2013.03.18

明日に向けて(644)台湾でも10万人~20万人が脱原発の声を上げた!(「備忘録下」)

守田です。(20130318 22:30)

明日に向けて(642)で、脱原発デモ備忘録上をお届けし、毎日新聞の地方紙報道をもとに、各地で行われたデモ・企画の記事を紹介しましたが、今回は台湾で行われた10万~20万人の脱原発デモの意義と、毎日新聞以外の日本各地のデモ報道についてお伝えします。
まず台湾の行動については、以下のビデオクリップをごらんください。

台湾で脱原発集会に”8万人”震災から2年を前に(13/03/09)
http://www.youtube.com/watch?v=ch1o1R-OWAU

ここでは8万人と報道されていますが、毎日新聞は10万人と、他の幾つかの報道では20万人と伝えられています。台湾はいま、第1から第3原発が稼働中で、第4原発が建設中です。今回の脱原発デモでは、とくにこの第4原発建設反対が大きな課題となりましたが、これは日本も大きく関わっていることです。
なぜならこの台北市から30キロ近郊の新北市に建設中の原発は、日立製作所と東芝が原子炉圧力容器を、三菱重工業がタービン発電機を請け負って作られており、「日の丸原発」と呼ばれているからです。原発はほぼ完成に近づいていて、現在の計画では来年、燃料棒を装てん。2015年から商業運転開始とされています。
その意味でこの日のデモは、日本の原発政策そのものへの批判のデモであったと言えます。私たち日本に住む民衆と利害を一つにした行動です。このことをきちんと認識しておきましょう。

さらに詳しく調べてみると、この第4原発、2つの炉があるのですが、1号炉の圧力容器を製造したのは、日立製作所の子会社、バブコック日立呉事業所(呉市)だということがわかりました。なんと戦艦大和の砲塔を造ったこともある旧呉海軍工廠(こうしょう)のピットを利用した工場で製作したのだそうです。ここから船で一週間かけて台湾に運ばれたのだとか。
この事業所はこれまで、中国電力島根原発1号機など15基の圧力容器を製造。これが初めての輸出だということです。台湾第4原発の2号機の圧力容器も東芝製。これは横浜から出荷されました。
僕はこれが作られたのが呉の旧海軍工廠だと聞いて、何とも言えない思いがしました。というのは、昨年、広島に講演で呼んでいただいたときに、呉市を取材してきたからです。主に、広島に原爆が投下されたときに、父が呉市まで陸軍部隊の一員として救援に赴いたことからこの場に行きたかったのですが、そこで僕はヤマトミュージアムにも訪問してきました。

戦艦大和を記念するこのミュージアム、僕の価値観とは真逆の展示がなされているだろうことは覚悟の上でしたが、実際に行ってみて、深い嘆きを感じざるを得ませんでした。というのは大和は、空母を使った航空戦が主力になりつつある情勢下にあって、「遅れて登場した巨艦重砲主義」を象徴するとされる戦艦で、「無用の長物」の象徴などとも揶揄されてきた船です。
でも僕は、戦略上「無用」だったということよりも、最後に「沖縄特攻」に使われた悲劇の船、いや、兵士の命をあまりに軽んじた旧日本軍を象徴する「無残な船」としての位置の方がはるかに大きいと思ってきました。なぜなら日本海軍は1944年秋のレイテ海戦で壊滅的な打撃を受け、ほとんど戦闘力を失っていました。不沈艦と言われた大和の同型艦(姉妹船)武蔵もこのとき轟沈してしまいました。
日本は、この軍隊と軍隊の戦争の事実上の終結を意味するレイテ海戦の敗北の後に、ただちに連合国に降伏するべきでした。そうすれば1945年3月10日の東京大空襲(死者10万人超)をはじめとする国内80都市にも及ぶ空襲も、沖縄戦も、広島・長崎原爆もなかった。降伏を引き伸ばした日本政府と、むしろそれを好都合に、戦闘というよりも、ただただ一方的な殺戮に等しい空襲を続けたアメリカ政府により、何百万という命が失われました。

その1945年過程において、大和は沖縄に迫り来る米軍に対する「特攻作戦」を強いられたのでした。なんとアメリカの航空機や艦船、潜水艦がうようよいる水域を、航空機の援護もなしに航行していって、沖縄の海岸に乗り上げ、巨砲を撃ちまくることが想定されたのでした。そのために約3000人の乗組員が特攻隊として送り出されました。
しかし、そんなこと現実的にはできようはずもない。沖縄になどたどり着けるはずもなかったのです。事実、瀬戸内から外海に出るや、すぐさまアメリカ軍に発見され、航空機による撃沈ショーのターゲットにされてしまいました。大和は、たくさんの爆弾、魚雷を受けてあっけなく沈んでしまいました。9割近い兵士の命を共にしてでした。
特攻作戦自身の非人道性も、繰り返し指摘されてきたことですが、この作戦は、その特攻にもなってはいなかったのです。ただ沈められにいくためだけの出航でした。もちろん軍部はそれを分かっていた。ではなぜそのような無謀な作戦を命じたのか。あれだけの巨艦を持ったまま敗戦を迎えた時の、国民からの批判を恐れたのが真相でした。

あまりにも理不尽な死の強制。その意味で、命を軽んじた旧日本軍の価値観の象徴なのですが、その戦艦大和を顕揚するヤマトミュージアムに、せめても僕が期待したのは、大和とともに犠牲になった兵士たちへの鎮魂の場があることでした。あまりにも気の毒な兵士たちが、丁寧に弔われていて欲しいと思ったのです。
しかしヤマトミュージアムにそのような場所はありませんでした。ごくごくわずかな情報として、隊員の名簿が掲げられたところがあり、僕はその全てに目を走らせてきましたが、そんなところはほとんどの人が見はしません。
ミュージアムがうたっているのは、大和が当時としてはいかに画期的な性能を誇る船であったのかということでした。そして「その性能は、確かに戦争ではいかされなかったのかもしれないけれども、大和を作った技術こそが、その後に受け継がれ、日本の繁栄をもたらしたのだ、だから大和を作って本当に良かったのだ」と、そうした観点が展示を貫いていたのです。

戦艦大和を作ったことのあらゆる観点からの反省も、大和が「沖縄への特攻ならぬ特攻」に使われたことへの捉え返しも、あたら無駄に死地に連れて行かれた兵士たちへの鎮魂もそこにはなかった。そこには人の命の問題がまったく介在しておらず、命を無視した巨大技術の「誇り」だけが開陳されていました。
「これは間違っている、大きく間違っている、これは何か今の大きなあやまりにつながっているに違いない。命の軽視が未だに続いている」と、そのとき直感的に思ったのですが、今回、台湾原発のことを調べていて、その大和の砲塔を作った旧海軍工廠で、原子炉圧力容器が15基も作られたと聞いて、ああ、ここにこうやってつながっていたのかと、悲しさと憤りが混ざり合ったような気持ちに襲われました。
しかもそこから作られた原子炉が、かつて日本が植民地として領有した台湾に運ばれて、今まさに稼働しようとしているのです。1945年当時、台湾からも沖縄の空に向けて、たくさんの特攻機が飛び立ったのでした。その多くが旧式の飛行機でした。そのためほとんどの特攻機は、沖縄まで到達できず、途中で待ち受けていたアメリカ軍の最新鋭戦闘機に落とされてしまいました。その特攻隊の基地にも慰安所があり、例えば韓国からさらわれたイヨンスさんがレイプをされていました・・・。

アメリカ軍が原爆を落とした広島市からわずか18キロの呉市。呉にも放射能が届き、市民が被曝しました。救援隊の父も被曝したと思われます。その呉市の旧海軍工廠で、アメリカが核戦略の維持のために推し進めてきた原発の炉が次々に作られてきた。なんということでしょうか。
あの1945年はまだ終わっていない。あのときから今日まで、戦争と巨大技術を讃え、命を軽視し、人を軽々と死地においやってきた価値観が連綿とつながっています。そのことが「日の丸原発」と言われる台湾第4原発に象徴されているのではないでしょうか。

しかしそうだとすればこうも言えます。3月9日から11日の日本国内300ヶ所以上の行動や、台湾での10万~20万人の大デモは、この戦前からつながる大きな流れを断ち切ろうとするもの、平和と命を尊重する新たな大きなうねりだということです。
そのように捉え、促進することが必要なのではないかと僕には思えます。戦争と殺戮と搾取の歴史を断ち切るために。

以下、台湾に関する記事と、日本各地の記事を列挙します!

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反原発:リン・チーリンさん呼びかけ台湾で10万人デモ(毎日新聞3月09日)
【台北支局】台湾北東部・新北市に建設中の原発の建設中止を求める大規模デモと集会が9日、台北市の総統府前や南部・高雄などで一斉に行われた。東京電力福島第1原発の事故で、反原発運動とは無縁だった台湾の母親や若者、芸能人も関心を高めており、デモには主催者発表で計10万人超(警察発表計約6万6400人)が参加し、過去最大規模となった。
福島の事故をきっかけに、財界有力者の夫人が「ママさん原発監督連盟」を設立。日本のドラマに出演した女優のリン・チーリンさんも発起人の一人に名を連ねた。来年に予定される新北市の原発の試運転開始を前に、運動は盛り上がりを見せており、社会的影響力の大きい女性たちが反原発を表明している。
台湾では原発は現在計6基が稼働。馬英九(ばえいきゅう)政権も運動の広がりを無視できない状況だ。馬総統は、規定に沿って40年で廃炉にし「徐々に脱原発へと移行する」としたエネルギー政策を打ち出している。

台湾で原発の建設反対のデモ(NHKNEWSWEB3月9日)
東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、原発の安全性に対する不安が高まっている台湾で、建設中の原発の工事の中止を求める大規模なデモが行われました。
台湾では、台北近郊の新北市で2基の原子炉を備えた第4原発の建設が進められていますが、工事のトラブルが相次いでいるうえ、福島での事故を受けて、安全性に対する不安が住民の間で高まっています。
デモは、東日本大震災から2年となるのを前に9日、台北や高雄など4か所で行われ、このうち、台北では警察の発表でおよそ5万人が総統府の前からデモ行進をしました。
参加者たちは「危険な原発は拒絶しよう」などとシュプレヒコールを上げて、第4原発の建設の中止などを訴えました。
参加者の一人は「日本でも福島のような原発事故が起きてしまうのに台湾では突発的な事故に対処できない」と話していました。
第4原発は1999年に建設が始まり、日本のメーカーが原子炉などの主要部分を受注したことから「日の丸原発」とも呼ばれていますが、台湾の与野党の政治的な対立なども影響し、当初の予定より10年以上完成が遅れています。
こうしたなか、建設を継続する立場の台湾当局は、住民投票によって建設の是非を問う方針を打ち出していて、今後の展開が注目されています。

台北で主婦ら5万人「日の丸原発」反対デモ(nikkansports.com3月9日)
台湾の主婦ら約200人が結成した「原発監視ママ連盟」の呼び掛けで、台北近郊の「第4原発」の建設中止などを訴える脱原発デモが9日、台北市中心部で行われ、約5万人(警察発表)が参加した。デモは台湾中南部や東部でも行われた。
同連盟は「子どもたちの未来を守ろう」と、4人の子どもを持つ大手金融機関トップの夫人、陳藹玲さん(51)が中心となって結成。人気女優リン・チーリンさんが加入したほか、著名な作家や歌手らも支持を表明し、脱原発の訴えが社会に広がりを見せている。
総統府の周囲を約6キロ行進したデモ隊には、赤ん坊を抱いた母親など女性の姿が多く見られたほか、大学生などの若者も目立ち、「原発に反対し、子どもたちを守ろう」などとシュプレヒコールを上げた。
第4原発は台北市から約30キロの近郊に建設中で、日立製作所と東芝が原子炉圧力容器を、三菱重工業がタービン発電機を供給し、「日の丸原発」とも呼ばれる。現在の計画では来年、燃料棒を装填(そうてん)し、2015年から商業運転に入る。
だが、ずさんな工事のため、通電テストで電気回路がショートして制御室の照明が落ちるなど2000件以上の問題が起きており、安全性への懸念が出ている。有力テレビTVBSの3月上旬の世論調査によると、68%の住民が同原発の建設中止を求めている。(共同)

原子力を問う 台湾「日の丸原発」第1号
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/nuclearpower/asia_africa/040111_01.html

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山形でデモ行進 脱原発を訴える(朝日新聞3月11日)
脱原発を訴える「幸せの脱原発ウオーキング」が10日、山形市中心街であった。東日本大震災から2年に合わせ、毎月第3日曜日の日曜ウオーキングを1週繰り上げておこなった。
約30人が参加し、十日町~七日町の大通りを「原発反対」「子どもを守れ」と訴えながら練り歩いた。大震災当時、娘と長男の嫁が妊娠中だったという市内の会社役員、長沢英子さん(59)は「怖くて娘たちを外に出せず、日本は安心して子どもも産めない国になったのかと情けなくなった」。市内の団体職員、山野和子さん(65)は「国のエネルギー政策を変えさせるのは簡単なことではないかもしれない。それでもあきらめず、声をあげていく」と話した。

脱原発パレードに300人 市川(東京新聞3月11日)
市川市であった脱原発を訴えるデモ「3・11さよなら原発市川パレード」には約三百人が参加し、仮装したり、プラカードを手に商店街を行進した。
脱原発や被災地の復興支援に取り組む市民団体が主催。参加者は同市大洲の「大洲防災公園」からJR本八幡駅までの約三キロを「原発反対」と声を出しながら練り歩いた=写真。
福島県出身という保育士水野聖子さん(31)=同市=は「地元には原発で苦しんでいる友だちがいる。忘れないようにできるだけ声を上げていきたい」と話した。 (佐々木香理)

東日本大震災から2年 さよなら原発 県内各地パレード(東京新聞3月11日)
東京電力福島第一原発事故から二年を迎えるのを前に、十日、県内各地で脱原発を主張するデモ行進があった。
横浜市鶴見区では、地元有志でつくる実行委員会主催の「考えよう原発鶴見区パレード」があり、二百人が参加。「原発反対」「今すぐ廃炉」と声を上げながら区役所、JR鶴見駅などを巡った。
参加団体の一つ、原発をなくす鶴見の会・準備会の加藤光義事務局長(57)は、「原発に賛成の人もよく分からない人も、一緒に考えないと未来が見えてこない」と、立場を超えた国民的議論の必要性を訴える。
大和市の小田急・相鉄大和駅周辺では「さよなら原発 大和パレード~未来のためにパパママ歩こうよ~」があり、地元の住民や同市に避難している被災者ら約二百七十人が脱原発を訴えた。
参加者たちは「大事なのは子どもたちの未来」などと歌いながら約一時間半歩いた。子どもたちも「バイバイ原発」など書かれた横断幕を手に歩いた。
座間市では「原発ゼロをめざす座間市民の会」が主催する行進があり、子ども連れの女性を含む約百三十人が小田急座間駅周辺を歩いた。同会の中沢邦雄さん(70)は「使用済み核燃料の処理法が定まらない中で、原発再稼働を議論するのは無責任」と指摘した。(志村彰太、佐久間光紀、加藤木信夫)

「脱原発」県内各地で行進 長野500人松本1000人参加(信濃毎日新聞3月11日)
東日本大震災による東京電力福島第1原発事故が発生して11日で2年となるのを前に、県内各地で10日、市民団体などが原発のない社会の実現を訴えて、街頭でデモ行進をしたり、講演会を開いたりした。参加者らは脱原発などを訴えるプラカードなどを掲げ、通行人らにアピールしていた。
長野市の中心市街地では、脱原発を考える県内の市民団体などでつくる実行委員会が、原発のない社会の実現などを訴えてデモ行進した。約500人が集まり、「原発いらない」「今すぐ止めよう」と通行人にアピールした。
参加者は「原発なしの未来へ」などと書かれたプラカードや横断幕を手にしながら、JR長野駅善光寺口周辺を約40分かけて行進。1歳7カ月の次男と参加した同市上ケ屋の主婦、バグショウ恭子さん(42)は「原発による汚染の心配がない未来を子どもに残すため、できる限り行動したい」と話した。
同市では、市民団体「原発に頼らない未来を創(つく)ろうプロジェクト」などが毎週金曜日、長野駅周辺で原発反対行動を開催。同団体代表で、デモ行進実行委の共同代表でもある田沢洋子さん(57)=長野市鶴賀=は「食べ物の安全性への関心も薄れているが、放射能の影響が消えたわけではない。これからも行動は続けたい」と話した。
松本市中心部では、脱原発を目指す中信地方の住民グループや労働団体などでつくる「脱原発信州ネットワーク・松本」が呼び掛けたデモ行進があり、約千人が参加。行進前には、松本城公園で集会を開き、「いのちを大切に ふるさとの空を・大地を・水を大切にと声をあげ続けていきましょう」と集会宣言。その後、「原発なくてもええじゃないか」と声を上げたり、「経済より未来の日本のために原発を棄(す)てよう」と書いたプラカードを掲げたりしながら松本駅前まで歩いた。
福島市出身で松本市の自営業遠藤真哉さん(37)は「原発事故で故郷に帰るに帰れないという友人もいる。いま脱原発の声を上げないといけない」。大町市の農業吉岡博子さん(62)は「原発事故はまだ解決していない。問題への関心が薄れないよう、声を上げ続けたい」と話していた。
このほか、諏訪郡下諏訪町では、諏訪地方の有志でつくる「脱原発すわ連絡会」が脱原発を訴える街頭活動や講演会を開催。同郡富士見町でも住民有志でつくる「原発問題富士見町連絡会」の会員10人が脱原発を街頭で訴えた。
伊那市の中心市街地では、上伊那地方の有志でつくる「さよなら原発上伊那の会」が呼び掛けたデモ行進があった。飯田下伊那地方では、有志による「脱原発・自然エネルギーへの転換を求める飯伊地域連絡会」が、飯田市内で脱原発を訴えて行進し、約150人が参加。大町市でも「震災復興 原発ゼロ3・10行動in大北」(実行委員会主催)が開かれ、約120人がJR信濃大町駅前の集会や市中心街約2キロのデモ行進に参加した。

脱原発訴え、市民らが小田原駅周辺などパレード/神奈川(カナロコ3月11日)
小田原駅周辺で10日、脱原発を訴えるパレードが行われた。市民による実行委員会が企画、約250人が参加した。
参加者は「原発いらない」「子どもたちを守れ」など思いを書いた手作りのプラカードを掲げながら約1時間、駅前の商店街などを歩いた。
家族連れの参加も多く、市内の女性(72)は「意思表明することが大切と思う」、湯河原の女性(42)は「自分のできることをしたい」とそれぞれ感想を語った。
市内のパレードは1年前に続いて2度目。福島など被災地の現状を追ったドキュメンタリーの無料上映会も開催された。
県内では横浜や大和などでもパレードが行われた。

「脱原発」訴え集会 熊本市 キャンドルウォークも(西日本新聞3月11日)
東日本大震災と福島第1原発事故から2年を前に10日、脱原発を訴える「3・11さよなら原発くまもと集会」が熊本市中央区の辛島公園であり、多くの市民が参加した。
県内で活動するミュージシャンらが脱原発を題材にした歌などを披露。参加者たちは、手拍子でリズムを取りながら聞き入ったり、一緒に歌うなどして楽しんだ。
日没前、参加者たちは「脱原発」「福島を忘れない」などと書いた紙コップの中にろうそくをともし、同公園から中心繁華街までデモ行進。「上を向いて歩こう」などを歌いながら商店街を練り歩き、脱原発を訴えた。

震災から2年控え集会 参加者が脱原発訴える(日本海新聞3月11日)
東日本大震災から丸2年を前に、原発再稼働反対やエネルギー政策の転換を求める集会が10日、鳥取県の米子市文化ホール前広場であった。中国電力島根原発(島根県松江市鹿島町)の廃炉を目指そうと、参加者が脱原発への思いをリレー形式で語った。
「山陰放射能汚染を考える会」「さよなら島根原発ネットワーク」など約10団体のメンバー有志でつくる実行委員会が企画した。
リレートークは10人が参加。福島第1原発事故をめぐる政府や東京電力の対応が後手に回ったことを批判し、島根原発について「共存できない」などと気勢を上げた。
このうち山本喜一さん(68)=米子市橋本=は太陽光や風力、バイオマスといった自然エネルギーの推進を呼び掛け、小椋あけみさん(39)=境港市幸神町=は「子どもたちに命を守る大切さを伝えるのが私たちの使命だ」と訴えた。
会場では、放射能汚染や震災がれきの実態を伝える新聞記事や資料の展示があり、訪れた親子連れらが足を止めてじっくりと見入っていた。

「原発いらねえ!」 高知市で800人デモ(高知新聞3月11日)
東日本大震災から2年を前にした10日、高知市で脱原発を訴える集会「3・11を忘れない!原発ゼロ大行進」が行われた。約800人(主催者発表)が参加し、脱原発の思いを歌に乗せ、市中心部を行進した。

作家ら「経済より命」脱原発訴え 都内で講演会、会場は満席(東京新聞3月11日)
東電福島第1原発事故を受け、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発1000万人署名」運動に取り組む団体が11日、都内で「つながろうフクシマ!さようなら原発講演会」を開いた。
ルポライターの鎌田慧さんは「安倍政権は経済だけを言っているが、経済より命だと世界に向かって示したい」と訴えた。
署名活動の呼び掛け人の音楽家坂本龍一さんや作家の沢地久枝さんも参加。
経済評論家の内橋克人さんは「多くの人が脱原発を叫んだのに、なかったことにされようとしている」と話し、原発事故に遭った人々を忘れてはならないと呼び掛けた。
約千人を収容する会場は満席となった。

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