇ったりするから、みんな、イライラしてたやろなと思うけれど(笑) でもそういうのんが私はなんか、人ってね、ほんまに捨て身で一生懸命にやっていたら必ず助けてもらえるというのが人生で何回かあったので。捨て身で一生懸命にやらんとダメですけどね。

守田
それは僕も良く分かります。

白坂
あるでしょう。そういうの。

守田
「人事を尽くして天命を待つ」・・・。そうしたらほってはおかれないというか。

白坂
なんかそういうのはあったし、でも過ぎてみるとけっこう私も「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なんやけど(笑)

今日も町を走る「つなぐ東山」の白坂ゆうこ号(白坂さんFacebookページより)

続く