2014.11.11

明日に向けて(969)ポーランド愛国運動とユダヤ人(ポーランドを訪れて-4)

守田です。(20141111 01:30)

「ユダヤ人とは何か」に関する考察に踏まえつつ、ポーランドの歴史をユダヤ人との関連をおさえながらさらに見て行きたいと思います。
この国が中世において、ヨーロッパの中でもっともユダヤ人に寛大な政策をとった国であることをすでにおさえてきました。またそのこともあってユダヤ人の金融力がこの国に流れ込み、このことを富ませてことにも触れました。
ユダヤ人に商人やその前提をなす手工業者が多く、金融業に携わる者が多かった理由も、実は伝統的なヨーロッパのキリスト教支配の中で、常にユダヤ人が差別されていたことに起因するのであることにも触れました。
商品は共同体と共同体の狭間で発生したのであり、そのため商品取引は、歴史的に共同体の外側の成員とみなされたものが担う場合が多かったからです。

さらに中世のキリスト教は「利子」をとることを禁じていました。イスラム教では現代でもそうですが、利子は神の支配する時間を使って金を儲けることだから道徳的に許されないものとされてきたのです。
しかし実際には商品のやりとりの中で、貨幣経済が発展する中で利子は自然に発生してきます。中世社会はそれを道徳的退廃としつつも、商品取引の必要性からユダヤ人には金融業を営むことを認めたのです。
中世のポーランド社会でユダヤ人が保護されたのは、道義的に高い意義があると思いますが、しかしそのポーランドとてまったくの同権が保障されたわけではありませんでした。
ユダヤ人には土地取得の権利はなく、大多数は貧しいままにおかれながら、一部の者たちが商人に特化して金融業にも長けていきました。その経済力に目を付けたポーランド貴族はこれらのユダヤ商人と結びつきつつ、己の力の増大を図ったのも現実でした。

こうした中で15世紀から18世紀にかけてのポーランドはどんどん支配地を広げて行き、現在のベラルーシやウクライナ、バルト三国などを占める広大な領地を持っていくようになりました。
これら新たな領土にユダヤ人たちも浸透していったため、東欧からロシアにいたる地域にヨーロッパユダヤ人の多くが住み着いていくことになりました。
ただしこの時代のポーランドの中でもたびたびユダヤ人への迫害が起こっています。もっとも大きなものは30年戦争の後の1648年におこったウクライナにおけるコサックの反ポーランド暴動の中でのユダヤ人の殺害です。
コサックはもともとはトルコ系の人々ですが、ともあれこのときも数万、ないし数十万のユダヤ人が虐殺されています。こうしたユダヤ人虐殺をロシア語でポグロムといいます。

この時、ユダヤ人の多くは、自らを庇護してくれたポーランド国家を守るために、コサックと闘っています。
またこれ以降、ポーランドは周辺のロシア、オーストリア、プロシア、トルコという強国に挟まれつつ、度重なる戦乱によって力を失っていくのですが、それらの戦いの中でも多くのユダヤ人がポーランド社会防衛のために闘っています。
このころのポーランドは国王を貴族が選挙で選ぶ立憲君主制の萌芽を持っており、象徴として国家政策の重要なものは代議員の全員一致で決める制度を採用していましたが、次第にこの制度が乱用され、重要なことが何も決められなくなり、国家の停滞が加速されていきます。
こうして18世紀末にロシア、オーストリア、プロシアの侵入を避けられなくなり、同国は1795年にこれら三国に分割されてしまうのです。

このときポーランドではタデウシ・コシュチューシコのクラクフ蜂起が起こります。彼はポーランドの最後の国王の甥、ユゼフ・ポニャトフスキともに全ポーランド人に祖国防衛を訴えたのですが、このときベルク・ヨセレーヴィチ率いるユダヤ騎士団が呼びかけに応じて参戦しています。
ちなみにコシュチューシコはリトアニアの出身ですが、ワルシャワの士官学校を卒業後、ドイツ、イタリア、フランスで軍事教練を受けたのち、アメリカの独立戦争に義勇兵として参戦。ジョージ・ワシントンの副官として大活躍しています。その間、トーマス・ジェファーソンの自由主義思想に強く影響されたと言われています。
コシュチューシコとポニャトフスキとともに軍事的天才でもあり、ロシア軍をさんざん翻弄しますが、国王が十分な戦況の好転をまたずに和平を急いだこともあり、最終的にはポーランドの分割を防ぐことができませんでした。
二人は亡命しますが、ポニャトフスキはその後、ナポレオンにヨーロッパの解放を託し、ポーランド軍団を率いてナポレオン戦争を支え続けます。しかし1813年ライプツィヒの戦いで破れたナポレオン軍の殿軍をにない戦死しています。
(なおこれらの過程を描いた漫画に『天の涯まで ポーランド秘史』池田理代子著があります。池田さんはフランス革命を描いた『ベルサイユの薔薇』で一世を風靡された方ですが、同時代のポーランドを襲った悲劇についてもさすがのタッチで描かれています。)
このようにしてポーランドは、ロシア、オーストリア、プロシアに分割されてしまい、今のベラルーシやウクライナ地域がロシアの領土となるのですが、そのことでロシアは自国に多くのユダヤ人を抱え込むことになりました。
それまでロシアはロシア正教をもとにユダヤ人を排斥し、入国を認めていなかったのですが、ポーランドの一部を割譲することにより、領土の中のユダヤ人の存在を認めざるを得なくなったのでした。
女王、エカテリーナ2世はユダヤ人の存在を容認しつつもロシアの他の地域に移ることを認めない政策を採りました。そのためポーランドからもぎとった現在のバルト三国からベラルーシ、ウクライナにいたる広大な地域にユダヤ人は留め置かれることになりました。
広大なゲットーの創出とも言えるこの政策は1917年のロシア革命まで続いていきます。このためロシア領ポーランドと並んでこれらの地域に、ヨーロッパユダヤ人の中の最も大きな人口が住まうようになりました。

これ以降の時期の特徴は人口が急激に増えていったことです。ヨーロッパ全体におよんだ生活環境の改善、衛生意識の向上のもとに実現されたことでしたが、ユダヤ人は商業や金融業、手工業者などが多かったために、より医療の受けやすい都市部に多く存在していたため、ヨーロッパの平均以上に大きく人口を増やしていきました。
一方でポーランドでも、分割された地域でも帝政ロシアの圧政に対抗するさまざまな人々の抵抗運動が起こっていきますが、ここにも多くのユダヤ人がポーランド人、ロシア人とともに参加していきました。ポーランド史ではこれらの時期は、「ポーランド・ユダヤ友好期」と言われます。
こうした友好の象徴として1861年のワルシャワの行動がありました。2月27日の示威行動で5名が殺害されると、カトリック、プロテスタントに並んでユダヤ教の聖職者であるラビもともに追悼に参加しました。さらにこの時、ユダヤ人学生が殺害された神父が掲げていた十字架を手に持ったままロシアの公安警察に射殺され、ますます人々の「友好」を深めることに結果しました。
人々はさらに帝政ロシアへの抵抗を激化。1863年に1月蜂起に立ちあがりますが、これらの過程でユダヤ人の中にはポーランド人に同化していく人々も増えて行きました。これらの人々はユダヤ人としてよりも愛国的なポーランド人としてこの時の抵抗運動に参加していったのです。

このときポーランド国民政府がユダヤ人に宛てた檄文を紹介しておきます。
「神の力によってわれわれが国をモスクワの隷従から解放し、われわれを縛っていたくびきを投げ棄てるなら、われわれはあなた方と共同で平和に生活し、わが大地の豊かな恵みに共にあずかるであろう。
あなた方とあなた方の子供たちは何らの制限も例外もない完全な市民権を享受するであろう。何故なら国民政府は市民の信仰や出自を問うことなく、ただどこの生まれか、ポーランド人かだけに関心をもつがゆえに。」(『ポーランドのユダヤ人』p78)
こうした檄文を受け、多くのユダヤ人が、ロシアによるポーランドの隷属を打ち破るべく、献身的に闘ったのでした。

ところがこうした「ポーランド・ユダヤ友好期」は、1881年に酷く断たれてしまいます。この年、帝政ロシアを倒し、農民を解放しようとして活動してきたナロードニキ=「人民の意志」派がサンクトペテルブルクでロシア皇帝アレクサンドル2世に爆弾を投げつけて殺害しました。
実行したのはポーランド人でしたが、このグループの中にユダヤ人女性革命家が含まれていたことから、「皇帝を殺したユダヤ人を許すな」という声が、オデッサなど現在のウクライナ南部であがり、ポグロムが発生。1884年までに主にウクライナ南部で多くのユダヤ人が殺害されていきました。それは17世紀にコサックによって引き起こされたポグロムの悪夢を思い出させるものでした。
ポグロムはワルシャワでもおこり、殺害された数はウクライナ南部に比べて小さかったものの、同時に、ポーランド人に同化した「ユダヤ人の罪」を叫ぶヒステリックな声が高まっていきました。このことでそれまでのユダヤ人内部のポーランド人への同化傾向に歯止めがかかっていきます。ポーランド人は同化しようとしてもユダヤ人を受け入れない。同化は夢だと多くの人々が思い出したのでした。
こうしてユダヤ人の解放運動は大きく二つの方向に分かれ始めます。一つは同化ではなく社会そのものを根底から変革しなければならないと感じ、おりから勃興してきた社会主義勢力に合流し、社会主義革命に展望を託すもの。他方は、ヨーロッパでの人権獲得を諦め、パレスチナの地にユダヤ人の理想国家を作ろうとするシオニズムにです。同時に多くのユダヤ人がヨーロッパをす捨て、新大陸であるアメリカに向かっていきました。

続く

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