明日に向けて(1667)愛する京都を守るために(冨樫ゆたかさんインタビューその2)

守田です(20190328 08:00)

京都市政にチャレンジする日本共産党前京都市議(左京区)の冨樫ゆたかさんのインタビューの2回目をお届けします。

● 市会議員には京都を守りたくて自分から手を上げた!

守田
それで市会議員になったのはどんなきっかけからだったのですか?

冨樫
僕は大学を出て共産党の左京地区委員会に就職したのです。父が亡くなったのはその年の11月24日でした。 その後、10年間、共産党の左京区地区委員会にいました。いったん家を出たのですが、父が亡くなったので自宅に戻って北区から通っていました。市会議員には2007年になりました。

守田
10年経って「市議にならないか」と誘いを受けたわけ?

冨樫
いや、僕は選ぶ側やったんです。地区委員会の常任委員会で候補を選考する作業をするのですけれどもそこにいて。それで「このままでは自分が出なあかんのちゃうか」という雰囲気になりました。 ちょうど結婚して左京区に引越したのですが、地区委員長から「ちゃんと考えて住む場所を決めなあかんで」とかも言われて。 それで前任者の山本正志さんが体調のこともあり引退の意思が非常に硬く、「誰が立候補すんねん!」とかいう雰囲気が強まって「ほんなら出よう」と思いました。 沖縄の翁長さんが生前に「イデオロギーよりもアイデンティティ」と言ってはったことがありましたが、まさに当時の僕も、その京都の人間としてのアイデンティティが立候補する動機としてすごく大きかったですね。 当然、共産党員として過労死のないような、労働時間の短い、楽しい社会を作りたいという気持ちはありました。でも僕には「京都市の市会議員やから決意した」というところもあります。

守田
京都市だから?

冨樫
京都に対する思い入れが強かったからなのですよ。僕が高校生の時はちょうど京都市の中心部にのっぽビルが次々と建っていく時代だったのです。「これはもうダメちゃうか?京都は」と思たんです。 京都のいいところにどんどんビルが建って、町家がどんどんつぶされていった。新聞にもそのことが書かれていて刺激を受けました。 マンションが増えて、全体的に住宅の高さもあがって、うちの家から舟形が見えてたのに見えにくくなくなったんですよ。京都の人にとって「うちの家から(送り火の)何々が見える」というのがプライドなのですよ。 そのプライドが壊されていき、京都の中心部から大文字も見えない雰囲気になっていって、危機感が強まりました。「これ以上はもうあかんでしょう」とすごく思っていたのです。

一方で大学に入って地方から来た人と接して京都愛が深まった面があります。例えば京都の外から来た人って「地蔵盆」があることにびっくりしはるじゃないですか。それがだんだん自分の中でプライドになっていく。 大学で「京都って地蔵盆ってあるらしいね」とか言われると「あるよ~」とちょっと誇らしく思うようになったのです。子どものころはあることが当たり前やったんやけど。 それで「京都には大事なもんがあるんや」との思いが募るだけ、それが壊されていることに痛みを感じたのです。

それだけじゃなくて議員としてやっていくうちに「京都会館問題」が起きたのですよ。(守田注 1960年に作られた文化的価値の高い京都会館が解体・改築され、同時に私企業のロームに名前が売られてロームシアター京都に変えられてしまった問題)。 それでいろいろな建築家の人たちの話を聞いているうちに、もっと京都そのものが好きになっていったのです。 それまでも町家が潰されてのっぽビルになっていくのは嫌でしたけれど「町家はそんなに建築的な意義があるんや」と建築家の方たちに教えてもらえたのです。それでだんだん自分も町家に住みたくなりました。

京都会館は前川國男さんと言う方が設計されたのですが、最初は「フライタワー」というニョキッと煙突のようはものが出ている構造を描いてはったのだけれど「京都の木造建築の町にはこれはあわへん」ということになって削ってしまった。 しかも南禅寺を思わせる屋根にせなあかんということで六角形になった。そういう前川さんの考え方を、学者の方たちに教えてもらえました。それで京都の木造建築の意義の深さも理解できて、ますます京都への思いが強くなっていったのです。 しかもこの運動に関わってくる人もみんな京都好きなのです。京都の価値が壊されることに敏感に反応する人たちが集まってきてはった。 それではじめは賃貸マンションにずっといればいいと思っていたのですが、子どもができて手狭になったこともあって町家に住んでみようかなと思いたちました。 一生懸命に探したら一軒だけあったのです。ボロボロやったのですけれど、それ以降町家暮らしです!

「左京みんなのデモ」に参加する冨樫さん。参加は毎回(冨樫さんFacebookより)

● 運動をすればするほど京都が好きになっていく

守田
冨樫さんは下鴨神社の糺の森を守る運動や、南禅寺のそばの無鄰菴の周りの景観を守る運動にも関わってきていますが、そこには京都愛という個人的な動機も強くあったわけですね。

冨樫
そこに関わるにはやっぱり愛情がないと!だからこそすごく共感するのですよ、地元の方たちが大切なものが壊されようとしていることに怒らはることに。 僕はもともとは文化とは縁のない人間やったんですよ。大学も経済学部でお金の力で世の中をよくしようと思っていたぐらいで。でも京都が壊されていくことへの危機感はありました。 そやから「市会議員に」と言われたときに、自分の中ですっと入ってくるものがあったのです。それでやるからには、頼まれて出たのではなくて、やりたくて出たという思いで頑張りたいと思いました。だから自然な形で立候補にいたったかな。

守田
そしたら下鴨神社のこととか無鄰菴のこととか「まさにこれが自分のやるべきことだ」ということなのですね。 だから無鄰菴の周りの住民の方たちから「白馬の王子」だなんて言われるんだな。だって「一番、思いを分かってくれる人」ということでしょう?そこまで言ってもらえるのって(笑)

冨樫
「白馬の王子」は恥ずかしいですが、でもまさに守田さんが言う通りなのでしょうね。 どこの場も関われば関わるほど奥が深いし、それにまつわる見識を聴けるから、結果として知識も積み上がっていくし、いろんなことがつながって理解できるようになってきたのですよ。 下鴨神社へ関わった時も最初から直感的に「これだ!」という思いがあったけれども、その後にむちゃくちゃ勉強したわけです。 この運動ではフランスのユネスコ本部まで住民のみなさんと行って、糺の森を守ることを訴えたのですけれども、そのときは交渉する時間が1時間ぐらいしかない。通訳も入るから実質は半分以下になる。 それでもユネスコの歴史や考え方を調べ上げ、ユネスコに一番響く言葉を言わなあかんとすごく言葉を練ったのです。

そのときにたまたま下鴨神社のそばに住んでいる方が元銀行員で海外に駐在していたこともある方でした。その方が全部、フランスに行く手配をしてくれはって、ご自身のコネもつかってくれはって、ユネスコへの交渉まで素晴らしい準備ができたのです。 住民運動の面白いところの一つはそういうところです。地域の普通の集まりにすごい人が来てはったりしてなんか素晴らしいことができてしまって。

糺の森の問題でみんなで勉強して分かったのはここには森が先にあったことです。シャーマン信仰があってその後に下鴨神社ができた。これを解明してくれたのは住民の北畠さんでした。 それで下鴨神社に対する見方がひっくり返りました。実は近代化のプロセスで糺の森の所有権が下鴨神社のものになってしまって主客が逆転してしまったのです。 そんな風に糺の森を守る運動をしていたら、それが南禅寺の無鄰菴のことにつながったし、そう考えれば下鴨神社のこともその前の京都会館への関わりがあってつながってきているのです。

守田
すごい!

無鄰菴など南禅寺周辺の庭園群を守ることを呼びかけた冨樫さんの活動報告(20180821)

● 京都を守ろうとする人と京都で金儲けのため美味しい所だけ吸おうとしている人とのせめぎ合いが続いている

冨樫
結局、京都が好きで京都の町を守りたいという人と、京都で金儲けをして美味しい所だけ吸おうとしている人とのせめぎ合いが続いていて、その中に入っていくと、さらに京都のあちこちのことがどんどんつながって見えてくる。

守田
うーん。冨樫さん。これはもう真正保守やね!ほんまにこれは素晴らしい京都愛やね。

冨樫
住民運動をやっているとそういうことを本当に感じます。高野川に無駄に架けられようとしている「北泉橋」という問題があるのですが、ここでも地元の方が昔の都市計画図をひっぱってきていろいろと調べてくださいました。 面白いのです。そこから京都の歴史が見えてくる。京都の都市計画は実は生き物で、行政が決めたことでもいろいろな事情で動いてきていることが見えてくるのです。硬直したものではなくて住民の声で変えられるし変えてきたものなのです。 だからいま「なぜ無駄な北泉橋を通すんだ」と声をあげることにつながるわけです。住民運動は本当に奥が深いなあと思います。

守田
そういう意味では前回、ぎりぎりで落ちてしまったのはすごく残念だったけれども、この4年間はすごくプラスになったのですね。市会議員をやっていたらそこまでできなかったんちゃう?

冨樫
できなかったですね。また議員としての権限がないのでいろいろなところで悔しい思いをするのですけれどもだから違うことで頑張らないといけなくていろいろな力も身に着けることができました。 逆に議員の権限の強さも本当によく分かりました。実際に議員の権限を失って運動をやってみて痛感しましたね。それを考えたら議員はもっと力を発揮せなあかんし、実際にベテランの共産党の議員さんはちゃんとやってはると思います。

その意味でこの4年間は、有権者のみなさんから「もっとちゃんと勉強して来い」と言われた年月だったと思います。 厳しい言い方やけれど、ある意味で正しく有権者が僕に審判をくだした。「まだまだ力不足やから勉強して来い」という11票差やったのではないかと思っています。

守田
感動するなあ。

冨樫
それだけに今度は「ちゃんと勉強してきました」「その勉強してきた力を生かさせていただきたい」と思っています。

冨樫さん作成のキャラ弁!しばしばお子さんのお弁当を担当(冨樫さんFacebookより)

続く