明日に向けて(1664)内なる革命を貫きつつ社会を変えていこう!(京都市左京区・加藤あいさんインタビューその2)

守田です(20190326 12:00)

前回に続いて日本共産党京都市議(左京区選出)の加藤あいさんのインタビューをお届けします。

● わが子が不登校になって悩み込んだ!

守田 そういうしんどいときを越えて、二人目を生んだのはいつだったのですか。

加藤 2009年に男の子を産みました。いまは小学校3年生です。

守田 不安はなかったのですか?

加藤 二人目はもう慣れたから不安はなかったです。物理的には同じように忙しかったですけれど、二人目の時は「しんどかったなあ」という感覚はそんなにないかな。 一つに小学校にあがるまで「下の子はやりやすい子やな」と思ってきたのです。自分が慣れた面もあると思います。一人目右往左往してどうなるか分からなかったから「大変や」という気持ちが強かったけれども、二人目は一回やっているから「こんなもんやな」という思いがあって同じ大変さでも精神的負担がぜんぜん違いましたね。

でも下の子は小学校になかなか行きづらいのですよ。本人が一番、苦労していると思います。いまはもう3年生でだいぶ慣れました。どうするかはそのたびに本人が決めてやっているのです。でも最初、親として普通に子どもは学校に行くものだと思っていたので、「それができない!わが子が」ってなったら「ぎょぎょぎょぎょ」ってなったのですよ。

一方で私は「今の管理主義の教育は良くない」って思ってきたはずだったわけです。息子が「嫌だ」って反応していることに対し「あなたどう考えているの?」という問いが起こってきたのです。別に誰が聞いてきたわけでもないのですよ。でも「とにかく行きなさい」では今まで考えてきたことと相矛盾するわけです。凄く問われました。 それでいろいろな本を読んだら「親はともかく子どもが学校にさえ行っていたら安心しているけれども行かないとなったらとたんに不安になる」とあったのです。「でもそれではぜんぜん自分の子どもを見てないのではないの。学校に行ったあとなんて見てないじゃん。それはどうなの」と書いてあって「確かに!」と思いました。


「全員制のあったかい中学校給食を!」と出町柳駅前で街宣 加藤さんfacebookより

● 自分はどこまで管理教育を批判できていたのだろう?

やっぱり多くの人にとっては特別なのですよ。学校に行かないことが。それを普通にしている人に言うのはものすごくハードルが高い。同じようなことを抱えていても言わない。「なんて生きづらい世の中なんだ」と思いました。 私はいまの管理教育を実は「当たり前だ」と思って生きてきた自分にも突き当たりました。正直なところ「やっぱり普通に学校に行って欲しい」と思う自分もいる。そんな風に管理教育がどこまでも染みとおってくる。

守田 今はどうなのですか?

加藤 まだまだ渦中にいますね。でも夫は最初から「本人が決めれば良い」というスタンスなのですよ。複雑な感じがしましたがでも「やはりそれが正しいかな」と思います。

守田 二人目でもいろいろと苦労しているじゃないですか。

加藤 そうですね。そこにはいろいろと複雑な思いがあったりするわけですよ。「二人目からこうやればうまくいくと思っていたから、けっこう簡単にやっていたのが良くなかったんじゃないか」とか。なんとも言えん気持ちなのですよね。とにかく本人の状況から出発して何が最善の策なのか、本人が決められるようにすべきなのだろうなと思います。 でも世間様に向かっているときと自分のわが子に向かうときの自分が違っていることにもなるから自分を問わざるを得ない。全部、自分に刃が向いてきてしまうのです。 どっちも事実なのですよ。「管理主義は良くない」と思っている自分と「学校に行って欲しい」と思っている自分と。

● 学校というシステムが心を縛ってきた・・・

守田 行って欲しいというのはやはり社会に遅れてしまうとかそういう気持ちですか?

加藤 なんなのだろうなあ。心配ですよね。やっぱり。

守田 社会から孤立してしまうのではないかという心配ではないですかね。なんというか「管理主義教育」という言葉よりももっと広い、学校というシステムの社会への浸透の問題なのではないかな。知らず知らずのうちに学校に行かねばならないと思いこまされているところがあるというか。 その点では学校にはそこで教育される子どもたちだけではなくて親たちもすごく縛られている。ここが社会につながるレールであって、そこから外れると何かとんでもないことになってしまうのではないかというような呪縛の中にあるというか。おそらく親にとって学校は子どもが社会へ入っていく入り口として考えられているのではないですかね。そこで友だちができてある意味親から離れていく。そんな歩みを自分たちもしてきたのに、そこに入れなくなってしまうのではという不安なのではないかな。

加藤 そうですね。それが大きいかな。その点で私は実はフリースクールをしている方がそばにいてくれたので良かったのです。なんてラッキーなのだと思います。学校にいかずともフリースクールを出て立派に成功している人もたくさんいることも聞かせてもらえました。

守田 そういう点って実は子どもも考えているのですよね。親が心配しているのではないかと。ある不登校のお子さんがお母さんに誰だか偉人の名前を出して「お母さん。心配しなくていいよ。この人も学校に行ってなかったんだって」と言ったそうです。

加藤 (笑) かわいらしいねえ。

守田 その子、なかなかできていて、お母さんがイライラしていると「お母さん。お母さんがいま怒っていることにごめんね」というそうです。

加藤 うーん。それはちょっとできすぎているなあ。でもねえ、うちの子もそうなのですよ。怒っている人がいるとそばにいって寄り添うタイプなのです。だから自分の思っていることをまず言うのではなくて相手の状況を見てから言うのですよ。そういうタイプだから余計に学校に行くとしんどいのですよ。 学校ってこうしなければいけないというのがいろいろ決まっているでしょう。そうできないときの自分に耐えられないのですね。それがだいぶ分かりました。保育園のときはそういう矛盾が出てこなかったのでしょうね。

「大型開発より子育て支援」のバナーを持って 加藤さんFacebookより

● 新自由主義のもとで公教育が解体を強めている・・・

加藤 去年は4月にちょっと時間ができたので、学校に一緒に行ったり、いろいろと学校の実情についても学びました。

守田 いま学校で起こっていることはもう「管理教育」という名でくくることはできないことなのかもしれないですね。教育だけではなくて、社会そのものがあまりも人を一つの鋳型に入れ込む形になってしまっている。そういうことしか指導を受けていない若い人が先生になるわけだから、やはり鋳型にはめ込もうとしてしまう。 そんな中で子どもに対して切れて怒ってしまう先生も増えているとよく耳にします。そういう方はきっと自分のこともいつも罰しているのではないかな。何々ができないとか。管理教育が悪いと言う問題を越えて、新自由主義のもとでいつも何かにバッシングされ、優しさや思いやりとか「まあいいじゃないか」という思いが効かなくなっているのではないか。

加藤 でも教育ってそういうことでしょう?「まあいいじゃないか」とかが大事ですよ。それなのに怒って子どもを従わせるなんて誰でもできることでしょう。そうじゃないのが教育じゃないですか。

守田 そういうゆとりとかがあまりにも無くなっている。しかも「ゆとり教育」が誤っていたということになってしまっていますよね。もっとそのときの具体的な施策が良くも悪くも反省されなくてはならないのに、「ゆとり教育」=「ダメなもの」、「ゆとり教育を受けた人たち」=「ダメな人」みたいに歪んで捉えられがちになっている。それでいつも「ダメだ、ダメだ」と言われて・・・。

加藤 深刻ですよね。

守田 教育の歴史を振り返ると、戦前のファシズムはまさに教員を中心に成り立ったわけですよね。でも戦後にその反省として「二度と戦場に教え子をおくらまじ」という教員運動ができた。政府や右派はそれをいかに解体するのかに血道をあげ、実際にだんだんと解体されてしまった。でもその過程で教育そのものが壊されてしまった。 僕らの時には情熱的で子どもに寄りそってくれる先生がまだたくさんいました。だから学校に行かなきゃと思えたし、そこで友だちもできたし、そんな中で恋もすれば失恋もした。そういうことが人生においてとても大事なことだと思うから、そこに行かせてあげたいと思う。ところが実態はどんどん変わってしまっていて、子どもたちにとっては本当に怖い場に変わってしまっているのだと思います。公教育の良い面がどんどん解体しているのですよ。

加藤 確かにねえ。前提が違うということですよね。

続く