明日に向けて(1660)あらためて福島原発事故を問う(富士宮市でお話します)

守田です(20190308 23:30)

● 福島原発から9年目を迎えるにあたり富士宮市でお話します(10日)

3月10日(日)に富士宮市でお話します。
タイトルは「3・11を忘れない 安定ヨウ素剤ってなに? 原発災害から身をまもるために」です。
午後13時から15時半の予定。
JR富士宮駅前の「駅前交流センターきらら2F集会室」にて。
主催は「防災を考えるみんなの会」です。
連絡先は山田友一さん。電話番号は090-2133-9030です。

このところ各地で原子力防災への取り組みが強まっていますが、浜岡原発から市役所の距離で80キロのところにある富士宮市は安定ヨウ素剤の備蓄のための購入を進めています。3月末に納入されるとのことです。
これを踏まえて今回は安定ヨウ素剤とはどんなものか、また原子力災害にはいかに備えるのかをお話します。
この際、この間、各地で進んでいる取り組みも紹介します。
つい最近、参加してきた茨城県の常総生協さんの取り組みや、京都府綾部市での取り組みなども紹介します。

● 福島原発事故を捉え返す-そもそもベントはあってはならないもの!

原子力災害対策を進める前提として、いまいちど福島原発事故を振り返る作業も行いたいと思います。
その際、3月11日からの事故の進展過程を振り返りますが、大きなポイントをなすのは原子炉が早いうちにメルトダウンを起こしていたことです。
このため炉内の圧力が高まり、格納容器の破裂を回避するためにベントが試みられ、1号機と3号機は何とか成功しました。
しかし2号機は最後までベントが成功せずに格納容器下部の圧力抑制室あたりで裂け目ができてしまい、大量の放射能が漏洩しました。

事故を起こした福島原発の構造。圧力容器内で核分裂が行われ格納容器は事故時に放射能を閉じ込めるのが役割

ここで捉え返しておきたいのはここで試みられたベントそのものが本来あってはならないものであったことです。
なぜかと言えば格納容器の役割は原子炉内=核分裂を行っている圧力容器内でトラブルが起こったときに噴出されてくる放射能を絶対に環境中に出さないために閉じ込めることにあるのだからです。
ところがベントは、放射能を閉じ込めるための装置=格納容器を守るために、放射能を外に噴出する装置です。このため格納容器の設計に携わった元東芝の設計者の後藤政志さんはこれを「格納容器の自殺装置」と呼びました。
そもそもこの装置は設計段階ではなかった装置です。当たり前です。放射能を閉じ込めることができなくなることがあることが分かっていたら設計段階で認可が下りなかったからです。

ベントの説明図。放射能を閉じ込める格納容器を守るために放射能を外に排出する!

ところがこの原発を作ったアメリカのGEが世界にたくさん売ってしまった後で、格納容器が崩壊することがあることが分かり、非常時のためにとベントがつけられだしたのでした。
こうした後付け装置はうまく動かないことが多い。このため福島原発事故のときもなかなか弁があかず、1、3号機は裏技でやっと弁を開けましたが、2号機は開けることができずに格納容器がどこかで壊れてしまい、大量の放射能を漏洩させたのでした。
そもそも原子力政策はこの段階で終焉させなければならなかったものであることをみなさんと確認したいと思います。

● 4号機プールが干上がったら東日本の多くの部分が壊滅だった!

もう一つ。捉え返しておきたいのはこの時、4号機の燃料プールの水が減りだし沈められていた核燃料の露出が近づいていたことでした。
事態がそのまま進めば大量の放射能が大気中に拡散してしまったのは確実でした。実は当時の民主党政府の内閣府におかれた原子力安全委員会近藤委員長がその際のシミュレーションを行っていました。
それによるとなんと福島原発から半径170キロ圏が強制移住、250キロ圏が希望者を含む避難ゾーンになるところでした。この250キロ圏内が年間1ミリ㏜以下の放射線量になるのに10年はかかると試算されていました。そうなれば東日本のが多くが壊滅でした。

近藤シナリオを報じた毎日新聞の記事 2011年12月24日

ではどうして私たちは助かったのかと言うと、たまたま原子炉上部での作業のために水がはったままになっており、そこの水が仕切り板を破ってプールに流入したからでした。つまり危機の回避は人為的になされたのではなく偶然の賜物だったのです。

事故当時の4号機の状態。たまたまはってあった水が燃料プールに流れ込んだ。図は朝日新聞記事より

この二つの点、一つに原発はあらかじめいざとなったらベントを行い、放射能を外に出すことを予定していた装置であったこと。しかしその装置はまともに動作せず、予定以上に大量の放射能が出てしまったこと。
一方で燃料プールの危機はまったくの想定外であったこと。そして原子炉1基の燃料プールの崩壊だけで東日本の多くが壊滅するギリギリの可能性が生まれていたことです。
これらを振り返っただけでも、もうこれ以上、原子力政策を続けてはならないことは明らかです!
富士宮市の講演では、福島原発事故を振り返り、まずはみなさんとこの点を振り返りたいと思います。

続く