2012.12.05

明日に向けて(594)放射能時代の産婦人科医療(3)

守田です。(20121205 22:00)

放射能時代の産婦人科医療の3回目をお送りします。今回は、戦後の産婦人科医療の大きな発展の中で、お産は無事に行われて当たり前という風潮が広がってしまい、妊婦の死亡が一定の確率で起こっていることへの理解が低まり、医師がバッシングされるケースが増えていることや、さらに警察権力による医師の逮捕までが重なったことなど、極めて厳しい状況が続いてきたことを紹介します。
産婦人科の医師たち看護師たちが、過酷な労働を行いながら、社会からあまりに不当は扱いを受けていることが理解できると思います。

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放射能時代の産婦人科医療(3)

安全性の高まりと訴訟の増加

次に見ておきたいのは、全体としての安全性の高まりが、皮肉にも訴訟の増加の要因にもなってしまっているという点です。
先にも見たように、産婦人科では今、ハイリスク分娩が増加していますが、ず産科医療の飛躍的発展によって、全体としての安全性はかつてないほどに高まっています。ところが本来、喜ぶべきこの事態が、医師たちに新たな困難を強いる結果を生み出してもいるのです。

お産の現場では、今から50年以上前、国民皆保険制度が確立する以前の1955年には、1年間に分娩によって3095人もの妊婦が命を落としていました。出産10万人に対する妊婦死亡数は161.7人。胎児・新生児の死亡率も高く、周産期(妊娠22週目から、生後7日目まで)の死亡率は、出生1000人当たり43.9人でした。こうした死亡率の高さは、多くの出産が自宅で行われ、必要なときに充分な医療が受けられないことを要因としていました。
これに対し、この後に国民皆保険制度が確立する中で、病院・診療所での分娩が増え、2004年にはその率が99%に達しました。これとともに安全性は飛躍的に増し、この年の妊婦の死亡は49人、出生10万人に対して4.3人となりました。周産期死亡率も、出生1000人に対して5.0人にまで縮まりましたが、これは米国の7.1人、英国の8.0人を上回る数値です。日本の周産期医療はこの50年の間に、世界トップクラスの水準にいたったのです。

ところがこうした進歩によって、「分娩は安全なもの。妊婦も子どもも安全に戻ってきて当然」という過度な安心感が広がり、極めて低くなったとはいえ、いまだ一定の割合で生じる妊婦や胎児・新生児の死亡などの不幸や、障がいの発生を、家族や近親者が受け入れられず、医療紛争に発展するケースが増えてしまいました。
ある研究(大屋敷英樹2007)によれば、最高裁の調べで、2004年の医療訴訟は1110件ありましたが、このうち産婦人科医を相手取ったものは151件(13.6%)でした。これを産婦人科医師1000人当たりに換算すると12.4件になります。全診療科平均の3.3倍で、外科を上回るもっとも高い割合です。産婦人科医が一生のうちに訴えられる確率は3割から4割といわれ、訴訟にいたらない紛争は、この10倍と見積もられるといいいます。(大屋敷英樹「読売ウイークリー」2007年11月11日号90-94頁)

分娩現場の現状

産科医療では、こうした訴訟の増加のために医師が減少してきたわけですが、この結果、現場はどのような現状にあるのか、日本産科婦人科学会の「学会のあり方検討委員会」が2005年に行なった「全国周産期医療データベースに関する実態調査」から見ていきたいと思います。
この調査では、厚労省の調査で2004年12月31日現在の産婦人科医師数が10163人と報告されたものの、2005年12月1日現在で実際に分娩に携わっている医師数は、7985人に過ぎないことが分かりました。産婦人科や産科を標榜していても、相当数の医師が、分娩から撤退しているのです。
さらに医師たちの勤務形態は、病院では1人での勤務が187施設、2人が299施設、3人が286施設、4人が159施設、5-9人が236施設であり、4人以下の病院が78.4%。診療所では1人が1214施設、2人が452施設、3人以上が99施設であることが分かりました。
年間の分娩への医師1人当たりの関わりは、全国平均で139回。3日に1回以上の頻度ですが、都道府県でばらつきがあり、最も多い埼玉県では268回!もありました。最も少ない徳島県の82回、鳥取県の88回の3倍以上の数でした。埼玉県の医師たちは、平均1.36日に1回の割合で、分娩に関わっていることになります。

これらから医師たちの勤務の現状がより明らかになってきます。産婦人科医師1名で分娩を担っている病院は、全国に187施設ありましたが、この場合、当該の医師は、365日24時間、オンコール状態にあり、毎日が宿直と同じような状態にあります。医師は、遠出はもちろんのこと、飲酒することもままならず、休息や睡眠も不断に途切れてしまいます。
産婦人科医師1人体制の病院は、埼玉県にも3施設あると報告されていました。また最も多いのは北海道で13施設、それに継ぐのは福島県で11施設でした。
いずれも2005年の統計で、現在にいたる変化を把握できてないので、リアルな現状とは言えないかもしれませんが、産婦人科医がどれほど過酷な状況におかれてきているのかがこの統計から見えてくると思います。

2006年に続いた産婦人科医師・看護師の逮捕!-1

このような状態で働く医師たちに、さらに大きなダメージをもたらす事件が2006年にあいついで3件も起こりました。2月の福島県大野病院医師逮捕事件、8月の横浜市堀病院助産事件、同じく8月の奈良県大淀病院妊婦死亡事件です。奈良県では2007年8月にも未受診妊婦死産事件が起こっています。ここではこのうちの前2者を検討したいと思います。

福島県大野病院医師逮捕事件
この事件は、2004年12月に同病院で行われた帝王切開手術において、出産後に産婦が出血多量で死亡したことに対し、福島県警が2006年2月になって、執刀医師を業務上過失致死罪と、医師法21条(異状死の届け出義務)違反により逮捕した事件のことです。
逮捕された当時39歳の男性医師は、それまで担当医師1人体制で、地域の分娩を支えていました。医師はこの病院に勤務していた1年10ヶ月の間に、分娩約350件を行ない、そのうちの約60回で帝王切開手術を行なったそうです。これだけでも過酷な労働実態が垣間見えますが、この医師が激務の末に逮捕・拘留されてしまったのです。

治療を行なった医師が、刑事犯として逮捕、拘留されたことに対して、日本産科婦人科学会や日本産婦人科医会、日本医師会をはじめ、各医学系学会や、各地医師会などが抗議声明を発表しました。多くの医師が、その後明らかになった事実分析から、「当該事故は医療過誤ではない」と主張しました。またかりに過誤の可能性があったとしても、刑事罰として裁くのはあまりに不当であるとの主張もなされました。
このように抗議がなされはしたものの、この事件は、多くの産婦人科医の分娩現場からの離脱を促す結果を生み出しました。とくに県立大野病院に近い福島県いわき市では、産科を廃止する施設が相次ぎ、人口36万人の都市に、分娩を扱う施設が12年前の半数の2病院6診療所しか残らず、その2病院も分娩制限をはじめました。とくに周産期センターでもある共立病院では、医師が減ったことから、ハイリスク分娩のみを扱い、自然分娩の扱いから撤退するにいたりました。

逮捕された医師は、その後に起訴されて裁判にふされ、検察は2008年3月21日に「安易な判断で医師への社会的信頼を害した」「基本的な注意義務に反し過失は重大。公判で器具の使用をめぐって供述を変えるなど責任回避のため、なりふりかまわぬ態度に終始している」として、禁固1年、罰金10万円の論告求刑を行いました。
これに対して福島地方裁判所は8月20日に被告人の医師を無罪とする判決を言い渡し、検察側が控訴しなかったことで無罪が確定、医師は犯罪者の烙印を押されずに済みましたが、懸命になっての治療の果てに、医師が「業務上過失致死罪」で逮捕され、長きにわたって拘留され、裁判にかけられたという事態そのものが多くの産婦人科医師たちやスタッフたちの心を深く傷つける結果をもたらしました。
 
横浜市堀病院事件
堀病院事件は、同病院が医師と助産師にのみ認められている「内診」という助産行為を、看護師や准看護師に行わせたために違法にあたるとして、2006年8月に神奈川県警による同病院への家宅捜査が強行され、9月に院長と看護師ら11人が書類送検された事件のことです。
「内診」は、陣痛の始まった妊婦の参道に手を入れ、子宮口の開き具合を調べることで、出産の進行状態を把握することですが、日本産婦人科医会は、陣痛の初期である「分娩第1期」での内診は「助産行為」ではなく、看護師の業務である「診療の補助」にあたるとして、長らく看護師が行っても問題はないとしてきたのでした。それだけでなく、分娩が自宅から病院・診療所に移りはじめた1960年代に「産科看護研修学院」という研修機関を各地に設け、内診を行う看護師の養成も行ってきました。
ところが2002年と2004年の二度にわたり、厚労省から、内診は助産行為にあたり、看護師が行うことは認められないという通達が全国に配布されました。この時点で助産師は全国で2万6千人が就労していましたが、7割が病院勤務で、診療所勤務は2割弱であり、助産師がいないために看護師が内診を行っている診療所もたくさんありました。分娩は病院と診療所でほぼ半数ずつが行われていたため、通達が出されても、助産師を十分に確保できない多くの分娩施設で、看護師による内診が継続されていたのです。

にもかかわらず看護師による内診が犯罪にあたるとして、警察の強制捜査の対象となったことにより、多くの分娩現場が混乱に陥入りました。日本産科婦人科学会や日本産婦人科医会は、抗議声明を発表し、従来の主張を繰り返しましたが、厚労省も通達の正当性を主張して譲りませんでした。こうした中で検察は、書類送検した院長と看護師らの起訴猶予を決定。裁判が回避され、この件に関する司法判断は下されませんでした。

その後、2007年3月30日に、厚労省は再度、通達を出し、看護師の内診を原則禁止とすることが主張されました。ただしこの文章の内容を、看護師の内診を事実上、容認したものとする解釈もあらわれるなど、その後も混乱が続きました。

続く

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