2015.06.14

明日に向けて(1093)戦争と平和の岐路に立ち真の平和を展望する(自衛隊の考察-1)

守田です。(20150614 10:00)

みなさま。ここ一週間ほどしつこい風邪のためあらゆる活動が停滞し、「明日に向けて」の執筆ができませんでした。
また5月の毎土日に講演があり、そのつど新しい内容を盛り込む必要があったことなどから、講演準備に時間がかかり、そのときも「明日に向けて」の執筆が滞りがちでした。
結果的に記事の出せない日をずいぶん書けない日を重ねてしまいました。情報を待ってくださっている方にはとても申し訳ないことと思っています。再度、頑張って情報発信していきますのでよろしくお願いします。

さて今回は記事に「戦争と平和の岐路に立ち真の平和を展望する」というタイトルをつけました。「戦争と平和の岐路」と書けば、安倍政権が集団的自衛権を強引に押し通そうとしている今日の状況のことだと多くの方が考えられると思います。
確かにこのことを意味してもいるのですが、ここではもう少し違う意味も込めています。
これまでこの国は自衛隊に戦闘行為はさせてはこなかったけれども、さまざまな形でアメリカの戦争に加担してきました。とても胸をはって「平和国家」とは言えないと思います。
そのことを反省的に捉え返し、本当の平和の道を歩んでいこうではないかというのが今回主張したいことです。

そのために今一度、ここで捉え返しておきたいのは自衛隊の位置性です。
今、国会では集団的自衛権の違憲性が野党によって繰り返し追及されています。この流れに弾みをつけたのは、国会に与野党推薦の参考人として招かれた憲法学者3人が、口をそろえて「集団的自衛権は違憲だ」と唱えたことです。
この後、200人以上におよぶ憲法学者が連名で「集団的自衛権の行使は違憲」という判断を示しています。
これに対して管官房長官は「合憲だと言う学者はたくさんいる」と述べたものの、民主党辻本清美議員の追及に対しては3名しか名をあげられず、みずから「たくさんいる」と述べながら「数の問題ではない」と逃げ口上を唱えることしかできませんでした。

僕も集団的自衛権の行使は当たり前の話として憲法違反でありとても認められないことだと思いますが、しかしここで強調したいのはそれでは個別的自衛権はどうなのかということです。
まず考え方の問題としてではなく最高裁判所の判断を持ちだすならば、個別的自衛権を自衛隊によって行使することに合憲判断が出されたことは一度もないことを私たちは確認しておく必要があります。
これが自衛権をめぐる裁判上の事実問題です。集団的自衛権の行使を認めるどころか、自衛権を自衛隊と言う組織を使って行使することそのものに、最高裁は一度として合憲判決を出してないのです。
反対に自衛隊の存在を違憲とする判断も示されてはいません。最高裁はこの点では判断を避け続けているのが実情なのです。

ここで私たちが再度、考え直すべきなのは自衛隊は合憲かどうかということです。というよりも私たちがのぞむ国のあり方において自衛隊は必要なのかどうかを考える必要があるということです。
そこで自衛隊とはそもそも何なのかを考える必要があります。そのためには自衛隊がどのように作られてきたのかを見るのが一番です。ものの本質は歴史的生成のなかにあるからです。

自衛隊はいつ、誰によって、なぜ作られたのでしょうか。
自衛隊の前身は「警察予備隊」でした。1950年8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」により設置されたのです。何のことはない、占領軍であるアメリカの命令で作られたのです。これこそアメリカの押しつけの産物です。
なぜアメリカは「警察予備隊」を必要としたのでしょうか。この年の6月25日に「朝鮮戦争」が勃発し、当時占領軍として日本各地に駐留していた米軍の多くが朝鮮半島に出撃してしまったため補完勢力を必要としたからでした。

では何の補完だったのでしょうか。日本に攻めてくる勢力への防衛の補完でしょうか。まったく違います。そもそも当時の駐留米軍に日本を他国の攻撃から守るという意識はまったくありません。そのように取り交わされた文言もありません。
駐留米軍の主な目的は治安維持だったのです。何よりも米軍が意識したのは1945年に自らが武力で倒した旧日本帝国主義が今度は日本の民衆革命によって下から倒されることでした。もっとも恐れられたのは日本共産党を中心とする左派の人々でした。
この米軍の危機感を大きく促進したのが日本軍のアジア大陸からの敗退以降の国共内戦による中国共産党の勝利と、1949年10月21日の中華人民共和国の設立でした。

・・・過去の時代を見るときに、私たちは今の私たちのもっている感覚にひとたび蓋をしてみる必要があります。蓋をして当時の雰囲気の中に身を潜めてみなくてはいけません。
1950年はまだ第二次世界大戦が終わって5年しか経っていない時期です。しかもアジアでは中国大陸で激しい国共内戦が闘われ、6月からは朝鮮戦争も始まっていました。
「武器によって正義をうちたてる」ことがまだまだ当たり前の常識とされた世情であり、しかも日本の男性の大半はついこないだまで軍隊につながれて武装訓練を受けてきていました。だからこそ武装反乱が警戒されたのでした。

朝鮮戦争はアメリカにとっても不意打ちであったとされています。とくに初期の戦闘で韓国軍が総崩れしてしまったことはアメリカにとってもあまりに意外なことでした。そのためアメリカは急きょ、日本占領軍を朝鮮半島に投入しました。
しかし治安部隊であるアメリカ軍がいなくなってしまった間に、日本で反政府暴動が起こり、武装革命に発展した場合に押さえる勢力がない。そう考えてアメリカがポツダム政令という強制権を発動して作り出したのが「警察予備隊」だったのです。
反政府暴動というと今では「怖い」というイメージを感じる方が多いと思いますが、当時の日本には侵略戦争に駆り出された元兵士たちがたくさんおり、政府への怒りから今度は銃口を政府に向ける可能性も確かにあったのです。

つまりアメリカ軍が恐れたのは日本における武力革命の勃発だったのです。だからこそ「警察予備隊」という名前で、警察力を補完するという建前のもとに部隊を作ったのでした。
たちまち75000人が招集され、与えられたのはアメリカ軍の標準装備であるM1ガーランド銃と戦車でした。予備隊でありながらすでにして警察力を上回っていました。この矛盾を隠すために「戦車」は「特車」と言い換えられました。
しかし警察予備隊はわずか2年で保安隊に名称を変えていきます。1952年4月28日に連合国と日本国との間で平和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効し、ポツダム命令が原則として180日以内に失効してしまうこととなったからです。

このため1952年10月15日に警察予備隊は「保安隊」へと改編され、さらに1954年3月に日米相互防衛援助協定が結ばれる中で「自衛隊」への改編が行われました。
ここで日本は、日本国の防衛を自ら行うことをなんとアメリカに義務づけられたのでした。こうして主に治安目的で発足した警察予備隊⇒保安隊⇒自衛隊に日本の防衛目的が付け加えられました。
治安目的から発足した部隊に、国土防衛の任務を後から与えられたのが自衛隊の誕生の実相でした。

このように歴史を辿ってみると見えてくるのは、そもそも自衛隊は第一の「敵」を、この国に住まい、政府に怒りを持っている人々として発足した組織なのだということです。
肝腎なことはその任務が今では無くなっているかどうかですが、実は今もはっきりと残されているのです。自衛隊法を読めばしっかりと明記されています。
次回にこの点を見ていきたいと思います。

続く

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