2013.07.19

明日に向けて(710)祝島を訪れて・・・2

守田です。(20130719 08:00)

祝島訪問記の2回目です。

昨日述べたように、上関の海は長い歴史の中で受け継がれてきた人々の共有財産としてあります。まさに素晴らしい社会的共通資本としての海です。その海を守ろうと、長島の人々が努力を傾けてきたのですが、その中でまさに「社会的共通資本」の理念そのままに行われた闘いの話を美登里さんがしてくれました。それは四代(しだい)の入会=共有地を守る闘いです。
というのはまさに放水路をはじめ原発の主要施設が作られようとしている地域に四代の共有地があり、中電が取得しようとし、入会の役員たちの合意だけで売却契約を結んでしまいました。四代の戸数は約100戸でしたが、これに対し4軒の家が原発反対を掲げて売却に反対。売却は不当さと主張して裁判を起こしました。
裁判で主な論点になったのは日本の多くの入会=共有地に古くからある「総有」という考え方です。共有地はまさにそこの人々全体によって所有され、維持されている。だから全員の総意がなければ、売買したり、勝手な土地利用をすることはできないという考え方です。原発に反対する人々は古くから受け継がれてきたこの考えをもとに入会を守ろうとしました。

一方で放水路と原子炉建家の予定地には神社が管理する入会地(八幡山)もありました。この入会に関しては、神社の宮司である林春彦さんが売却手続きを拒否しました。このとき林さんは『現代農業』に寄稿して、次のように述べたそうです。
「自然環境が著しく破壊され、人類の生存すら危ぶまれる状況のなかにあって、神社界もまた鎮守の森や神社地を護り、公害から地域住民を守ることが、喫緊の課題とされている」(岩波新書『原発をつくらせない人びと』より孫引き)
これに対して政府と中国電力は、入会権を壊そうと裁判で反証を行い、さらに林宮司の人々の命のための抵抗に対して、宮司からの解任という形での「攻撃」をしかけてきました。押し寄せる巨大な圧力に翻弄されつつ、しかし上関内外の人々は、固く協力し合って、抵抗を続けていきました。

入会権=共有権は古くからの生活慣習の中に埋め込まれてきたものであり、強い位置を持っています。このことを強く主張した一審において、裁判所はすでに行われた役員たちだけの合意による土地の売却そのものは認めてしまったものの、土地の現状変更を認めませんでした。総意がなければ立木一本、切ってはならないとしたのです。中電はなすすべがなく、工事が食い止められました。
ところがこの中電の危機をなんと広島高裁が救ってしまいました。高裁は、入会権は30年行使されなければ効力を失う。すでにこの地の入会権は執行しているとして、中電に工事の自由を認めてしまったのです。
不当な高裁判決に対して、人々は上告審を継続して闘いましたが、最近になって最高裁判所は、3対2の差で住民側敗訴の決定を下してしまったそうです。しかし最高裁は入会権を事実上無視した高裁判決には触れず、「先祖代々の権利は侵害できない」という2名の裁判官の格調高い意見書を判決に付帯させました。

他方でまったくの言いがかり的な理由で、神社本庁による林宮司の解任にこぎつけた中電は、新任の宮司が着任するや否や、さっそく神社の入会地の売買契約を結びました。このとき四代の区長で、林さん解任の音頭を取った御仁が、この売買契約ののちにすぐに「やま家」という民宿を建てたそうです。見えやすい利権構造です。もっともこの民宿、今は「閑古鳥が鳴いている」そうですが・・・。
これに対して林宮司は異議申し立ての裁判を起こしました。2007年3月31日が判決予定日でした。しかし当時、原発賛成派と反対派が激しく県議選を闘っており、投票日が4月7日に迫っていました。弁護団はこの状況で、ほとんど確実に選挙にとっても不利な判決が出ることを予想。このため不当判決を回避する作戦を考え、裁判長の忌避を行いました。とりあえず判決を先延ばしにさせたのです。
その決定が降りるやいなや、林さんは「ああ良かった」と安堵されましたが、その直後に心疾患で倒れられ、なんと2日後に息を引き取られてしまったのだそうです。まさに林さんは神社の入会と人々の幸せを守ることに命をかけた晩年を駆け抜けていかれました。

美登里さんは語りました。「この四代の人々や林さんの抵抗があって、中電は大きく工事予定を遅らせざるを得ませんでした。そうしてようやく本格的な工事が始まったのが2011年2月でした。この時は私たちもここを守りきれないかもしれないとも思いましたが、しかしその過程で311が起きて、ここ上関での原発建設は首の皮一枚のところでとまりました。
もちろん311では福島の方たちをはじめ多くの方が大変な被曝をされているので、ここで工事が止まったから良かったと言えるものではけしてありません。それでも知って欲しいのは、今、ギリギリの状態でこの海が守られているのは、すでに亡くなった人たちも含めた多くの方たちの努力のおかげだと言うことです。
そうした方たちの思いがこの海には詰まっています。だからここをなんとしても守っていきたい。私はそう思うのです。」・・・深い感動が胸のうちに広がっていきました。

ちなみに日本の中で、入会権を守ろうとした農民たちの奮闘に、「小繋事件」という有名な農民の闘いがありました。岩手県北部の小繋村で、明治から昭和まで3代にわたって入会地を守る攻防が繰り広げられました。岩波新書『小繋事件』(戒能通孝著)に詳しい記録が残されています。日本の民衆運動のたくましい源流の一つを知るために、ぜひ読んで欲しい書物です。
この小繋で積み上げられてきた経験が「飛び火」したのが、北富士の米軍演習場反対の運動でした。このときも「忍草母の会」の女性たち300人を中心とした北富士の農民たちは、「入会権」を掲げ、米軍に演習場地として奪われた地域の共有地を取り戻すために、着弾地点に身体をはって座り込むなどの奮闘を行いました。この運動の発展に貢献し、農民に知恵を与えたのは小繋を経験した人々でした。こうして小繋の火は北富士へとつながったのでした。
さらにその経験が、成田空港の反対運動=三里塚闘争に飛び火します。運動の初期、成田の空港予定地を訪れた「忍草母の会」の女性たちが、三里塚の女性たちに「私たちは入会権を掲げて闘ってきた。あなたたちには土地そのものがあるではないか。農地を武器として頑張れ」とエールを送ったのです。
当時はアメリカ軍がベトナムに戦争をしかけ、沖縄の嘉手納基地からベトナムの空襲にむかうB52戦略爆撃機が次々と飛び立っている状況でした。空港建設は戦争拡大にもつながる・・・そんな思いもあって三里塚の農民たちは空港建設への懸命な抵抗を続けていきました。

この三里塚の歴史を描いた書物もたくさんありますが、僕が一番に読んで欲しいのは、恩師、宇沢弘文先生が書かれた、岩波新書『成田とは何か』です。コミックスでは尾瀬明さんの『ぼくの村の話』が圧巻でお勧めです。
僕も若い時に成田に通いましたが、上関や祝島での奮闘は、あのときの成田での人々の熱い息吹を彷彿とさせるものがあります。そんなことを思い出しながら、僕は高島美登里さんの話にさらに引き込まれていきました・・・。

続く

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