2015.09.01

明日に向けて(1139)スコットランド啓蒙思想の何に学び、何を受け継ぐのか-連載最終回

守田です(20150901 15:00)

8月30日に京都市のかぜのねで行った以下の企画に向けた論稿の5回目、最終回です。

日本の社会活動のあり方を考えよう
-スコットランド啓蒙思想の対話性と現実性に学ぶ-
https://www.facebook.com/events/795032107261199/

5、スコットランド啓蒙思想の何に学び、何を受け継ぐのか

スコットランド啓蒙思想の成り立ちを追ってみると、私たちはそこに、現世肯定主義ゆえの人間の利己的な側面に対する理解と、それがもたらす寛容さを学ぶことができます。
そこではそれまでのキリスト教の教義によって一義的に否定されてきた、自分の欲求を満たしたいと言う意味での利己心が、社会発展の原動力であるとも捉え返されるとともに、それを大らかに容認すればこそ人間をつなげるシンパシイが重要視されたのです。
このことは次のことも意味します。近代的自我の発達とは、利害関係の当事者としての己の自覚とパラレルであったのであり、同時にそれは利害を異ならす他者の承認の義務を伴ったものであったということです。

要するに己の利己心の肯定は、他者の利己心の尊重でもあり、そこから互いに利己的な主体が、相互に尊重しあえる根拠の洞察が不可避的に生まれたのだということです。
それがヒュームにおいてはシンパシイの洞察として、アダム・スミスにおいては市場経済の研究として、さらに後年のベンサムにあっては法制度の改革として目指されたのでした。
そこで共通するのは利己心をもった人間に社会的サンクション(賞罰)を加え、利他性を引き出すことで、より高貴な存在へと導こうとする考察であり、そこにはぜひとも学んでいくべきものが横たわっていると思えます。

とくに重要なポイントは、カルヴァン主義的原理主義への対抗から、人間の本質は何であるのかと言う原理主義的な方向にではなく、具体的に目の前に存在する利己性をもった近代的人間に関しての考察に進んだことです。
その分だけ、そこでの発想には多分にリアリティを持つことが可能になったのではないかと思えます。
それは大陸合理論やドイツ観念論の系譜には欠けていたものであり、その影響を大きく受けている日本において、あるいはヘーゲル主義の止揚の上に開花したマルクス主義にも欠けているものとして学ぶことが必要であると思えます。

なぜならこうしたスコットランド啓蒙思想を継承し、「功利主義思想」に発展させていったジェレミー・ベンサムやJ・S・ミルらの思想が、私たちの国では「損得勘定論」というネガティブなイメージでしかとらえられてこなかったからです。
そのことを象徴するのが、功利主義の中心概念が「快楽・苦痛原則」と翻訳されてきたことです。僕はその点に注意をしていただきたくて「快楽(喜び)」と書いたのですが、この言葉のもともとの英語はpleasureです。
「喜び」「楽しさ」「愉快」「満足」などと翻訳されることの方が多い単語なのです。これに対して日本語の「快楽」には否定的ニュアンスもまとわりついています。「快楽」を貪るとはいいますが、「喜び」を貪るとは言わないようにです。

この「快楽主義」を戦前の軍国主義日本は強く否定しました。「滅私奉公」だとか「欲しがりません、勝つまでは」などというスローガンが叫ばれたわけですが、まさにそれはスコットランド啓蒙思想が肯定しようとした利己的な人間像の極端な否定でした。
「お国のために己を捨てる」ことが繰り返し強調され、その果てに若者を特攻機にのせて体当たりさせる自殺攻撃までもが繰り返されました。
今、イスラム圏で行われている同じような捨て身の攻撃を日本では「自爆テロ」などと報道していますが、もともと近代において大々的にこの自殺攻撃を行ったのは日本であったことを私たちは知っておく必要があります。

さらに戦後から連綿と続いてきた私たちの国の中での民衆運動も、こうした「大義主義」とでも言うものから自由ではなかったのではないでしょうか。
その時々の社会運動の意義が過度に強調されて「大義」となり、その大義に異を唱える者に粗暴な態度がとられてきたのではないか。また運動の中にあってすら、互いの意見の違いを尊重しあえない不毛さを私たちは経験してきたのではないでしょうか。
そのことが民衆運動の中の弾力性や意見の多様性による豊富化の芽を摘み取り、結局、権力者によって度々、民衆が分断されてしまうことに結果してきてもいるのではないか。こうした点から私たちはスコットランド啓蒙思想に学ぶものがあると思うのです。

ただしそうはいっても次のことを押さえておくことも同時に必要です。アダム・スミスが期待をかけた市場の現実は、彼の晩年の問題意識性に沿った発展をみないままに、やがて市場争奪戦へと世界史的に「発展」し二度の大戦すら生んだことです。
さらにそれを越え出た現代においては、マーケッティングによる欲望そのものの資本による組織化の場へと市場は拡張し、結局それは生産力の拡大をもたらし続けて、資源の浪費と環境破壊を生み出し続けてきました。
その意味で「快楽苦痛原則」に基づいた功利主義が、金儲け主義と結合し、快楽の量が金銭で測られる事態へと変貌してしまって、社会を危機に陥らせていることも歴史的事実です。功利主義に批判的見解が多いのはこの事実があるからでもあります。

その点で「功利主義のパラドックス」と呼ぶべきものが解き明かさなければならないし、いわんや日本の現実の矛盾をただ「功利主義思想が欠けていた」からであるとはまったく言えないことも強調しておきたいと思います。
功利主義には功利主義で捉え返されるべきものが大きくあります。しかしそれを踏まえて、再度、繰り返しますが、私たちの文脈に欠けているものとしてのスコットランド啓蒙思想が課題としたユニークな人間像の追及に学ぶことの意義を強調したいです。
カルヴァン主義が示した不寛容性と何ら変わらないような対立を繰り返してきた日本の民衆運動のあり方をこうした思想にも学びながら越えていきたいです。

おりしも8月30日には全国で戦争法案反対のたくさんのデモが起こりました。東京では12万人が集まったとされていますが、多くの人が改札をなかなか出られない状態で、実際にはのべで35万人はいたとも言われています。
これと同時に全国47都道府県で行動が取り組まれたと言われており、その数も300か所、370か所、1000か所とまだ数え切れていないほとです。
私たちには確かな「平和力」がある。ラディカルなデモクラシーが成長中です。それをさらに発展させるためにも、自由主義の核心問題である「寛容の精神」を互いに身に着けていきましょう。

以上を持って連載を閉じたいと思います。

終わり

・・・今回の連載を踏まえて、次には功利主義思想の祖であるジェレミー・ベンサムについての検討を行いたいと思います。次期をみて連載にチャレンジします。

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