2015.01.14

明日に向けて(1013)ポーランド訪問で学んだこと(20141217学習会より-1)

守田です。(20150114 23:30)

世界情勢を俯瞰する連載の途中ですが、昨年末に行った「京都被爆2世3世の会」の拡大例会で行ったポーランド訪問報告会の内容を文字起こししていただいたので、多少、手を入れてここにも掲載することにしました。
文字起こししてくださったのは、同会代表の平信行さんです。僕の話した問題意識をとても良く受け止めて下さり、同会の会報用に文字起こし下さいました。前回に続く文字起こしです。講演でお話したことを文字起こししていだけることはあまりないので本当にありがたいです。心から感謝申し上げます。
なおヨーロッパ・トルコ訪問にまつわる報告会は12月に5回開催しましたが、この時の会だけポーランドに特化してお話しました。そのため他の会場では話せなかった細かい内容が盛り込まれています。
すでに「ポーランドを訪れて」という連載の中でも触れてきてはいますが、現代の世界の問題にも深くつながっているので、ぜひもう一度、読んでいただけたらと思います。なお起こしていただいた文章は「である調」ですが、ここでは「ですます調」に直して掲載します。

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ポーランド訪問で学んだこと
-ユダヤ人をめぐる歴史の深層を踏まえつつ、チェルノブイリ原発事故による被ばくの現実を捉えなおす
2014年12月17日学習会 要旨報告
守田敏也

はじめに

今年は2月末にベラルーシを訪問。その後ドイツ、日本、ベラルーシ医師団と合流して、3月のドイツ国際医師会議に参加し、それに引き続いて、ヨーロッパ・アクション・ウィークに参加しました。
ヨーロッパ・アクション・ウィークのテーマは「チェルノブイリと福島の事故の後の未来を考える」で、それぞれの事故の証言者を各地・各国に派遣するとりくみでした。
僕はトルコに派遣されました。日本がトルコに原発を輸出しようとしているからです。

ヨーロッパ・アクション・ウィークを主催しているのはドイツのIBB(国際的な教育と交流の場の提供をしている組織)という団体で、教育と交流のプログラムを熱心にやっています。
チェルノブイリ被災支援もものすごくやっていて、さらにドイツの子どもたちをアウシュビッツに連れていくことなども積極的に取り組んでいます。
この取り組みで3月にトルコを訪問した縁で、8月、再びトルコから招かれました。トルコのシノップ県ゲルゼ市の夏祭りへの招待でした。夏祭りのテーマが脱原発、反原発でした。

10月に、ヨーロッパ・アクション・ウィークによるポーランド国際会議が開催されました。各国に派遣された人たちがそれぞれの成果を持ち寄り、今後の脱原発運動をどう進めるかについて語り合おうという会議でした。
僕は日本とトルコの間で新しく作り上げた脱原発ネットワークについて発言をしてきましたが、この機会を活かして、アウシュビッツも訪問し、いろんなことを学んできました。
このうちベラルーシ、ドイツ、トルコ訪問については、8月9日の「2世・3世の会」の学習会ですでにお話ししているので今回は省略し、今日は10月のポーランド国際会議、及びポーランド訪問で学んだこと、それらを通じて、特にウクライナについて深めてきたことにフォーカスしてお話ししたいと思います。

1、ポーランドにおけるユダヤ人の歴史とアウシュビッツ

■ポーランドにおけるユダヤ人の歴史概観
ポーランドは10世紀に建国された国ですが、現在の領土はほぼ建国時と一致しています。そのポーランドの歴史を見ていくと、まずヨーロッパの中で最も宗教的に寛容的だったことを知らされます。
言うまでもないことですがヨーロッパは歴史的にキリスト教中心の社会でした。そのことはユダヤ教や異教徒に対して非常に迫害的、差別的であったことをも意味しています。
キリスト教は対外的にはイスラム教と対立し、ヨーロッパの内側では絶えずユダヤ教や異教徒との対立を続けてきましたが、ヨーロッパのそのような宗教的土壌の中で、ポーランドのみはユダヤ教に対しても寛容的な国としての歴史を歩んできました。

具体的には、1264年9月8日「ユダヤ人の自由に関する一般教書」(カリッシュ法)が制定され、ユダヤ人の人権保護が明記されています。
その後、ドイツ騎士団と度々戦争が繰り返され、14世紀末グルンヴァルドの戦いでポーランドが勝利、1414年コンスタンツ会議で論争が行われました。ドイツ騎士団はポーランドが異教徒のリトアニア人と連合したことを批判。
これに対してポーランドは、「異教徒と言えどもまったく同じ人間であり、リトアニア人には自らの政府を持つ権利、平和に暮らす権利、財産に対する権利があり、これらを自衛する権利がある」と主張。教皇庁もこの主張を採択しました。
正確には、教皇庁はリトアニア人の人権は認めないが、ポーランドがリトアニア人と連合したことは認めたのでした。こうした歴史から、ポーランドにはたくさんのユダヤ人が流入するようになっていきました。

加えて14世紀、ヨーロッパでペストが大蔓延した時、ペストの流行をユダヤ人の犯行とする風評が広がり、たくさんのユダヤ人が虐殺されました。この時も、唯一このような風評の広がらなかったのがポーランドで、そのことがユダヤ人の流入をさらに加速させる結果となりました。
ユダヤ人は迫害されてきた民であるため、貧しさから逃れることができませんでした。その中でのしあがろうとする一部のユダヤ人は金融業者として力をつけていきました。
中世キリスト教社会は建前的には金融業(特に利子)を否定していました。神の司る時間を使って金儲けをすることはけしからん、利子は人を堕落させるというのがその理由でした。
しかし、現実的には社会における貨幣経済の浸透、拡大にともなって、金融業の必要性は高まり、それを「下賤な仕事」としてユダヤ人が携わることになっていきました。ユダヤ人は社会の真っ当な構成員として認められず、しばしば共同体の外に置かれていたからでした。

金融的な力を持つユダヤ人の流入によって、ポーランドは大国として成長していくことになりました。
ポーランドは1569年~1795年の時期に最盛期を迎えました。現在のベラルーシ、バルト三国、ウクライナの地域なども領土として含むヨーロッパ最大の強国となりました。
その後、18世紀中頃からヨーロッパ全体は新しい激動の時代を迎え、特にプロテスタントの台頭等が顕著になっていきました。そうした中、ポーランドは弱体化していきました。1795年、ポーランドは隣接するロシア帝国、プロシア王国、オーストリアの3強国によって分割されてしまいました。
ポーランドは領土分割され独立国としての立場を失いましたが、多くのユダヤ人は旧ポーランド領(現在のポーランド、ベラルーシ、ウクライナ等)一帯にとどまり、そこを安住の地として住み続けました。後年、こうした地域にナチスが攻め込むことになったのでした。

■ユダヤ人とは何か?
それではそもそも「ユダヤ人」とはいかに定義できるのでしょうか。つぎのような考察があります。
「現在のユダヤ人は民族的、文化的に統合されておらず、言語も同一ではなく、宗教との関係も様々であっても、かれらは特殊で、痛ましい、永く続いた歴史によってつながれている。」(『ポーランドのユダヤ人』より)
ユダヤ人=ユダヤ教徒と考えられがちだが、それは正しくありません。18世紀以降ヨーロッパでは、キリスト教徒であることを否定し、無神論、非キリスト教徒宣言する人たちが登場してきました。
ユダヤ人においても同様で、自分はユダヤ教徒ではないと主張し、さらにはユダヤ人であることを辞める人たちもたくさん生まれてきました。そのため実際には、ユダヤ人とは何かという問いに対して、その回答は大変難しく複雑なものになっていきました。

しかし一方で、「お前はユダヤ人だ!」と外からの決めつけによって「ユダヤ人」とされ、多くの人が迫害、虐殺されることになっていきました。
自分はユダヤ人だとは思っていなかったのにユダヤ人とされた一人の典型がアンネ・フランクでした。彼女などはユダヤ人としてのアイデンティティはほとんど持っていなかったのに、ナチスによって「ユダヤ人」にされてしまったのでした。
ナチスは、祖父、祖母のどちらかがユダヤ人であった人は全員強制的に「ユダヤ人」と決めつけ、迫害、虐殺を行っていきました。ユダヤ人とされた人々がユダヤ人であることを止めようとしてもヨーロッパ社会は認めてくれなかったのでした。

これらを踏まえて前掲書では「ユダヤ人とは何か?」という問いに以下の答えを当てています。
「その歴史の始源は旧約聖書によって知られている。そこにはユダヤ人の自己意識の基礎的な要素が示されている。すなわち族長アブラハムに始まるかれらの出自、イスラエルの地、つまり聖書の約束の地との絶えることのないこだわり、それに信仰あるユダヤ人とキリスト教徒とのきずなである唯一のヤーヴェへの信仰である。
ユダヤ人の運命の独自性は、迫害のない自由な土地を求めて続けられた永い放浪、つまり他民族の間にちりぢりに営まれたディアスポラの生活、それに加えてユダヤ人以外の環境との関係に由来する。(『ポーランドのユダヤ人』より)
非常に分かりにくい説明ですが、しかし、敢えてユダヤ人について説明すると、こう言うしかないのだと思います。つまり「ユダヤ人とは何か?」それは常に繰り返されてきた問いであって、容易に回答することのできない問題なのです。

ではユダヤ人たちは自己の解放の方向性をどこに求めていったのでしょうか?第一に、非常に象徴的なことして、ユダヤ人としての民族解放ではなく、普遍的な人間としての解放を求めた人々がいました。その人々はマルクス主義に傾倒していき、ロシア社会民主労働党(ボリシェビキ)に結集していきました。
そのことは革命直後の党中央委員会にユダヤ人が圧倒的に多いことに表されています。例えば、トロッキー、ジノヴィエフ、カーメネフ、ラデック、クループスカヤなどがそうです。一方、ユダヤ人であることにこだわりつつ社会主義を模索した人々はユダヤ人としての独自組織を作っていきました。(ユダヤ人ブンド)
さらに社会主義ではなく、ユダヤ人だけの国家建設を求める人々はシオニズム(シオンの地=イスラエルにユダヤ人国家を建設しようというもの)に傾倒していきました。これが現在のイスラエル国家の建国につながっています。

■ポーランドの独立回復とドイツ・ソ連による侵攻・分割
1917年のロシア革命と第一次世界大戦終結により、1918年、ポーランドは独立を回復しました。
しかし、1939年、ポーランドはナチスドイツとソ連から攻め込まれました。独ソ不可侵条約締結によってドイツとソ連によって分割されることになったのでした。このことが、アウシュビッツなどの「収容所」がドイツ国内ではなく、たくさんのユダヤ人の住むポーランドの中に作られた理由でした。
さらに1941年、ナチスドイツはポーランドを足場に、ソ連侵攻=バルバロッサ作戦を展開するに至りました。

ポーランド一帯がドイツとソ連に分割された時、ウクライナ地域ではナチスの力を利用してソ連の侵攻に抵抗する勢力がありました。
その勢力は第二次大戦後のソ連領時代に徹底して弾圧され、その勢力の名前も聞かれなくなってしましたが、ソ連崩壊やウクライナの独立を経て復活してきました。これらの人々がネオナチを形成しています。
しかも2014年2月のウクライナの政変による新政府発足を機により台頭し、新政府内の一部を構成するに至っています。

続く

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