明日に向けて(1659)原発の危険性は誰にでも分かること!だから私は止めた!しかし多くの司法家がまだまだ専門性に縛られている(樋口英明元福井地裁裁判長)

守田です(20190303 23:30)

2月23日に行われた樋口英明さんの講演と囲む会でのお話の報告の最後に他の裁判官はなぜ原発を止めようとしないのか、止められないのか、また原告側もしばしば陥っている裁判上のあやまりについて報告したいと思います。
これは目から鱗の落ちる内容でした!ぜひ原発をめぐる裁判に関わっている司法家の方にもお読みいただきたいです。

● たくさんの難しい論点を出すのはダメ!

前2回の連載を通して、原発は耐震性があまりに弱いこと。ハウスメーカーの作る家にはるかに及ばないこと。だから巨大地震ではなく通常の地震でも直下で起こったら簡単に壊れてしまうこと。ゆえにすぐに止めなければならないことをみてきました。
にもかかわらず裁判では原発の安全性に関する議論は専門性が高いと誤解されており、裁判官が呪縛されてしまっているのだそうです。いやそればかりか原発を止めようとする原告側弁護団もときにこの呪縛にはまっていると樋口さんは話されました。
このため裁判では本来、このシンプルな事実が争点になるべきなのに、原告側もたくさんのことを言いすぎだと樋口さんは指摘されました。

例えば大飯原発差止訴訟では原告側から津波やテロの問題、また原発の構造上の欠陥などが出されたそうです。地震についても上述のような重要な点にはあまり触れずに強振動予測における幾つかの学説が出されたといいます。
しかし樋口さんは原発という極めて大きな被害をもたらすものの設計基準に「これ以上の地震は来ません」などと書かれていることが致命的間違いなのだと指摘されました。
そもそも強振動予測などの地震学は「三重苦」と言われるのだそうです。「観察できない、実験できない、資料がない」から三重苦なのだとか。そもそも正確に測りだせたのは1995年以降。資料の蓄積すらまだないのです。

このため樋口さんは、強振動予測に関する学説が持ちだされた段階で、なんと訴訟を打ちきってしまったのだそうです。強振動予測そのものを持ち込むことが間違いなのだからです。
樋口さんは言われました。「入倉式・三宅式がいいかとか武村式がいいかとかそんな議論していてはダメなのです。大切なのはその前の議論なのですよ」。
でもそれで樋口さん。「原告からも威張った裁判官みたいに思われちゃってね。原告の言うことも聴かない、被告の言うことも聴かない。それでうちきってしまったと言われました」と語られていました・・・。


そもそも地震学では多くのことが未解明!図は東洋経済ONLINE 20160529より

● 裁判官に学説論争を提示しても能力を超えてしまう

樋口さんは、そもそも学術論争でいくとたくさんの学者を抱えている国側に勝てるわけがないのだとも語られました。
例えば地震学者は地震のことばかり研究している。そして裁判には国や電力会社の味方をしている学者が出てくる。それを一から地震のことを勉強する裁判官がひっくり返すことはあまりにも容易ではない。
そもそも裁判官は裁判長と左右の陪審と3人だけですべて判断し判決も書くそうです。他にシンクタンクがいるわけでもない。その点では弁護団とも違う。だから専門性が高ければ能力を超えてしまうのです。

樋口さんは他にも原子炉の中の運転を止める制御棒が地震があったときに2.2秒で入るか入らないかという議論があったことを紹介してこう言われました。
「私はそういう議論はやめて欲しいのです。もっとシンプルに危ないかどうかを判断すれば良いのです。
なぜ難しい議論をやめて欲しいのかというと、専門性が高いと裁判官の能力を超えてしまうからです。確実に超えますね。」

しかし原発の耐震性があまりに低くて、すでにそれを上回る桁違いの地震が何度も観測されいてるのだからそんな専門性はいらないのです。それで樋口さんはこう述べられました。
「こういう話は誰でもわかるでしょう?難しいところなんかない。誰にでも理解でき、誰にでも議論ができ、誰でも確信がもてる。私はこういう考えで訴訟を進めてきて判決を書いたのです」

講演する樋口英明さん 守田撮影

● 伊方原発最高裁判決(1992年)の呪縛

さらにこうした専門性に関する呪縛は、伊方原発1号機の設置許可の取り消しを求めた裁判に対し、1審原告側敗北、2審控訴棄却を受けて、1992年に最高裁によって出された上告棄却決定が「呪縛」としての効力を発揮し続けているのだと言います。
その中身は一つに原発に関する訴訟を「専門技術性が高い」ものと判断し、行政の側の「専門技術裁量」を尊重すべきだとしてしまったこと。二つに「このため裁判所は危険性についての直接判断を避ける」としてしまったこと。
三つに裁判所は規制基準の合理性=辻褄があっているかどうか、つまり適合性を判断するとしたこと、四つにこのための立証責任は被告側が負うとしたこと、この四つによって成り立っているそうです。

樋口さんはこれが伊方最高裁判決の魔法なのだとも言いました。「専門技術訴訟」だと言われると裁判官に呪縛がかかってしまうというのです。いや先にも述べた如くそれが原告側の弁護団にも縛りをかけて裁判を難しくしてしまう。
つまり伊方最高裁判決は、規制当局は専門技術的なところに裁量があってそれを尊重しなければいけないとしてしまった。
このため、強振動予測のうち何式がいいか、その計算にどの数字を埋め込むか、と考えたとして「それは規制当局の裁量でしょう」と言われると裁判官はそこで凹んでしまうのだそうです。

しかしと樋口さんは言われました。
「このため私は最高裁判例を無視しているなどと言われるのですが、しかし百歩譲って考えてみても「規制基準の合理性」を判断しろとなっている。合理性とは何か。私は安全性のことだと思うのです。
だから安全性を考えたらダメだということなる。そう読むことだって可能なのですよ」

伊方最高裁判決について説明する樋口さん 守田撮影

● 原発の危険性は誰にも分かること!難しく考えすぎずに危なさを訴えていこう!

以上、3回に渡って樋口さんの講演と囲む会での発言についてご紹介してきました。本当はまだまだ面白い話があったのですが、時間の制約もあるので今回で連載を閉じようと思います。
私たちがここから確信としてつかむべきことは原発の危険性を語るのに専門的な知識は必要ないと言うこと。またとくに裁判では時に難しい知識はかえってマイナスにもなってしまうということです。
この点について最後に再度『世界』掲載の論文から樋口さんの言葉を引用して連載を終わりたいと思います。

「社会通念について言うならば、私の住んでいる家や私の勤めていた裁判所より大飯原発の耐震性は低い。多分、あなたの住んでいる家や勤め先のビルや工場などよりも、大飯原発の耐震性は低いだろう。
健全な社会通念からすれば到底許されるべきことではない」(同書p66,67)

樋口さん。ありがとうございました!

樋口さんをスタッフの大石さん、参加者の福山さん、嘉田さんらと囲んで 20190223

連載終わり