2014.06.11

明日に向けて(868)ワールドカップに思う・・・その1

守田です。(20140611 17:30)

ワールドカップブラジル大会がもうすぐ始まります。

何かを論じておかなくてはいけないと思います。僕はサッカーがとても好きなのです。日本チームも応援しています。
しかし今回、多くのブラジルの人々がワールドカップ開催に反対して繰り返しデモを行っています。「ワールドカップに使うお金があるのなら教育や医療にまわせ」というのです。至極、真っ当な訴えです。

今、スポーツ、とくにワールドカップやオリンピックなど、世界のアスリートを集めて行う競技大会が大きな曲がり角に来ているのではないかと思います。端的にえぐい金儲けの手段化しつつあることへの批判が強まっているのです。見直しの機運が高まりつつある。
人を集め、お金を集める。そのために設備を作り、アスリート育成にお金をかけ、興業としてのヒットを目指す。しかしその分、社会の大事なことへの出費が削減され続けているのです。ブラジルの人々はその理不尽さに抗議している。
オリンピックもそうです。もともとアマチュア精神に則り、選手と選手の競い合いが中心に大会を開催することがオリンピック憲章に掲げられてきながら、1980年代からプロの参加が解禁され、国威発揚の面が大きくなるばかりでした。
弱肉強食の市場万能論が世界制覇を始めたのが1970年代末ですが、オリンピックの商業主義化がこれにピタリと沿ってきた。スポーツの楽しみよりも金儲け主義が強くなってきたのです。

僕はそのえぐい象徴が東京オリンピックへの動きであると思っています。日本には未だにまったく収束していない原発事故があり、大変な量の放射能が飛び出してしまっているのに、この一番大事なことを無視し、ふたをし、嘘で塗り固めてオリンピックを招致してしまった。
なぜか。ただただお金儲けのためです。事実今、東京湾沿いのオリンピック開催予定地の土地がぐんぐん上がって、株価の下支えにもなっている。儲け主義はすでにどんどん走り出しています。
僕はなんとかこのひどい東京オリンピックを中止させなければならないと思っていますが、そのことを考えるとき、今回のワールドカップブラジル大会には心ざわめくものがあります。
ブラジルの人々の声を受け継ぎながら、東京オリンピック反対の声を高めていかなくてはならないと感じています。オリンピックにつぎ込むお金の全部を、原発事故の真の収束と、放射線による健康障害対策にこそ使うべきだからです。

しかし心がざわめくのは、一方で僕がスポーツをこよなく愛しており、トップアスリートたちのアーティスティックなパフォーマンスを観るのが大好きだからでもあります。
日本チームにシンパシイがあるのは、単純に一番よく選手たちを知っているから。親しみのある彼らに頑張って欲しいなと自然な気持ちで思います。
同時にサッカーが世界の中で持っている特殊な意義にも心を惹かれます。端的にサッカーの中で、これまで戦争や領土争いなどに翻弄されてきた私たち現代人が、もう一度会いまみえ、仲良くなっていく要素があると思えるからです。
ワールドカップはその意味でサッカーを通じて世界を学び、各国の人々の思いを知る大きなチャンスでもあります。ぜひ多くの方にそんな観点からワールドカップを観て欲しいとも思うのです。

そんな思いを込めて、ブラジルの人々のワールドカップ批判への強い共感をも胸に抱きつつ、「ワールドカップに思う」という連載を行いたいと思いますが、そのために4年前の南ア大会の時に書いたもののリメイクから入りたいと思います。元々の題は「ワールドカップ南ア大会に思う」です。
なぜかというと、南アフリカで行われたこのワールドカップにはさまざまな形での「和解」が実現されていたからです。
ちなみにこの論稿は大親友で2012年4月14日に亡くなった安藤栄里子さんという方がおよそ60人の友人を集めて始めた「メールラリー」という場に書き込んだものです。以下にそのいきさつが書いてあります。

明日に向けて(657)追悼 同志・安藤栄里子!
2013年04月14日
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/02f4891c83d22f934a121b2a20986203

現地の人々のものすごい反対の声の中で強行されるワールドカップ。
やはりとても試合だけを心から楽しんではいられない。前回と今回のワールドカップを見つめつつ、それをきっかけに世界の結びつきを再度、考え直してみたいと思います。
以下、安藤さんを中心としたメールのやりとりに投稿した文章を掲載します。歴史に興味のある方、ぜひお付き合いください。

*****

今回はちょっと、時事的な話題を取り上げて、戦争の問題、争いの問題を考えて見たいと思います。よろしければ、どうかお付き合いください。

取り上げたいのはワールドカップですが、みなさんは、ご覧になられましたでしょうか。
僕は結構、熱く、日本チームを応援していました。また世界の名選手たちの妙技をみるのも楽しく、堪能させてもらいました。同時に、幾つかの場面で感慨深い思いにも浸りました。
ワールドカップの楽しさは、サッカーが、本当にワールドなスポーツになっていることにあると思います。世界のいたるところからチームが来るので、お国柄が如実に表れる。
そこに数々のドラマが生まれますが、そこには歴史が強く反映している場合が多い。

とくにこの点がはっきり反映するのが、ヨーロッパのチーム同士の戦いであるように思います。国歌やユニホームの色、その一つ一つが歴史の象徴であり、支配ー被支配の関係性などが反映している。
しかし、だからといって、再び流血の争いになるのではなく、こうした歴史が、競技場の中に収まっている。
「奴らを倒せ!奴らは敵だ!」。いかにも野蛮で物騒な言葉すら飛び交いますが、それはあくまでゲームの中の話。
僕はその野蛮さそのものも次第に薄れていくといいなと思いますが、本当の戦争が、サッカーという代理戦争に変わっているのだとしたら、それは、とりあえずはいいことなのではないかと思えます。

ただ、残念なことに、こうした歴史背景が日本の中ではほとんど、報道されません。ワールドカップは、世界を知る大きなチャンスでもあるのに、残念に思います。
それで少し、ワールドカップに即して、そこに色濃く反映しているものについて、論じてみたいと思います。
さて今回の決勝戦は、スペイン対オランダでした。絶妙なパス回しによる可憐なサッカーをすすめるスペインに対して、フィジカルコンタクトの強いオランダは、アグレッシブなタックルを多用して、スペインのパスを封じる作戦にでました。
このため、イエローカードの連発で、決勝戦でもっとも多く、警告の出た試合になりました。

こうした点をみなさんはどう思われるでしょうか。実は、日本もオランダと対戦し、激しいタックルで再三、ボールを奪われました。日本の新聞には、日本選手には、闘争本能が足りない、狩の精神が必要だとかの文字が躍っていた。
でも中国では、オランダは、フェアープレーの日本を、ダーティープレーで倒したと酷評されました。
僕は、狩の精神なんてもたなくていいじゃないかと思っていたのですが、中国のメディアや、ネットの書き込みで、日本はフェアプレーと書かれたことにはちょっと驚いたし、嬉しい気もしました。
中国で、日本のことを「フェア」と書くのは珍しいのではないでしょうか。また日本は攻撃性が足りない・・・なんて書かないのもいいなと思いました。

ところで、当のオランダですが、チームもスタンドも、オレンジ一色ですよね。これの意味するものをご存知でしょうか。これはオランダ王家のオレニエ家を示すものです。
オランダ語のオレニエを、英語で発音するとオレンジになります。これと同時にオレンジは、プロテスタントを示す意味も持ちます。
このオランダは、もともとスペイン領の国だったのですね。正式名はネーデルランド。オランダは中心的な州であるホラントのなまった発音です。
そのオランダは、1568~1609年の「オランダ独立戦争」によって、スペインから独立します。この戦争を率いたのが、オラニエ公ウィレムでした。

ワールドカップでは試合に先立って、各国チームが国歌を斉唱しますが、オランダの国歌は、このオランダ独立の歴史を唄ったもの。オレンジ家を中心にし、スペインからの独立に立ち上がったことが歌詞に盛り込まれています。
選手はこの唄を胸に手を当てて唄ってから、試合にのぞむというわけです。
オランダ国歌 「ナッサウのヴィルヘルムス」

私は、ドイツの血統のナッサウのヴィルヘルムスだ;
祖国に誠実に、私は死まであり続ける。
私は、自由で恐れないオラニエ公だ。
スペイン王に私は常に名誉を与えてきた。

あなたたち、私の神と主は、 私の盾であり、あなたたちを私は頼る。
あなたの上に私たちは建てるつもりだ;
私を置いていくな、
私が敬虔で、いつの時もあなたのしもべで続けるために、
私の心を傷つける専制政治を追い散らしながら。
歌詞は以上ですが、ナッサウのヴィルヘルムスとは、オラニエ公ウィレムのこと。
また「スペイン王に私は常に名誉を与えてきた」というところがちょっと分かりにくいのですが、これはオランダ独立戦争が、当初は「スペイン王の意に反して圧制を行なう執政の打倒」を大義として掲げたことを反映しています。
しかしこのオラニエ公らの決起は、当時、この地方にプロテスタントのカルヴァン派が広がっていたことも背景としていました。
カルヴァン派は商業の発達を背景にしていて、交易の自由を求めていたのですが、それを弾圧したのがカソリックの牙城であり、広大な領地を治めていたスペインだったのです。

その点で、プロテスタント対カソリックの争いは、新興商業勢力対旧来の荘園勢力という位置も持っていました。このことが詩の最後の一句、「私の心を傷つける専制政治を追い散らしながら」に反映しています。
ちなみにオラニエ公はその後、スペインによって暗殺されてしまいます。(1584年)
しかし時勢はオランダに有利に動いていきます。とくに1500年代に、度重なる内紛を経ながら、プロテスタントへの改宗の道を歩んできたイングランドが台頭。
スペインと衝突するようになり、1588年に「アルマダの海戦」で、スペインが派遣した130隻、3万人からなる大艦隊を撃破しました。

このスペイン艦隊の名は、Grandey Felicisima Armada(最高の祝福を受けた大いなる艦隊)。その大いなる艦隊を撃破したイングランドは、痛烈な皮肉としてこれを「無敵艦隊」と呼びました。
つまり「無敵艦隊」とは、たいそうな名を持ちながら、実際には弱い奴らというほどの、嘲笑がふくまれているのです。
ちなみに、ワールドカップスペイン代表チームもまた、「無敵艦隊」として報道されていますが、これは歴史にあまりにも鈍感で無頓着な日本でのみなされていることです。
スペインはもちろん、他の国も、もともとは蔑称であるこの言葉を使うことなどありえません。在日スペイン人はどのように感じているのでしょうか。

さてこの大艦隊の敗北は、スペインの凋落を加速することになりました。こうしたことを背景に、オランダも独立を迎えていくわけですが、そのことはヨーロッパにおけるプロテスタントの拡大を意味し、そこここで、戦いの拡大を生んでいきました。
かくしてヨーロッパは、戦乱に継ぐ戦乱に覆われていきます。
ご存知のようにこの中でプロテスタントが台頭し、やがてそれがイングランドを出発点とする市民革命につながっていく。
そのためここだけを見て、市民革命を「歴史の進歩」と捉える歴史観が、勝者による自己宣揚のもとで、流布されてきました。

とくにオレンジ家はその重要さを増していきます。
カソリックとプロテスタント、一方で、王制と共和制を行きつ戻りつしたイングランドが、ピューリタン革命と、その後の壮絶な内戦を経た後に、1688年、「オレンジ公ウイリアムス」を招いての無血の名誉革命で、終結したからです。
ところがこのことはカソリックの側、とくにイングランドとの対抗からカソリックを守り続けたともいえるアイルランドにとっては絶望的な流れでした。
すでにピューリタン革命の折に、オリバー・クロムウェルが、アイルランドのダブリンに進軍し、聖職者や女性を含む4000人の無差別殺害を行なっています。

その後、力を増したイングランドは、ウエールズ、スコットランドを力によって従わせ、さらにアイルランドに迫りました。長い戦いを経て、結局、イングランドは北アイルランドを占領し、これ以外のアイルランドは独立国になっていきます。
そのためその後は、北アイルランドをめぐる争いが長い間続きました。
これはつい最近まで、イギリス軍対アイルランド共和国軍(IRA)の戦いとして行なわれましたが、その舞台は主に北アイルランドでした。
とくにここで行なわれる「オレンジ騎士団の行進の日」などが闘争の舞台になった。その名のごとく、プロテスタントの騎士団が、カソリックを徹底的にやっつけたことを記念する日です。

その行進の先々に、IRAは爆弾をしかけました。そのため僕は、「オレンジ騎士団の行進の日」が近づくと「やめろよ、やめろよ」と思ってました。
行進も、攻撃も、どっちも止めて欲しい・・・。そして1990年代に入って、実際にここでは和平が実現しました。
その意味で、今は平和に見れるかもしれなけれど、あのオレンジ一色のスタンドをアイルランドの人たちはどう見てきたのだろうと、いつもため息が出るものがあります。
ちなみにアイルランドを代表するチームは中村俊輔のいたセルティック、要するにケルトですね。色は大地の緑と、カソリックの白です・・・。

次回は、スペインチームについて書きます。

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