2015.01.15

明日に向けて(1014)アウシュヴィッツを訪れて(ポーランド訪問で学んだこと-2)

守田です。(20150115 22:30)

昨年12月17日に「京都被爆2世3世の会」の拡大総会での話を、同会の平信行さんが起こしてくださったので、それをもとに報告記事を書いています。
講演の時はたくさんのスライドをお見せし、同会の会報にもそれを載せていただいているのですが、ここでは写真を使っていないため、その分を文字によって補うことにします。

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ポーランド訪問で学んだこと-2
-ユダヤ人をめぐる歴史の深層を踏まえつつ、チェルノブイリ原発事故による被ばくの現実を捉えなおす
2014年12月17日学習会 守田敏也

■ポーランドの独立回復とドイツ・ソ連による侵攻・分割
1917年のロシア革命と第一次世界大戦終結により、1918年、ポーランドは独立を回復しました。
しかし、1939年、ポーランドはナチスドイツとソ連から攻め込まれました。独ソ不可侵条約締結によってドイツとソ連によって分割されることになったのでした。このことが、アウシュビッツなどの「収容所」がドイツ国内ではなく、たくさんのユダヤ人の住むポーランドの中に作られた理由でした。
さらに1941年、ナチスドイツはポーランドを足場に、ソ連侵攻=バルバロッサ作戦を展開するに至りました。

ポーランド一帯がドイツとソ連に分割された時、ウクライナ地域ではナチスの力を利用してソ連の侵攻に抵抗する勢力がありました。
その勢力は第二次大戦後のソ連領時代に徹底して弾圧され、その勢力の名前も聞かれなくなってしましたが、ソ連崩壊やウクライナの独立を経て復活してきました。これらの人々がネオナチを形成しています。
しかも2014年2月のウクライナの政変による新政府発足を機により台頭し、新政府内の一部を構成するに至っています。

■アウシュヴィッツ
アウシュヴィッツは最初からユダヤ人殺害のための収容所として作られたわけではありませんでした。最初は「強制収容所」と言われ、主にポーランド占領に抵抗したポーランド人やソ連軍捕虜の収容を目的に作られました。
その後徐々にユダヤ人、ロマ・シンティ(ジプシー)、障がい者などに収容が拡大し、ヨーロッパ中からこうした人々を集めてくる所になっていきました。
最終的には収容所の目的がユダヤ人の絶滅に転換されて「絶滅収容所」となっていきました。このためアウシュヴィッツに送られたユダヤ人の4分の3は、実際は収容されることもなく、直接ガス室に送られて殺害されてしまったのです。
このためアウシュヴィッツでは何人の人が殺されたのか正確にはどうしてもわからないのだそうだです。一説に150万人とも言われています。
ちなみに、当時のポーランドに住んでいたユダヤ人は約300万人、生き残った人は約5万人、したがって約295万人のユダヤ人がポーランド一帯で殺されたことになります。ヨーロッパ全体で殺されたユダヤ人は600万人ですから、その半分がポーランドに住んでいたユダヤ人ということになります。
現在のポーランドにはユダヤ人はほとんど住んでいません。戦後にも迫害があったためです。悲しい現実です。

この施設を日本人ガイドの中谷剛さんの説明を受けながら歩きました。この地にはアウシュヴィッツの他にビルケナウというより大きな収容所があります。映画『シンドラーのリスト』の撮影なども行われたところです。
まずアウシュヴィッツ博物館に入館しました。入口の門にはドイツ語で「働けば自由になる」というスローガンが書かれています。もちろん嘘です。ユダヤ人を少しでも安心させようとしたのでしょう。
中に入ると絞首刑場などがありました。抵抗する人々がいると見せしめで処刑していたのでした。

この敷地にはたくさんの建物が並んでいます。もともとポーランド軍の営倉だったそうで、それ自身はしっかりとした建物ですが、その中にたくさんのユダヤ人やロマ・シンティの人たちなどが詰め込まれていました。
それぞれの建物に展示があり、次々と建物に入ったり出たりを繰り返します。世界中からいろいろなグループが数十人単位で訪れていて、それぞれをその国の言語を話すガイドが率いています。
夕方までの入館はガイドと一緒でなければできないのですが、実際に何も知らずにここを訪れても、外観は違いのない多数の建物のどこに入れば良いか分からないでしょう。
ガイドたちは非常に巧みに、たくさんの見学者が重ならないように、次々と展示場を案内していきます。

館内にはいろいろなものが展示されていました。やはり胸が痛くなるのは当時の人々が持参したものでした。たくさんのトランクがありますが、「名前を書くように」と言われて、出身地と名前が記されていました。それらのカバンが主を失ったままむなしく積み上げられていました。
あるいは人々が最後まで持ち歩いた食器もたくさん展示されていました。無数の靴、メガネなども積み上げられていました。
目を覆いたくなるのは、死体から取られた女性の髪がつみあがったものでした。ナチスはこれを使い、布地の製作までしていました。どれだけの製品がここから世の中に送り出されていったのでしょう。

当時の様子を記録した写真も多数残されていました。その中で印象的だったのは、ヨーロッパ中からビルケナウにまで通じてきた鉄路の果てに貨車から降ろされたユダヤ人を、ナチス・ドイツの将校と軍医が「振り分け」ているシーンでした。
強制労働に「使う」か、そのままガス室に送るかを判別しているのでした。そこでガス室側に振り分けられた無数の人々が、何も知らずにガス室に向かって列をなしていました。
その中には子どもと母親たちの姿がたくさんありました。ナチスは子どもは労働力にならないとすぐに殺していたのです。このとき母親も一緒にガス室へと送られました。その殺される直前の母と子が写っていました。

もっとも鮮烈な印象の残るのは再建されたガス室でした。天井に無数の穴があけられていました。そこから殺虫剤のチクロンBが投与されて、瞬く間に人々が殺害されたのでした。その部屋を出るとすぐに焼却施設がありました。
こうした展示の中を次から次へと説明を聞きながら歩いていきましたが、中谷さんが繰り返し「文芸もさかえ、知的活動も活発に行われいたドイツでこんなにひどい殺害がなされたのです。それがなぜなのかぜひ考えてみて下さい」と語られているのが印象的でした。確かにここで行われたのはあまりにも酷い罪です。二度と許されてはならないことです。犠牲になった方たちの痛み、苦しみをこそ、私たちは永遠に分かち合っていかなくてはならないと思います。それがこの場が私たちに教えてくれていることでした。

同時に実際にこうして歩いてみた私の感想は、「確かにここはたくさんの方が悲惨に殺された場だけれども、とても丁寧に慰霊がなされているのではないか」ということでもありました。
博物館になってから物凄く多くの人々が訪れており、花が手向けられ、虐殺のひどさにみんなが胸を痛めてきていて、当日も多くの方が死を悼んでいました。僕自身も何度も手を合わせました。僕はたくさんの方が亡くなった場への訪問なので、ある種の覚悟をしていったのですが、僕にはここで亡くなった方たちは、もうここで彷徨っていることはないのではないかと感じられました。

比較するのは全く失礼ではありますが、津波被害のあった直後の三陸海岸を通った時の方が、肌に感じる、何とも言えない、自分が不安になるようなものを感じたことを思い出しました。まだそのころは全く慰霊がなされておらず、酷い復興政策ばかりがハイライトされていた時期だったからかと思います。アウシュヴィッツ博物館には、確かにものすごい痛みがありますが、一方でそれをシェアしようとするものすごい力も満ちていることを感じたのです。
アウシュヴィッツには今でもたくさんの人が訪れてきています。特に若者が多い。若い人がこうしてたくさん訪問してきて、この痛みを自らのものとして引き受け、人類が犯した罪と向き合うのは僕にはとてもいいことだと思えました。
僕自身がさまざまな戦争の被害や加害の実態に、自分の人生の中でずっと向き合って生きてきていたので、こうした場を訪れるある種の心構えができていたために、それほど深いショックを受けなかったのでもあると思います。
アウシュヴィッツ博物館には確かにあまりにも残酷な虐殺の証拠や記録が示されているわけですが、その多くを事前に学習してもいたので、事前に本から感じた通りの印象を受けたという感じがしました。

それよりも、現代のことに関わる問題ですごくびっくりすることになりました。
先にも述べたように、この博物館には各国の人々が訪れてきていて、狭い館内で何度もすれ違います。その度にガイドの中谷さんがどこの国からの来館者なのかを教えてくれます。ドイツの若者もいました。「ドイツ人は一番勇気がいるでしょうね」と中谷さん。
その中で説明されずとも一目瞭然の団体がいました。イスラエルから来た若者たちです。なぜすぐに分かるのかと言うと、何枚ものイスラエル国旗を手に手に歩んでいるからです。キッパというユダヤ教徒が被る小さな帽子を頭に載せている大人の方も一緒にいます。
「この方たちはみんなここで亡くなった方たちの遺族です」と中谷さん。そうです。600万人が殺されているということはそういうことなのです。
若者たちはみな高校生ぐらいの年齢に見えました。修学旅行のようなもので訪れているのではないでしょうか。とすればこの若者たちは帰国後に徴兵されるのではないか。そう思いながら一行を見ていると、ちょうどドイツの若者たちとすれ違っていきました。
「こうしたこの場でのすれ違いが大事なんです」と中谷さんが語りました。

続く

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